快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

ワンダーでひとりぼっちのアリスとキャロル 『不思議の国のアリス』 ルイス・キャロル

 さて、アリスというと、どのアリスを思い浮かべるでしょうか?

  やはり、このオリジナルのものがもっとも有名でしょうか? 

不思議の国のアリス (角川文庫)

不思議の国のアリス (角川文庫)

 

  あるいは、日本なら金子國義のアリスの印象も強いかもしれない。物憂げな表情を見せる、大人びた美少女のアリス。 

不思議の国のアリス (新潮文庫)

不思議の国のアリス (新潮文庫)

 

  もちろんどのアリスも素敵なのですが、今回読んだこの佐々木マキのアリスがたいへん可愛らしく、私の定番のアリスになりました。 

  いま検索したら、このナタリーのサイトでイラストも大きく紹介されています。この眠たげな、でも物憂げではなくひたすらキュートな瞳をしたアリス。

natalie.mu

  高山宏の訳も、訳者あとがきで「何にも余計に縛られることもなく、思いのまま自由に遊ぶことを楽しみぬいた訳です」と書いているだけあって、ほんとうにとにかく楽しく読める。矢川澄子の語り口調の訳も非常に読みやすくておもしろいし、よい作品はよい訳者にめぐりあえるんだな、と当たり前のことを考えた。

 ちなみに、有名な ”A Mad Tea Party” は、矢川澄子の訳では「め茶く茶会」で、高山宏の訳では、「気がふれ茶った会」です。さすがですね。「気がふれ茶った」の方が原文に近い気もするが、「め茶く茶」もなかなか捨てがたい。

  けれど、読む方はひたすら楽しいこの物語、訳す方はほんとたいへんだろうなとつくづく思う。

  まがいタートルとアリスの会話のところなんて、高山宏訳では

 

「海の学校に行ってたんだ。先生は年寄りの海亀だったが、うちら『よくカメ先生』と呼んでた――」

「『よく亀』なんて亀いないのに、どうしてそんな呼び方をしたんです?」アリスがたずねました。

「よく咀嚼、が口ぐせだったからさ」怒った声でまがいタートルが言いました。「ほんとにどこまでばかなんだ!」 

  しかし、「よく咀嚼」→「よくカメ」はちょっと高度な気がする。私も一瞬わからなかったので「どこまでばかなんだ!」と怒られてしまいそうだ。


 矢川澄子の訳では(矢川版は、「まがいタートル」ではなく、「ウミガメモドキ」です) 

「先生は年とったウミガメだったけど、ぼくたちゼニガメってよんでた」

「どうしてゼニガメなんてよんだの、ほんとはそうじゃないのに」アリスが口をだす。

「だってぜにかねとって、勉強をおしえるじゃないか」ウミガメモドキはぷりぷりして、「まったくもう、なんてとろいんだ!」 

  で、こちらは言葉遊びではなく、一般的なジョークにしているぶん、カメのつながりについては、さっきよりもわかりやすい。原文は、 

The master was an old Turtle—we used to call him Tortoise—'

'Why did you call him Tortoise, if he wasn't one?' Alice asked.

'We called him Tortoise because he taught us,' said the Mock Turtle angrily: 'really you are very dull!' 

  と、単にトータスと、”teach” の過去形の ”taught” をかけているだけなんですが、訳すとなるとたしかに難しい。


  ところで、ご存じのように、新潮文庫の表紙の見返しには作者の紹介が載っているのですが、キャロルについては、「童話作家でオックスフォード大学の数学と論理学の教授」と紹介し、続けて「幼い少女たちをこよなく愛し、生涯を独身で通した」と、こんなに小さなスペースなのに、重要なポイントをしっかりと書いてある。


  高山宏の『アリス狩り』によると、「人間嫌いのキャロルは、七歳から十二歳くらいまでの少女にだけは興味をもった」とのことで、この『不思議の国のアリス』のモデルとなった、二十歳年下の美少女アリス・リドゥルに熱をあげて求婚までしている。 

アリス狩り 新版

アリス狩り 新版

 

  当然ながら、リドゥル家とはこじれ、(少女以外の)人付き合いを一切せず、狭い大学村のなかだけで生きていたキャロルはますます内にこもるようになる。そして、アリス・リドゥルは結婚し(「キャロルは結婚式に招待されもしなかった」)、さらにその頃「かねてスキャンダルになっていた少女の裸体写真の一件のため、写真を断念せざるを得なく」なる。歳をとるにつれ「評判の悪い奇癖は晩年には病的にまで」なり、その「気むずかしい晩年」のあと永眠する。「この男が笑うのを、生前見た大人は一人もいなかった。」

 実在のアリス・リドゥルから遠く離れた、物語のアリスは友達だったのだろか? 奇妙な世界でさまようアリスは、自らの分身だったのだろうか?
「『不思議の国』でも『鏡の国』でも、アリスはみごとにひとりぼっちです」――矢川澄子の解説より。矢川澄子にとってのアリスも非常に興味深いが、また今度。 


 それにしても、19世紀の小説家って、ほんとみんなキャラが濃い。
 キャロルがひたすら内に内にひきこもって生きていた同じ頃、かたやヨーロッパの反対側では、父親が何者かに殺害された悲劇のあと、文壇に躍り出たかと思いきや、革命運動に加わってシベリア送りになり、思いをよせていた人妻が未亡人になるやいなや熱烈に口説き落とし、かと思うと結婚すると速攻で気持ちが冷めて愛人と不倫旅行に行き、小説を次々と発表するも賭博にはまって借金まみれになり、そして晩年に最高傑作と言われる『カラマーゾフの兄弟』を発表した、あらゆる意味で超人的なドストエフスキーがいた。いったい何人分の人生を生きているのか。

 個人的には、61歳になって、自分を敬愛する20歳年下の男と結婚して「知人たちを騒然とさせた」(ウィキペディアによると)という、ジョージ・エリオットの生き方を見習ってみたい気もする。っていうか、内海桂子みたいなもんか。