快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

「ナチュラル・ウーマン」として生き延びるために――『微熱休暇』 松浦理英子

 前回の最後に、食べものが出てくる小説では松浦理英子の『微熱休暇』が一番印象深いかもしれないと書いたら、ありありと思い出されてきたので、あらためて読み返してみました。 

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

 

  ちなみに、この『ナチュラル・ウーマン』という本は、まず、主人公容子が大学の漫画サークルで出会った花世と熱烈な恋におちる。だが、花世との関係は袋小路に陥り、破綻する。それから四年ほど過ぎ、漫画の仕事を細々と続ける容子は、スチュワーデスの夕記子と関係を持つが、花世の時と全く異なり、情熱を感じられないままだらだらと一緒にいるだけであった。そして、バイト先で出会った由梨子のことが気になりはじめる……というストーリーが3つの短編で語られ、現在進行形の由梨子との話は、真ん中に置かれている。それがこの『微熱休暇』である。


 以前、最初に読んだときも、由梨子のキャラクターに心ひかれた。容子が夢中になるのもわかる気がした。「爽やかで人好きのする」由梨子は「人一倍生き生きとした表情を見せる」が、実は「本当のところ、人の言う『楽しさ』ってどういうものなのかよくわからないわね。」と語り、「楽しみを追い求めるのが人生だとは思っていないから。」と言う。そして、前回書いたように「おいしい料理はうっとうしい」とも言う。と言うと、単に陰気で弱い人のようだが、その正反対で、かつて由梨子は強くなりたくて腕立て伏せを毎晩三十回以上したとも話す。

強くなりたかった、という由梨子のことばを聞いた時に私は、この人は男を安直には求めない人間だ、と直感した。「強くなりたい」とは、男も含めた自分よりも強い存在に服従したり依存したりしたくないということでもあるから。 

  ふたりは旅行に出かけ(なので「休暇」)、ほんとうの思いをぶつけあったのち、最後は蛸の刺身を食べる。……ってこう書くと、なんか蛸があまりに唐突で、ギャグのような雰囲気すら漂うが、この生の蛸の足を食いちぎっていくシーンが、その直前に描かれた生の気持ちのやりとりと繋がって、胸に残る。

口いっぱいに含んだ蛸を思い切り噛むと旨みが迸り出る。身は弾力性に富み吸盤の歯応えも上々だった。由梨子は蛸に歯を立て何度か咀嚼し呑み下すという一連の動作を正確なリズムで繰り返していた。小さな咀嚼音を耳のそばで聞いていると彼女の食欲と歓びが乗りうつって来るようで、私の歯と舌もいちだんと盛んに動いた。 

 この本には、花世、そして夕記子とのもっと激しい行為も描かれているが、この食べるシーンも同じくらい、なんならそれ以上に印象深い。いや、食べることはセックスと同じ(あるいは象徴)だという通俗論ではなく、この後の『裏ヴァージョン』や『奇貨』でもよくわかるように、松浦理英子は、恋愛やセックスにカテゴライズされない人の心の機微を描くのがほんと上手だなとつくづく感じる。

 足の親指がペニスになった主人公一美をはじめとする、フリークスたちの性愛模様を描き、出版当時おおいに話題になった『親指Pの修行時代』を思い出しても、
 

親指Pの修業時代 上 (河出文庫)

親指Pの修業時代 上 (河出文庫)

 

  いま私の頭に強く残っているのは、激しい性愛シーン(といっても、いやらしい書き方ではまったくない)ではなく、冒頭で自殺する一美の親友遥子の姿だ。厭世的な遥子は恋愛をビジネスに仕立てあげ、恋愛供給会社として成功をおさめるが、最後には、一実に発見されるように準備して自殺する。そして、松浦理英子も脚本で参加した映画版『ナチュラルウーマン』では、花世が容子の「自殺したかつての恋人」となっている。

 「ナチュラル・ウーマン」として生き延びるためには、由梨子のように「強くなりたい」とまっとうに強く願い、毎晩三十回以上の腕立て伏せをしないといけないのだろうか。私にもまったくわからない。

  一方、容子や一実といった主人公たちは、天性の「ナチュラル・ウーマン」として造形されている。好きなものを好きと言い、欲望を素直に発動させる。そこに、花世や遥子が圧倒され死に追いつめられてしまうのが、読者にはわかる。しかし、この『微熱休暇』で由梨子と対峙して、容子ははじめて、

体内に満ちる由梨子への欲望を行動に結びつける経路を見出すことができない。体を重ねたいという欲求と背中合わせに、性的関係を持ちたくないという強い気持ちが存在した。これまで抱いた欲望はのびのびと発散させて来た私にしては奇妙な屈折である。

 という思いを味わう。ここで、天性の「ナチュラル・ウーマン」である容子と「強くなりたかった」由梨子は同じ次元に立つ。この『微熱休暇』は、ふたりの関係のその後までは描いていないが、花世との関係と違い、悲劇的な別れではなく、希望の感じられるラストになっているのは、そのせいだと思う。