快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

角田光代原作の『紙の月』を見た

 

  

紙の月 (ハルキ文庫)

紙の月 (ハルキ文庫)

 

  先日VOD(ビデオ・オン・デマンド)にお試し加入した際、好きな新作を一本プレゼントしてくれるとのことだったので、公開当時も気になっていた『紙の月』を見た。

 ドラマ化もされているし、宣伝や予告編などもあちこちで流れていたので、どこまでをネタバレと言うのかよくわからないけれど、念のため、以下からはネタバレになりますが、

 ストーリーとしては、銀行で契約社員として働いている主婦が、ふとしたきっかけで大学生の男と不倫するようになり、男が学費のために借金を重ね苦労しているという話を聞いて、顧客の客を横領して男に貢ぐようになるが、当然ながらすぐに発覚してしまい……

 というのは、原作も映画も同じなのだが、原作とかなり印象が違った。

 原作は、主人公の夫が、妻の仕事をあきらかに下に見て軽んじているようすや(前の『私の中の彼女』でも書いたけれど、角田さんは男の無自覚のモラハラぶりや、イヤ~な面を描くのがほんとうまい)、心がまったく通じあわなくなっているところが書きこまれていて、どうして大学生の男に走ったのかが理解できたが、
 映画の方の夫は、たしかに主人公の仕事を尊重している節はないが、ただただ無邪気で鈍感なだけで、とくに悪い人間ではないように感じられ(田辺っちが演じているからかもしれないが)、結婚生活にこれといった不満があるような描写もなく、どうして主人公がこの大学生に魅かれるのかあまりわからなかった。
 というか、大学生を演じる池松くんが、勝手に宮沢りえのあとをつけ、ストーカーかい!と思っているうちに、すぐにベッドシーンになって、なにがなんだか感もおぼえた。

 そのあとの展開も、この映画では、主人公に理解、あるいは共感できる要素はほとんど描かれず、ただ、どこかですぽっとたがが外れて、感情も倫理観もすべて失い、ブラックホールのように空虚な表情でどんどんと罪を重ねていくさまがおそろしかった。
 主人公が高校生のときに、世界の恵まれない子供に寄付をするため、親の財布から金を盗むエピソードが挿入されるのだが、主人公の常軌を逸したまじめさや純粋さを示唆しているのかもしれないが、もともと手癖の悪い子なんだなー、いや、むかしから壊れたひとなのか、という印象を抱いてしまった。

 しかし、たぶんこれが監督の意図したことなんだろう。
 原作では、主婦の日常生活に蓄積された鬱屈、女の生きづらさというようなものについて考えさせられたが、映画では、人間にとっての自由や悪とはなにか、ということがテーマになっていたように感じた。

 原作では、主人公のかつての同級生が登場し、そこでさまざまな女性の生き方――金銭感覚や価値観――が立体的に描かれているが、映画ではそのかわりに、大島優子小林聡美が演じる同僚の銀行員の存在が大きかった。

 小林聡美がうまいのは言うまでもないが、大島優子もよかった。
 映画の解説としては、主人公を犯罪の道に誘う「悪魔的な」役ということだが、悪魔というより、彼女もまたなにかの犠牲者、あるいはなにかに抗おうとしたが諦めた女のように見えた。物語の途中で結婚退職して銀行を去ってしまうのだが、そこからどうするのだろうか。「幸せな主婦」で居続けられるのだろうか。あるいは、主人公のように、どこかで壊れてしまうのだろうか。

 そして小林聡美も、「意地悪なお局さん」役かと思ったら、凜としたたたずまいで、まっすぐに戦う女であった。
 最後に主人公に向かって「あなたのことをずっと考えていたの」と話しかける。彼女にとって主人公は、まったく理解できない存在でありながら、しかし、自分の中のどこかに存在するものであったのだろう。まさに「私の中の彼女」だ。