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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

わたしは幸せなフェミニスト 『We should All Be Feminists 』 Chimamanda Ngozi Adichie (チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ)

 「まれ」は、最初の数回でちゃんと見る気を失ってしまったのですが、「あさが来た」は、今のところおもしろく見ています。
 なんといっても、柄本佑演じるヘビ男の曲者感が気になる。キツいおかあちゃんの尻にしかれた、ただのネクラ(死語ですが)なボンボンかと思っていたら、宮崎あおい演じる許婚のことを「辛気くさい女や」と毒づき(ちょっとわかる気もしたが)、主人公あさにも悪態をつき、おかあちゃんのことすら「いつか殺したる」と物騒なことを言い出し、「女はみんな嫌いや」と宣言する。ここまでミソジニー全開だと、逆に清々しいというか目が離せない。

We Should All Be Feminists

We Should All Be Feminists

 

  さて、前回チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集を紹介したが、アディーチェは自らをフェミニストだと宣言し、このような本も出版されている。2012年にTEDで行った講演を修正して本にしたものらしい。


 アディーチェは、14歳のとき、兄のような存在だった幼なじみと言いあいになって、はじめてフェミニストと呼ばれたと語る。そのときは、言葉の意味がわからなかったが、それからも自分ではとくに意識していなくても、書いたものを読んだ人たちから、フェミニストだと烙印を押され続ける。
 あえて“烙印を押す”と書いたが、アディーチェのことをフェミニストだと呼ぶ人たちは、決してほめているわけではない。


 2003年に『パープル・ハイビスカス』という小説を書いたアディーチェは、フェミニスト扱いされるようになり、ジャーナリストらしい男性から忠告を受ける。(”Nigerians, as you might know, are very quick to give unsolicited advice” とのことで、頼んでもない忠告をいちいち言ってくる習性があるようだ)

his advice to me - he was shaking his head sadly as he spoke – was that I should never call myself a feminist, since feminists are women who are unhappy because they cannot find husbands.
So I decided to call myself a Happy Feminist.
(彼はこう忠告した――悲しげに首をふりながら――決して自分自身のことをフェミニストと呼んではいけない。なぜなら、フェミニストというのは、夫を手に入れられなくて不幸な女だからだ、と。なので、わたしは自分のことを幸せなフェミニストと呼ぶことにした)

 

  しかし、このジャーナリストのおっさん以外にも、アディーチェは次々とフェミニストと自称するべきではないと忠告される。アフリカの文化にはそぐわない、男を憎んでいると思われる、男の脅威になる……


 子供の時、自分がクラスで成績が一番だったのに、先生は二番の男子にクラス長を任命したことや、大人になってからは、自分がチップを出しても、受け取る方は一緒にいる男友達に礼を言うことや(彼の財布から出ていると思うらしい)、女が高級ホテルにひとりで入ると売春婦のように思われることなど、身近な経験を例にあげて考えを深める。


 また、ナイジェリアよりずっと男女平等が進んでいるはずのアメリカの会社で働く女友達たちも、「怖い女」と部下から糾弾されたり、上司にまともに取り合ってもらえなかったり――「怖い女」と思われるのが怖くて告発できなかった――と、企業社会で苦しんでいる。アディーチェは、世界中どこでも、女性は他人から“好ましく”思われないといけないという呪縛があることに衝撃を受ける。


 アディーチェのアフリカでの実体験は、西欧や日本では表面的にはもう起こらないだろうことも含まれているが、結局のところ、日本もまったく同レベルだと感じた。
 女は、結婚することが人生の最大の喜びであり、目標にするよう教育され、そのためには、男をおびやかさないよう気をつけなければいけない。

 アディーチェの知り合いには、結婚するために家を売った女性や(結婚相手を萎縮させないように)、また、未婚だと軽んじられるので、公式な場に出るときは、未婚なのにもかかわらず結婚指輪をつける女性もいるらしい。また、知り合いの夫婦は、夫も妻も、まったく同じように働いているが、家事はおもに妻がしており、夫が子供のおむつを替えたら、妻が「ありがとう」と言う――日本でもよく聞く話ですね。


とくに考えさせられたのが、このくだりで、

It is easy to say, ‘But women can just say no to all this.’ But the reality is more difficult, more complex. We are all social beings. We internalize ideas from our socialization.
(「そういったすべてに対して、女性が拒否すればいいだけじゃないか」と言うのはたやすい。けれど、現実はもっと困難で複雑だ。わたしたちはこの社会に存在している。自分たちの生きている社会の価値観を内面化してしまうのだ)

 

 世間の目や社会の価値観など、まったく気にせず背を向けることができたら、それでいいのかもしれない。けれど、やはりなかなか難しい。アディーチェが書いているように、私たちは世間から隔絶して生きているわけではなく、社会の波にもまれて暮らしているのだ。そのなかでほんとうに自由に生きるためには、声をあげて社会に訴えていく必要があるのだろう。


 アディーチェは、まずは教育から変えるべきと説く。“男らしく”“女らしく(男をおびやかさない)”という呪縛を解き放つ必要があると強調する。アディーチェの言うとおり、いつの日か、自分も含めて多くの人が、そういう呪縛から解き放たれる日が来たらいいとほんとうに思った。


 ちなみに、この本は洋書ですが、アディーチェの翻訳者くぼたのぞみさんのブログによると、『神奈川大学評論』に翻訳を載せているようです。一般の書店には売ってないと思いますが…

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