快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

女たちの戦い、そして連帯を描いた映画 『私の少女』 『サンドラの週末』

 昨日は有休をとり、レディースデイだったので、映画を二本見た。

 『私の少女』は、韓国の海に面した田舎町の警察所長として派遣されてきた女性が、祖母と父親に虐待されているらしい少女の面倒をみることになり……というストーリーで、その所長を演じるのがぺ・ドゥナ
 
 設定としては、ここ最近よくあるタイプの話という気もするし、展開もわりと思った通りに進んでいくのだが、テンポがいいので退屈することなく見ることができ、なんといっても、ペ・ドゥナと少女役のキム・セロンの魅力に圧倒された。
 ほとんど笑顔を見せないが、まっすぐな眼差しが印象的なペ・ドゥナの凜としたたたずまい。やっぱりいい女優だと思った。そして、小さな怪物と称される少女を演じるキム・セロンは、ベタな言い方だが、「天才少女」と呼ばれるのもわかる気がした。どんな風に成長するのだろう。
 韓国の田舎の風景も叙情的で旅行に行きたくなった……と言っても、田舎を美しく称賛する映画ではまったくなく、人々の閉鎖性、女性の警察所長を「偉そうな女」と呼び、家の中ではやりたい放題にふるまう男、不法移民をこきつかう劣悪な労働環境ーーがはっきりと描かれている。

 『サンドラの週末』は、鬱病で休職していたサンドラが、いざ復職というときに、16人の同僚たちが、サンドラの復職と自分たちのボーナスとどちらかを選ぶように、社長から突きつけられる。投票の結果、いったんはサンドラの解雇が決まったが、社長にかけあったところ、再投票が認められた。そこで、サンドラは同僚ひとりひとりに、今度こそは自分の復職に投票してくれるようお願いしにまわる……という映画。
 
 ストーリーもこれだけで、その他のエピソードはいっさい入れていないので、ひたすらサンドラが同僚にお願いするシーンが繰り返されるため、おもしろい展開があるわけではないが、見ている間ずっと、自分だったら――自分がサンドラだったら、あるいは同僚だったら――どうするかと考えさせられる。
 同僚たちは、サンドラのことは気の毒に思いつつも、悪いけど自分にも生活があるから、ボーナスを諦めるわけにはいかない、と口々に言う。そりゃそうだ。いい人ぶるわけではないけど、私ならボーナスを諦めてもいいかなという気もするけれど、養うべき家族も家のローンもない身軽な身だからそう思うのであって、家族がいる人間なら、ほんとうに厳しい選択だろう。実際、映画の中でも、このサンドラのお願いに同情する同僚と、反対する家族の間でいさかいが起こり、深刻な不和に発展する家もある。

 しかし、忘れてはいけないことは、そもそもそんな選択を迫られることがおかしい、ということである。そんな二者択一を突きつけられることがあってはいけないのだ。考えたら、私たち大阪市民も、わけのわからない選択を迫られたばかりだ。かろうじて最悪の事態はまぬがれたものの、テレビのような公共の空間で、高齢者や生活保護受給者などの福祉を受ける人たちが諸悪の根源であるかのような言説まで出る、この日本では、こんな映画が作られることはまずあり得ないだろうし、見た人たちはいったいどんな感想を持ったのか、非常に気になる。

 あと、サンドラの夫は、ひたすらサンドラに寄り添って応援し、同僚たちと話をするよう説得し、『私の少女』で描かれていたような韓国社会の男たちとは真逆の存在ではあるのだが、「家賃もあるので働き続けないといけないよ、同僚たちをまわってお願いするんだ、ぼくも一緒に行くから」と親身になって言う男(サンドラの夫)と、「そんな職場、こっちからとっととやめちまえ」と言う男がいたとしたら、私なら、どちらがいいかというと……むずかしい問題ですね。やはり二者択一は避けたいところだ。

 この映画は二本とも、ラストはいい意味で予想を裏切らないというか、そりゃそうだろうな、それしかないな、と納得できる終わり方なので、どちらも深刻な話にもかかわらず後味がよく、陳腐な言い方だけど、前向きな気持ちになれました。