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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

「もう遅いねや」 ーー 『テス』 『萎えた腕』 トマス・ハーディ

 前回のハイスミス見知らぬ乗客』のところで、「ミソジニー」という表現を使ったので、念のため、「ミソジニー」という言葉をGoogle検索してみると、『バクマン。』が取りざたされていておどろいた。
 映画はおもしろく見たけれど、原作はかなり偏っているのだろうか? 映画の監督は、あの傑作『モテキ』の大根氏なので、恋愛方面は補正されていたのだろうか……いや、映画の方は漫画の成功がメインで、恋愛についてはほとんど描かれてなかったな。


 しかしいつも思うけれど、作品にあらわれる思想と、その作品の価値というのは、なかなか複雑な関係にある。というのも、作品であらわされる思想が作者自身の思想とイコールでないことも多いし、また、かりに作者自身が偏った思想を持っていたとしても、作品の価値は衰えない(価値というと判断に難しいが、おもしろさと考えるとわかりやすい)ことも少なくないからである。

というようなことを、トマス・ハーディの『テス』を読んで、あらためて考えました。 

テス 上 (ちくま文庫)

テス 上 (ちくま文庫)

 

  もう古典と呼んでいい作品なので、だいたいのあらすじを書いてしまうと、


 イギリスの田園地帯で育った美少女テスは、貧しいながらも健気に暮らしていたが、親の希望にそって遠縁の金持ちの家に奉公に行く。そこで、その家の放蕩息子アレック――「宿命の男」――は、すっかりテスを気に入り、ことあるごとに口説き、ついにある晩テスは手籠めにされてしまう。
 テスは故郷に戻るが、お腹にはアレックとの子供を宿していた。アレックにはなにも言わず子供を産むが、子供はあっさりと息を引き取る。


 そして数年後、テスは清廉な若者エンジェルと出会って恋におちる。テスは自らの過去ゆえにエンジェルの求婚を拒み続けるが、エンジェルはまったく諦めず、ついにふたりは婚約する。
 婚礼前夜、エンジェルは自らの過ちを告白したいと言い出す。過去に見も知らぬ女と放蕩にふけったことを語るエンジェルに、テスも過去を告白する……


 で、案の定、エンジェルは大激怒するわけです。自分のことはさておいて。あれだけテスを愛していると言ったくせに。いや、まあ愛しているから許せないのかもしれんけど。しかしほんと、過去の話とか、いらんことは言うもんじゃないというのが大きな教訓です。


 エンジェルは二人で暮らすはずの家を出て、ブラジルへ向かう。ていうかブラジルって。せめてヨーロッパ内で我慢できんのかって思いますが。テスはもう生家にも頼れずに、一人で必死に働きはじめる。そしてある日、熱心に会衆に説教をする聖職者の姿を見る。聞き覚えのある声。アレックであった。アレックは過去の荒れた生活を断ち切って、信仰の世界に入っていたのだ。


 しかし、自分の前からいきなり姿を消したテスに再会したアレックは、またも激しく心を動かされる。しかも、まったく知らなかった子供の顛末まで聞かされて仰天し、信仰をなげうって一緒に暮らそうとテスを説得する。


 もうアレックでええやん、と思えて仕方がない。
 アレックは「少なくともぼくは困っているきみを救い出そうとしているのに、とんでもない話、その男は顔も見せず、何もやってくれちゃいないじゃないか!」
「きみが夫と呼んでいる、あの強情っぱりのことなんか、永遠にほっぽっちまえ」
と言うのだが、激しく同意である。


 そして、もうええかと思ったのかどうか、ついにテスも屈し、アレックのもとで囲われの身として暮らし始めるのだが、なんとそこへエンジェルが帰って来る――


 作者ハーディはこの小説のタイトルを、最初 "Too Late Beloved"と考えてたそうだが、まさにその通りである。
 我々の人生でも頻発しますね。「もう遅い」問題。頭の中ではキャロル・キングの "It's Too Late"が流れ、『男女七人秋物語』でさんまがしのぶに言った、「もう遅いねや」が脳裏に浮かびます。(念のため、男女七人のリアルタイム放送時は、まだほんの子供でしたが)


 このちくま文庫の解説でも、「従来から指摘されてきた、エンジェルにおけるダブル・スタンダードの問題」にふれ、エンジェルが都合のいい性差別主義者であるのは、「その通りだと思う。実際テクストは、エンジェルをそのような人物として描き出している。つまり、エンジェルの身勝手さは端から承知のうえなのである。」と書いている通りで、一見まじめで潔癖なエンジェルの身勝手ぶり、その欺瞞が描き出されているところが興味深い。

 エンジェルだけでなく、この物語で一番の悪役のはずのアレックも、いちがいに悪者とは言えず、テスとアレックの関係も、テスが「犯された」とされているが、まるで共犯者であるかように(お互いが「宿命の相手」なのでしょう)読めるところもあり、すべてにおいて一面的な書き方をしていないところが、やはり手練れの書き手だなと、ものすごく今更ながら感じた。


 とは言え、『テス』は物語の展開が古臭いのは事実ですが、こないだの『MONKEY』に掲載された『萎えた腕』(柴田元幸訳)は、『テス』と同じように、イギリスの田園地帯を舞台にした、地主とその妻をめぐる愛憎の物語なのですが、ゴシック小説のような筋立てのせいか、古さを感じずおもしろく読めました。
 この『MONKEY』は、柴田さんはほかにカーソン・マッカラーズを訳していて、村上春樹訳のジャック・ロンドンもあり、ほんと読みごたえありました。 

MONKEY Vol.7 古典復活

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