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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

生と死のあいだに忍びこむ闖入者との奇妙な邂逅ーー『夜が来ると』 フィオナ・マクファーレン

 オーストラリアの海辺でひとり暮らしをしている75歳のルースが、朝の4時に目を覚ますと、そこにはトラがいた。いや、トラそのものを見たわけではない。けれど、やはりトラはいたのだ。「低くざらついた呼吸音に、威嚇するような小さな鋭い吠え声」がたしかに感じられたのだ…… 

夜が来ると

夜が来ると

 

  という、不穏な出だしのこの小説。はたしてトラはほんとうにいるのだろうか、それともなにかの象徴なのか、と読者が戸惑っているうちに、次は幻でもなんでもない、ほんものの闖入者があらわれる。

 スーツケースを引きずりながら、突然に家にやってきたその女は、フリーダと名乗り、自治体から派遣されてルースの面倒をみるためにやってきたと言う。もちろん、ルース本人も息子たちもそんなことを依頼していないが、行政のプログラムの一貫として自治体が勝手に――費用も自治体持ちで――よこしてきたらしい。


 ***で、ここからはがっちりネタバレになるので、ご注意ください。***


 上記のくだりを読んで、そんなことってあるの?? オーストラリアは日本と違って、需要を先回りして勝手に派遣してくれる(しかも費用も自治体持ちで)ほどの福祉先進国なのだろうか、と思われたかもしれませんが、当然ながら、世界中どこでもそんなことはないんです。

 冒頭のトラの場面で発揮されていた幻想的で美しい語り口で、オレオレ詐欺をもっと大胆&厚顔にしたような、「新潮45」などで書かれる深刻なノンフィクション(老人を狙った悪辣な犯罪特集、とか)のようなストーリーが展開していく。

 しかし物語はあくまでルースの視点で語られるので、いったいなにが起きているのか、ルース本人にも読者にもなかなか理解できないまま、事態は進展する。初恋の相手リチャード(いまは80歳になっている)との再会。同時に、通いで来ているはずのフリーダがいつのまにやら息子の部屋に住みついていることが判明する。フリーダの弟と名乗るジョージも姿を見せる。そして、五十年の時をこえて、リチャードとついに結ばれる……(もう一度言いますが、いまは80歳)その一方で、どんどんと混濁していくルースの記憶。

 まあはっきり書いてしまうと、誰しもが思うように、フリーダはたくらみを持ってルースの家にあがりこんで来たのだが、それでも、ルースとフリーダの間になんらかの絆のようなものが生じるところが、この小説がノンフィクション、あるいは実際に起こった事件をそのまま小説にしたものと一線を画しているところだと思う。

 とくに、異様に頭が痒くなり、何週間も髪を洗っていないことに気がつき、愕然とするルースの髪をフリーダが洗ってあげる場面によくあらわれている。また、この洗髪からルースが少女時代を回想し、貧しい診療所の医師だったルースの父が患者たち(フィジーの住民たち)の足を洗う儀式を行い、若きリチャードがそれを偽善だと言って非難する場面につながるのだが、ここも非常に印象深い。こういう機微を描くのが上手な作家だと感じた。

 けれど、物語は痛々しい結末に向かう。大まかな筋は予想通りだったが、最後の落とし前については意外な展開だった、というのが読んだ人多くの感想ではないでしょうか。というか、そもそもこの息子たちって……。私も親の面倒をちゃんとみているわけではないので、偉そうなことは言えませんが、でも知らん人が自治体から派遣されたとか言って実家にあがりこんできたら、自治体に電話して確認するくらいはするぞ。タダより怖いものはない、という教訓を再認識した小説でした。