快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

娘のような母と母のような娘の切れない絆 『タトゥーママ』(ジャクリーン・ウィルソン著 小竹由美子訳)

「いいの。だって、マリゴールドがわたしのお母さんなんだもん。」喜ばせようと思ってこういったのに、マリゴールドはまた泣きだした。「あたしったら、なんてバカな母親なのかしら。どうしようもないね。」「この世でいちばんのお母さんだよ。おねがいだか…

べつの言葉によって自らを変容させていく試み 『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎 訳)

人は誰かに恋をすると、永遠に生きたいと思う。自分の味わう感動や歓喜が長続きすることを切望する。イタリア語で読んでいるとき、わたしには同じような思いがわき起こる。わたしは死にたくない。死ぬことは言葉の発見の終わりを意味するわけだから。 『停電…

人間を「物」として扱う社会とは――『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド著 谷崎由衣訳)、『フライデー・ブラック』(ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー著, 押野素子訳)

砦までの道のりでコーラの祖母は何度か売られ、宝貝やガラスのビーズと引き替えに奴隷商の手から手へと渡った。ウィダで彼女の値段が幾らだったか知ることは難しい。というのもまとめ買いだったから。八十八の人間が、ラム酒と火薬を入れた木箱六十個と交換…

やっぱり優しくなければ生きている資格がない――レイモンド・チャンドラー『高い窓』(村上春樹訳)

彼女は二本の腕をデスクの上で折りたたみ、顔をその中に埋めてしくしくと泣いていた。それから首をひねって、涙で濡れた目でこちらを見た。私はドアを閉めて彼女のそばに行き、その細い肩に腕をまわした。…… 娘は飛び上がるように身を起こし、私の腕から逃れ…

自分の肉親について文章を書くということ レイモンド・カーヴァー「父の肖像」(『ファイアズ(炎)』)、村上春樹『猫を棄てる』

自分の肉親について説得力のある文章を書くというのは決して簡単なことではない。結局のところ、文章の力によってどこまでその人物を相対化できるか、そしてその相対化された像のなかにどれだけどこまで自分の感情を編み込めるか、という微妙な勝負になる 村…

勝手に考えた「コロナブルーを乗り越える本」『東京日記』(内田百閒)『だいたい四国八十八ヶ所』(宮田珠己)『雨天炎天』(村上春樹)

「コロナブルーを乗り越える本」という集英社インターナショナルのサイトで、さまざまな作家や翻訳家の方たちが、「こんな時代だからこそ読みたい」本を紹介していて、これがかなり読みごたえがある。 www.shueisha-int.co.jp 紹介されている本がどれもおも…

だいじょうぶ?と聞かれたら、どう答える? 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(大前粟生 著)

麦戸ちゃんはさいきん学校にこない。麦戸ちゃんの家は大学のすぐ近くにあるから、七森は二限終わりに寄ってみようかなと思ったけど、きのう彼女ができたばかりだったし、共通の友だちでも女の子と家で会うのを白城は嫌がるかもしれないと(まだそういうこと…

Let's line up all the white pandas とは? log in now: love ロバート キャンベル『井上陽水英訳詞集』

What is it you’re looking for?Something hard to find?In your bag, through your deskYou looked but can’t find it. さて、この歌はなんでしょう? そう、おなじみ「夢の中へ」です。ロバート キャンベル『井上陽水英訳詞集』より。 井上陽水英訳詞集 作…

絵の中で語られるのを待っている物語 『短編画廊』(ローレンス・ブロックほか 著 田口俊樹ほか 訳)

ここに収められた物語はさまざまなジャンルの物語だ。あるいは、いかなるジャンルにも収まらない物語だ。 エドワード・ホッパーの絵をモチーフにした短編集『短編画廊』を読みました。 短編画廊 絵から生まれた17の物語 (ハーパーコリンズ・フィクション) 作…

それがフィリップ・マーロウという人間だ 『さよなら、愛しい人』(レイモンド・チャンドラー 著 村上春樹 訳)

It wasn’t any of my business. So I pushed them open and looked in. 私には何の関わり合いもないことだ。なのに私はその扉を押し開け、中をのぞき込んだ。そういう性分なのだ。 レイモンド・チャンドラーによるフィリップ・マーロウシリーズの二作目、『…

50歳なんて何でもない……のか? 『レス』(アンドリュー・ショーン・グリア 著 上岡伸雄 訳)

アーサー・レスは歳を取った最初の同性愛者である。少なくとも、自分ではときどきそのように感じる。この浴槽で、裸でお湯に浸かっているのは、二十五歳か三十歳の美しい若者であるべきだ。人生の喜びを享受している男。いまの裸体を見られるのは何とも恐ろ…

2020年1月26日「はじめての海外文学 in 大阪」(梅田蔦屋書店)レポート

さて、1月26日に梅田蔦屋書店で行われた「はじめての海外文学」に参加しました。 翻訳者の方たちが全力でオススメの海外文学を紹介する、この「はじめての海外文学」。東京では去年の10月に開催される予定でしたが、大型台風の襲来によって中止となり、今回…

『青鞜』の女たちを描いた青春群像劇 二兎社『私たちは何も知らない』(作:永井愛)

二兎社の舞台『私たちは何も知らない』(作:永井愛)を見てきました。 nitosha.net この劇は『青鞜』に関わった女たちを描いていて、平塚明(らいてう)が姉の友達であった保持研らと『青鞜』を立ちあげ、その編集部に絵を勉強している尾竹紅吉がやって来る…

「善」と「悪」が入り混じったすえに生まれる「倫理」『ひとり旅立つ少年よ』(ボストン・テラン著 田口俊樹訳)

「私たちが生きるこの時代において、画家の大いなるキャンヴァスとはなんでしょう? そう、それはアメリカそのものです。私たちがともに描き出そうとしているこの国の絵。それこそ大いなるこの国家の将来を決定するものです」 この『ひとり旅立つ少年よ』は…

当事者っていったい誰のこと? 『ほんのちょっと当事者』青山ゆみこさんトークイベント

わたしは社会の一員として生きている。というよりも、社会とはわたしが生きることでつくられている。わたしたちが「生きる」ということは、「なにかの当事者となる」ことなのではないだろうか。 さて、昨日は隆祥館書店で行われた、青山ゆみこさんの『ほんの…

こぼれたミルク、だめになったスープ、恋人は共犯者…どう訳す?『この英語、訳せない!』(越前敏弥)など

山下達郎の「サンデーソングブック」を聞いていたら、アメリカのファンク/ソウルグループの100 PROOFによる「TOO MANY COOKS (SPOIL THE SOUP)」がかかった。ミック・ジャガーもカバーしている(プロデューサーはジョン・レノン)名曲で、要は「オレの女に…

幸福って何だっけ? 『幸福の遺伝子』(リチャード・パワーズ著  木原善彦訳)

輝かしい雰囲気に囲まれた彼女はしゃべるときも気楽そうだ。彼は彼女がアルジェリアの内戦を逃れてきたと言ったように感じ、もう一度今の言葉を繰り返してほしいと言いたくなる。しかし彼は慌てて、彼女に人生哲学を言うように促す。 「人生は哲学で語るには…

2019年11月10日 柴田元幸さん講座「J・D・サリンジャーの声を聞く」 ホールデンからハック、そしてシルヴィア・プラスなど

If you really want to hear about it, the first thing you’ll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind o…

それぞれの作品が呼応する、意義深いアンソロジー 『世界文学アンソロジー いまからはじめる』(秋草俊一郎ほか編)

アンソロジーって何だろう? 一般的には、さまざまな物語(おもに短編)を集めて一冊にしたものという印象だろうか。スーパー大辞林では、「一定の主題・形式などによる、作品の選集。また、抜粋集。佳句集。詞華集。」と定義されている。goo辞書では「いろ…

「不逞」に戦い続けること 『何が私をこうさせたか』(金子文子著)『三つ編み』(レティシア・コロンバニ 著 齋藤可津子訳)

文体については、あくまでも単純に、率直に、そして、しゃちこ張らせぬようなるべく砕いて欲しい。ある特殊な場合を除く外は、余り美しい詩的な文句を用いたり、あくどい技巧を弄したり廻り遠い形容詞を冠せたりすることを、出来るだけ避けて欲しい。 前回の…

「私自身」であるために戦った女たち 『女たちのテロル』(ブレイディみかこ 著)

「僕はつまらんものです。僕はただ、死にきれずに生きているようなものです」朴は岩のようにひんやりした、しかし厚みのある声で言った。私たちは同類だと文子は思った。死にきれなかった犬が二匹。我ら、犬ころズ。相手に不足はない。こうして二人のアナキ…

「中立・客観的」って可能なのか?『情報生産者になる』(上野千鶴子)から『大学教授のように小説を読む方法』『パームサンデー』まで

すべての問いはわたし自身の問いであり、わたしの問いはあなたの問いではないからです。そして人間には、他人の問いを解くことはついにはできないからです。 なんとなく上野千鶴子の『情報生産者になる』を手に取り――なんとなく、というのは、私は研究者でも…

私たちはみな、ポムゼルではないのか?『ゲッベルスと私――ナチ宣伝相秘書の告白』(ブルンヒルデ・ポムゼル, トーレ・D.ハンゼン, 石田勇治監修, 森内薫,赤坂桃子訳)

ブルンヒルデ・ポムゼルは政治に興味はなかった。彼女にとって重要なのは仕事であり、物質的な安定であり、上司への義務を果たすことであり、何かに所属することだった。彼女は自身のキャリアの変遷について非常に鮮明に、詳細に語った。だが、ナチ体制の犯…

ナチス政権内部の少年たちを描いた、ジョン・ボイン『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹 訳)『ヒトラーと暮らした少年』(原田勝 訳)

花の咲きほこる庭や銘板のついたベンチから五、六メートルほど先で、すべてががらりと変わってしまう。そこには巨大な金網のフェンスがあった。家と平行に張りめぐらされたフェンスのてっぺんはむこう側にむかって折れていて、目の届くかぎり左右へつづいて…

コミュニケーションとディスコミュニケーションの狭間の祝祭 「こちらあみ子」「ピクニック」(今村夏子)

十五歳で引っ越しをする日まで、あみ子は田中家の長女として育てられた。父と母、それと不良の兄がひとりいた。 小学生だったころ、母は自宅で書道教室を開いていた。もとは母の母が寝起きしていたという縁側に面する八畳ほどの和室に赤いじゅうたんを敷きつ…

2019/8/10 翻訳者村井理子さん&編集者田中里枝さんトークイベントー『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『サカナ・レッスン』(キャスリーン・フリン著)より

さて、まさに真夏のピークの8月10日、梅田蔦屋書店で行われた翻訳者村井理子さんと、編集者田中里枝さんのトークイベントに参加しました。 おふたりがタッグを組んだ最初の本、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』の著者キャスリーン・フリンが、日…

ユダヤ人を迫害したのは誰か? 『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』(マイケル・ボーンスタイン、デビー・ボーンスタイン著 森内薫 訳)

あまりにひどい話だ。手は怒りで震えていた。でも今となっては、そのサイトを見てよかったと思う。それによって、私ははっきり自覚した。もしも私たち生存者がこのまま沈黙を続けていたら、声を上げ続けるのは嘘つきとわからず屋だけになってしまう。私たち…

「いま翻訳者たちが薦める一冊 憎しみの時代を超える言葉の力」フェアより 『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子 訳)

さて、プロフィールでもちらりと書いているとおり、ミステリーにとくに詳しいわけでも何でもないのに、僭越ながら大阪翻訳ミステリー読書会の世話人をしているのですが、9月開催の読書会の課題本に『ローズ・アンダーファイア』(エリザベス・ウェイン著 吉…

初心者のための田辺聖子~ハイ・ミス小説のオススメ(中級編)~『愛してよろしいですか?』『夢のように日は過ぎて』『薔薇の雨』

それにしても、ハイ・ミスにとって 「……たら」 というのは禁句なのであることを、知らないのかなあ。 私と小田美枝子がしゃべっているとき、どちらかが「……たら」というコトバを使うと、 「タラは北海道!」 と叫んで、次の言葉を封じてしまう、約束ごとがあ…

初心者のための田辺聖子~入門編~ 『ジョゼと虎と魚たち』『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』

「一ばん怖いものを見たかったんや。好きな男の人が出来たときに。怖うてもすがれるから。……そんな人が出来たら虎見たい、と思てた。もし出来へんかったら一生、ほんものの虎は見られへん、それでもしょうない、思うてたんや」 田辺聖子さんが亡くなったので…