読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

鴨居玲展「踊り候え」、そして鴨居羊子『女は下着でつくられる』

 さて、23日は↓で書いた「恋人たち」を見たあと、梅田から伊丹市立美術館に行き、鴨居玲展「踊り候え」を見てきました。

 もともとは、下着デザイナーとしてチュニックを創業した鴨居羊子の『女は下着でつくられる』 

女は下着でつくられる (鴨居羊子コレクション)

女は下着でつくられる (鴨居羊子コレクション)

 

 を読んで、そこで語られる「絵描きの弟」として興味を持ち、数年前に訪れた長崎県立美術館で実際のを見て、その独特な陰影に魅かれ、もっと見てみたいなーと思っていたところ、個展が開かれたので行ってきました。

 23日は最終日だったせいか、結構にぎわっていた。伊丹市立美術館はおもしろい展示をすることが多いので、これまでも何回か足を運んだことがあるけれど、こんなに人が多いのははじめてだった。ちなみに、伊丹は日本酒で有名なので、美術館に行った帰りに酒蔵で買い物もできて楽しい。

 だいたいの個展がそうであるように、画家の人生を追って絵が展示されていて、スペインやパリで充実した時間を過ごし、そこで出会った人たちをいきいきと描いた作品から、日本に戻ってきて、描く対象を喪失したのか、自画像を何度も何度も描くようになり、そして行き詰まり、自殺をとげるまでの心象が絵にくっきりとあらわれているのが、つらい気分になりつつも、魅きつけられた。とくに、自分の顔のお面を外すと、のっぺらぼうがある絵(下手な説明ですが……)や、これまで自分の描いた人物たちに囲まれて、真っ白なキャンバスの前で呆然とする自画像に見入ってしまった。

 さきの鴨居羊子の本を読み返してみると、昔から「弟は思うように絵が描けないといっては、隣の部屋でカンバスをわざとデバボーチョーで音たてて破ったりしていた」と書いているので、彼にとって、絵を描くことには絶えず苦悩はつきまとい、でも絵を描かない人生は考えられなかったのでしょう。

 けど、この鴨居羊子の『女は下着でつくられる』のなかの、「わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい」は、何度読んでも力強い気分になれる。

 作者が新聞社を辞めて、下着デザイナーとして起業して成功するまでが書かれているのだけれど、いわゆる自己啓発本などとはまったく違い、ひとりの女性が、思い惑ったりしながらも、当時の常識を打ち破って、大胆に商売を手がけていくさまが、率直かつ爽快に書かれている。

 なかでも「ピンクのガーター・ベルト」という章では、作者が新聞社での給料をはたいて、ピンクのガーター・ベルトを買うが、母親に「お嫁にゆくまでしまっておく」ように言われてしまう。そこで、小さい頃から、“お嫁にゆくために……”と、くりかえし言っていた母親に反抗心が生まれ、「母の命にそむいて」買った翌日から、そのガーター・ベルトを着用し、トイレに行くのさえ心待ちにして

ぱっとスカートをめくると、たちまちピンクの世界が開ける。おしっこまでピンク色に染まっているようであった。

 

というくだりは、はてしない解放感と喜びが伝わってくる。読んでいる自分も、一緒に自由な世界に行けるような気がする。いや、鴨居羊子がチュニックを創業した昭和三十年前後から考えると、比べものにならないくらい自由な世界を生きているはずなのだけど。少なくとも社会制度としては。でも、自由な精神を持つことができているかというと……


 けど、自由奔放に生きていたように見える鴨居羊子も、エッセイを読むと、この明治生まれの母親の呪縛からずっと離れられなかったこともよくわかる。
 この本の後半に所収されている「わたしのものよ」では、その母も亡くなり、弟も自殺して(作者は自殺とは書いていないが)、ひとりぼっちになった彼女が、子供時代の家族の思い出を綴っている。その文章は切なく、物悲しい。自由であることは、孤独になることのひきかえなのかも、という気すらする。
 でも、それでもやはり、「ピンク色のおしっこ」のきらめきは失われることはなく、それを追い求めた人生も輝いていたのだと、あらためて思った。