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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

ニキ・ド・サンファル展とオノ・ヨーコ展 (そしてハリー・マシューズの『シガレット』)

 週末、東京に遊びに行ったので、国立新美術館東京都現代美術館をまわってきました。

 まずは、国立新美術館の「ニキ・ド・サンファル」展から。
 フランスで生まれ、そしてアメリカで裕福な少女時代を過ごし、19歳の若さで結婚したニキ。二人の子供にも恵まれ、はたから見ると絵に描いたような幸せな日々を送っていたはずが、重度の精神疾患に陥り、病から回復するために芸術にうちこむ。

 初期の作品は、いかにもジャクソン・ポロック風な作品だったり、芸術家ニキの名を世に知らしめた「射撃絵画」(銃で絵の具を撃つことによって、オブジェにランダムに色をつける)もアイディア勝負のようなパフォーマンスだったりと、60年代によくいたアーティストのひとりに過ぎなかったが(と、私は思った)、原色でいきいきと彩られた女性――ナナ――を発表してから、ニキのオリジナリティーが開花する。
 土偶のようでもあり、ポップアートの先駆けでもあるような、“ナナ”を目にしたことがある人は多いでしょうが、実物は思っていたより大きく、美術館の部屋に並んでいる図は壮観だった。

 正直なところ、ニキが作りあげた“ナナ”の姿――女性性が強調され、母性が賛美されているかのような――は、いまの目からすると、少々無邪気すぎるようにも感じられた。また、ニキは女性だけでなく、“黒人”の美しさもたたえ、会場で流されていた映像では「黒人と女性が手を組んで、社会を支配する側にまわれば、もっとよりよい社会を作ることができる」と話していたが、この2015年の混沌とした社会情勢から考えると、これもナイーヴ過ぎる発言のように感じてしまうのも否めない。

 たしかに、女性は1960年代や70年代から比較にならないほど、社会進出をはたしている。アメリカでは黒人の大統領もうまれた。けれども差別がなくなったわけでは決してなく、目に見えない表面化しないところで分断は続いている。社会進出する女性は増えたけれど、貧困化する女性もまた増えている。人種差別が悪だというのは、グローバル・スタンダードになったけれど、テロや紛争はいっこうに収束しないまま、難民があふれている。

 でも、だからこそ、素朴とすら思えるようなニキのアートの意義が、いまの時代に必要なものなのかもしれないとも思った。このあとに見た、東京都現代美術館でのオノ・ヨーコ展でも同じような感想をいだいた。

 オノ・ヨーコの「カット・ピース」といった自分の服を切らせるパフォーマンスや、”Yes” や “War is Over (if you want it)” といったメッセージ、観客にインストラクションを与えるアート――そう、メッセージやインストラクションを、そのまま「伝える」ことができると信じている(ように思える)ところが、いまの時代からすると、素朴に感じてしまう。コミュニケーションは分断されている、ということを前提とした現代アート(私の偏見かもしれないが)との隔たりを感じる。
 でも、こういう女性たちが、いまの時代にたくさんいたら、世の中はもっと、いや、せめてもう少しは、よくなっていたかもしれない、なんて考えたりもしてしまいました。


 ところで、これを書くにあたり、ニキについて検索したところ、ニキの最初の夫がハリー・マシューズだと(いまごろ)知っておどろきました。
 ハリー・マシューズは、ジョン・アッシュベリージョルジュ・ペレックなどとともに、実験的文学集団ウリポに所属した作家で、『シガレット』が少し前に翻訳されて話題になっていたので、私も読みました。

シガレット (エクス・リブリス)

シガレット (エクス・リブリス)

 

  ふだん本を読むときは、なんにも考えないで読むのですが、なかなか複雑に構成された小説なので、人物相関図のメモをとりながら読みました。といっても、ストーリーがわかりにくい難解な小説ではまったくなく、たいへん読みやすい群像劇で、各章ごとに、よくできたひとつの短編小説を読むような気持ちで楽しむこともでき、そして最後には語り手の「私」の正体がわかるという仕掛けもあり、おすすめします。