快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

Cool Breezeな心優しき探偵、ドン・ウィンズロウ 『ストリート・キッズ』

 

ストリート・キッズ (創元推理文庫)

ストリート・キッズ (創元推理文庫)

 

  前に紹介した『ストーナー』の翻訳者である東江一紀さんの代表作のひとつ、ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』を読みました。

 以前にも、ドン・ウィンズロウの最近の作品、翻訳ミステリー大賞に選ばれた『犬の力』や、映画化された『野蛮なやつら』を読んだけれども、正直、話についていくのが結構しんどかった記憶があるので、これも大丈夫かな…?と思いつつ読みはじめたら、すいすいと読み進められ、最後まで退屈することなく読めました。

 なんといっても主人公ニールのキャラクターが素敵だ。
 ドラッグ中毒の売春婦の私生児としてニューヨークで生まれ、案の定、“ストリート・キッズ”として、11歳の頃から生活のためにスリをしていたところを、片腕の私立探偵グレアムに拾われ、そのまま弟子になって、“朋友会”という怪しい組織の一員として働きはじめる。

 と書くと、元悪ガキの腕っぷしの強い荒くれ男のように感じるかもしれないが、まったくそうではなく、きわめて繊細で非常に頭が良く、“朋友会”から通うことになった学校で文学に目覚め、ついにはコロンビア大学、そして大学院にまで行くようになり、そのかわり少し軟弱で、車の運転も下手で、ボクシングをやらされたらあっという間にダウンし、女の子とのデートに心を躍らせる。

 そんなニールが、“朋友会”の仕事で、副大統領候補の上院議員の家出した娘、アリーを探すことになる。しかし、この娘が、典型的な転落したお嬢様で、ドラッグ中毒でポン引きと一緒に暮らしているのだが、そこにどうしても母親の姿を投影してしまうのが切ない。

 ニールのこれまでの人生と、現在の捜索、アリーを追って行ったロンドン模様が軽妙にどんどんと語られていき、最後の大活劇につながるプロットもおもしろいけれど、この物語の一番の魅力は、やはり、キャラクターの個性だと思った。

 先に書いたニールや、“朋友会”の師匠、グレアム”父さん”はもちろんのこと、アリーを囲うポン引きであるコリンですら、もちろん悪者ではあるのだが、階級社会によって鬱屈しているロンドンの描写とあわせて読むと、上流階級に虐げられて育ってきて、ポン引きやドラッグ売りといった裏社会で生きることになった経緯がよく伝わり、憎めなく感じる。
 
 とくに、ニールがコリンに連れられていったロンドンのクラブで、パンクロックのバンド〈死を呼ぶ精液〉のライブを見て(ちなみにこの小説の舞台は1976年です。セックス・ピストルズアナーキー・イン・ザ・UK』が出た年ですね)、ここに集うロンドンの下流社会の若者たちも、そして“朋友会”の依頼を受けて働く自分も、金持ち連中にいいように操られてるんだと怒りを抱き、

 生活費をえさにして、貧乏人に尻ぬぐいをさせる連中。困ったときにだけ、貧乏人を居間に招き入れて、スコッチをふるまう連中。自分はあの連中の牧羊犬ではなかったか? 

 と、パンクロックに身をまかせながら、思いをはせるシーンが印象的だった。

 この小説の原題は“A Cool Breeze on the Underground”だが、いつも冷静で客観的に物事を考え、そして腕っぷしが弱く心優しい、ものすごくベタな言葉で言うと、「草食男子」なニールは、まったく新しいハードボイルド探偵像だったのだろうと、ハードボイルドに詳しくない私でも理解できた。

 けど、ドン・ウィンズロウ、これがデビュー作とはやはりすごいですね。
 翻訳ミステリー大賞シンジケートのウェブサイトにある、東江一紀さんによる『初心者のためのドン・ウィンズロウ講座』を読んだところ、このニール・ケアリーシリーズのなかでも、一作ごとに作風や文体が違うそうで、まさに“天性のノヴェリスト”なんでしょう。