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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

世界文学とはなにか? 『やっぱり世界は文学でできている』 沼野充義編著

 前回、カフカの『変身』について、『世界は文学でできている』を引用しましたが、続編にあたる『やっぱり世界は文学でできている』もあわせて読んでいます。

  続編といっても、世界文学をめぐる対談集で、第二弾のこの本のなかでは、フランス文学者・翻訳家である野崎歓と、以前書評集を紹介した都甲幸治との対談がおもしろかった。


 野崎さんとの対談で語られるフランス文学論や、文学の映画化についての話もかなり興味深かったが(なんでもロシアでは、カフカの『変身』を映画化した監督がいるらしい。たしかにどんな虫になっているのか気になる)、一番興味をひかれたのは、野崎さんが新訳した、ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』について、ヴィアンは奥さんをサルトルに寝取られたという話だった。
 そういえば、『うたかたの日々』って、たしかサルトルらしきひと、出ていなかったっけ……と思い、手持ちの『うたかたの日々』を見たところ(野崎訳ではなく、ハヤカワ文庫のものですが)、 

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

 

  コランの友達のシックとアリーズのカップルが、哲学者パルトルの信者なのだった。けれど、ヴィアンはアリーズに「パルトルよか、あなたの方が好きだもの」と言わしています。ちょっとした意趣返しでしょうか。
 この対談に戻ると、「ヴィアンは、自作を気が進まないままに映画化され、試写会に出かけていって、映画のタイトルが流れ始めた瞬間、心臓マヒを起こして死んでしまいました」とのこと。


 都甲さんとの対談は、最初から最後までなるほどな~と思うことばかりだったが、とくに印象に残ったのは、デイヴィッド・ダムロッシュという比較文学者(もちろん私は初耳だったが)が書いた『世界文学とは何か?』という本についての話だった。
 比較文学というとなんだか小難しそうな気がするが、ダムロッシュが言う世界文学の面白さは、

1:旅は楽しい
2:多様性はいいことだ
3:翻訳は豊かにする

 とのことで、どれもシンプルで、かつ深く納得できる。
 「多様性をそれ自体いいことだと感じることのできる感性」が世界文学を鑑賞するうえで大事とのことだが、文学のみならず、生活のあらゆる面において必要だとつくづく感じる。わかっていながらも、油断するとすぐに見失い、すぐに自分のわずかな経験値と偏狭な価値観で物事を判断してしまうから、ほんとうに危険だ。

 あと、多和田葉子は「Hamlet No Sea」という詩を朗読していて、詩なんて理解できる自信はまったくないけれども、字面で読んだだけでも非常におもしろく、ぜひとも生で聞いてみたいと思った。

 そして、この対談集でなにより考えさせられたのは、「おわりに」での沼野さんの文章だ。

大学の文学部という、いつ消滅するかもわからない組織に身を置く人間としては、小手先の制度改革で「集客」の努力をするよりは、狭い縄張り意識を捨てて、新しい世界文学の場を創出することを目指すべきではないかと思う。いささか空想的な提案だとは思いつつ、あえて言うが、シェイクスピアドストエフスキーバルザックカフカやフォークナーや大江健三郎を読むことが宇宙の起源を探ることと同じくらい面白く、ブルーノ・シュルツヨシフ・ブロツキー多和田葉子を研究することが原子炉の設計よりも遥かに大事であると思えるような充実した文学体験が可能な場を、社会の中にきちんと作っていかなければならない。(略)
冗談と思われるかもしれないが、政治家の中に若いころそういった体験をした人が一人でも増えれば、世の中は少しだけでもよくなると私は真面目に信じている。 

  これが書かれたのは2013年ですが、2015年の現在、ますます「文学部的なもの」は消滅の道を歩んでいる。局地的な話ですが、昨日は大阪で選挙があったので(これほど行く気がしない選挙もなかったが。一応行ったけど)、そんな思いをいっそう強く感じる。
 いや、世の中を少しでもよくしたいとか、次世代の子供たちの未来がなにより大事だとかは、正直なところ、私自身まだ思えず、自分の身のまわりのことしか考えられないのだけれど、とりあえずは、思考停止せず、自分の手の届くところから、ささやかながらも、なにか行動をおこしていく必要があると感じました。