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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

闇はどこにでもある 『闇の奥』 ジョゼフ・コンラッド

  先日『テス』を読んだときに、作者の思想、立ち位置と作品の価値の問題について、うっすら考えましたが、昔からずっとその問題がつきまとっているのが、このコンラッド『闇の奥』ではないでしょうか。 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 

  19世紀のイギリステムズ川河口。「私」をふくめた船乗りだちはヨットに乗っている。

 一日は穏やかで澄み切った美しい光輝の中で終わろうとしていた。水面は穏やかに輝き、空は一片の染みも浮かべることなく優しい清浄な光を無限に広げていた。河の北に広がるエセックス地方の湿原を覆う靄は光沢のある薄絹のようで、その薄絹は内陸の樹の繁った高台から流れ落ちて、半透明のひだを岸辺の低地に垂らしていた。

 陽は沈み、闇が訪れると、船乗り仲間のマーロウが、「昔はこのあたりも暗黒の土地だったんだ」と口を開き、昔話を語りはじめる――


 子供の頃から地図が大好きだったマーロウは、「蛇のような」アフリカの大河に魅了され、親類のつてを辿って貿易会社に雇われ、蒸気船の船長としてアフリカ大陸に出発する。
 といっても、ドキドキわくわくする波瀾万丈の冒険譚、というような楽しい話ではまったくなく、アフリカの奥地に進むはずのマーロウは、船を浮かべるのに必要なリベットがなくなり、えんえんと足止めをくらう。そこでマーロウが目にするものは、

 一度、道端で野営をしている白人と出逢った。お供のひょろりとしたザンジバル人は銃を持っていた。軍服の前ボタンを全部外した白人は、やけに愛想がよくて陽気で、酔っぱらってるんじゃないかと思うほどだった。……
俺はその五キロほど先で、額に銃弾の穴があいた黒人の中年男の死体にまともに躓いてしまったが、そうやって死体にするのは永久に効果の続く蛮人の教化法とみなされているのかもしれなかった。

 白人たちは、祖国を遠く離れた過酷な環境でばたばたと倒れ、あるいは、どんどんと頭のたがが外れ、現地の黒人たちは、そんな白人たちに虐待され、こき使われている。いつまで経ってもリベットは届かない。

彼ら(黒人たち)は罪人と呼ばれていた。侵害された”法”が砲弾のように黒人たちに襲いかかったわけだが、彼らにとってそれは海の向こうからやってきた不可解な神秘なのだ。

 コンラッドは、現在に至るまで、帝国主義的だ、人種差別主義者だという批判を受けているわけですが、上記の引用部分にあるように、現地の黒人が「海の向こうからやってきた不可解な神秘」に虐げられる理不尽な状況を描いているので、コンラッドがとくに人種差別的だとは感じられなかった。
 とはいえ、当時の現実をありのままに描いているのだとしても、アフリカの人が読んだら不快になるというのはわかるけれど。

 そもそもコンラッドは、『アンクル・トムの小屋』のストウ夫人のように、「人種差別反対!」などを訴えるために『闇の中』を描いたのではなく、純粋な読み物として、一種の冒険譚を書いたのだから、訳者の黒原さんの解説にあるように、「リンゴを描いた絵をミカンが描けていないと批判しても仕方がないのではないか」というのが正しいように思う。
 ちなみに、この時代は、スティーヴンスンの『宝島』や、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』『海底二万マイル』などが次々に世に出て、冒険譚ブーム(もちろん、帝国主義に密接に関連しているのだが)であったようです。


 そうしてマーロウは、会社の出張所の白人たちから、クルツという社員の噂を次々と耳にする。信じられないくらい多くの象牙を集めることに成功し、現地で伝説的な存在となっているらしい。とにかくクルツに一目会って、話をしたい。その思いにマーロウは取り憑かれるようになり……

誰にも束縛されずに歩いていく人間が、孤独をくぐり抜け、静寂を通り抜けて、原始の世界のどんな異様な場所へたどり着いてしまうことがあるか、君らにわかるはずがない。……
馬鹿が悪魔に魂を売ったためしはない。馬鹿が馬鹿すぎるせいか、悪魔が悪魔的すぎるせいか――どっちなのかは知らないがね。

 この「闇」というのは、マーロウが向かうアフリカの奥地を具体的に指しているわけではない。クルツの運命とも言えるし、まわりの白人たちの態度、黒人への仕打ち、この小説すべてが「闇」と読める。この物語の最後に出てくる、クルツの婚約者とマーロウが交わす会話が、一番の「闇」のようにも感じられた。
 黒原さんの解説では、ダンテの『神曲』など、そのほかに「闇」を描いた作品をあげているが、なかでも、コーマック・マッカシーの『ブラッド・メリディアン』は読まないと!と思った。


 しかし、コンラッドから百年以上たったいまでも、アフリカという大陸には、闇とロマンが感じられる。千原せいじのアフリカ旅もつい見てしまう。
 このマーロウをせいじに頭のなかでおきかえて読んでみると、それはそれでおもしろい。アフリカで「なんでリベット届かへんねん!」ってぼやいてたり、「あいつ(クルツ)狂ってるやんけ!」って言ってみたり。