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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

いったいどうしたらこの苦しみのラビリンスから抜け出せるのか? 『アラスカを追いかけて』(ジョン・グリーン著 伊達淳訳)

100日前――
「もう何回も聞かれてウンザリかもしれないけど、でもどうしてアラスカなの?」……
「あたしの七歳の時の誕生日プレゼントが、自分で名前を決めていいってことだったわけ。なかなかステキな話でしょ? だからあたしは本当にカッコいいって思える名前を探そうと思って、一日中パパの部屋で地球儀とにらめっこよ。最初に選んだのがチャドだったんだけど――チャドって知ってる? アフリカの国――パパがそれは男の子の名前だって言うから、それでアラスカにしたの」 

   前に書いた『さよならを待つふたりのために』がおもしろかったので、ジョン・グリーンのデビュー作『アラスカを追いかけて』も読んでみました。 

アラスカを追いかけて

アラスカを追いかけて

 

  物語は主人公の「ぼく」が、フロリダの実家を出て、アラバマの寄宿学校に転校するところからはじまる。「ぼく」はひょろひょろと背が高く、おそらくイケてない方の男子であり、実際、フロリダの学校を離れるにあたり、母親が強引にフェアウェル・パーティーを開いたものの、顔を出したのは友達でもなんでもない二人のクラスメートだけだった。
 なので「ぼく」は、そんなフロリダでの「退屈な毎日に見切りをつけ」、ラブレーの最期の言葉『私は偉大なるもしかしてを探しに行くのだ』という言葉にあやかって、〈偉大なるもしかして〉を探しにアラバマに旅立つ。(「ぼく」の趣味は、偉人たちの最期の言葉を収集することである)


 そしてアラバマで「ぼく」を待ち受けていたものは、ルームメイトのカーネルやタクミといった友人たちと、読書家で、自由奔放な気分屋で、でも繊細なアラスカとの出会いに、いたずらや悪ふざけが満載のスリリングなめくるめく日々だった……というと、なんだかできすぎのような話ですが、ほんと、アメリカの寄宿学校ってこんなに楽しいものなの?? と思ってしまった。
 寮では隠し持ったタバコや酒で宴会を開き、即興ラップ大会をしたり、休日にはダブルデートでバスケットボールを見に行き、ときにはいたずらで先生をからかったり、対立するお金持ちグループに悪ふざけを仕掛けたりする毎日。フロリダでの冴えない退屈な日々が嘘のような極彩色の時間。

 とくに、感謝祭の休暇のあいだ、ほかの生徒たちはみんな家に戻ったけれど、家に帰りたくないアラスカと「ぼく」がふたりで寮に残るシーンでは、アラスカはHビデオを見ようと言い出して、ふたりで鑑賞し、「少し眠らせて」と横で眠る。アラスカは「ぼく」にヴォネガットの『猫のゆりかご』を読み聞かせたりもする。こりゃもう惚れてまうやろ!(古いけど)と思わず口に出しそうになった。

どんな小説もアラスカが読んでくれれば、それだけでその本を好きになれるような気がした。 

 

 ぼくもソファの上、彼女の隣で横になりたいと思った。彼女の体に腕を回し、眠りたかった。エッチをするんじゃない。あんなビデオで見たようなことをしたいんじゃない。セックスとか、そういうことではなく、ただ、とても純粋な意味で一緒に眠りたかった。でもそんな勇気はなく、彼女には彼氏がいて、ぼくはドジだけど彼女はステキで、ぼくはどうしようもなく退屈な男だけど彼女はどこまでも魅力的で、

 ところが、ある事件が起き、それまでの学校生活は一変する。冒頭の引用にも出ていた日付表示は、その事件の日が基準となっている。私はアマゾンのレビューとかなにも読んでいなかったので、かなりおどろいた。いや、読み返したら、伏線となるものは頻出しているが、青春の楽しいラブコメ話かと思いこんでいたので。

 退屈と孤独から逃れるため親元を離れた「ぼく」は、アラバマで「本当の友達」や生きている実感をようやく手にして、〈偉大なるもしかして〉も見つかるかと思った矢先に、アラスカがよく話していた苦しみのラビリンス――ガルシア・マルケスの『迷宮の将軍』に出てくる言葉――に迷いこんでしまう。

「そこが謎なのよね。ラビリンスっていうのは生きることなのか、死ぬことなのか。彼はどっちから逃れようとしていたのか――世界からか、あるいは世界の終わりからか」 

  ここで、物語の最初から描かれているジジイ先生による宗教学の授業がすごくいい役割をはたしている。いつまでたっても納得できず、なかなか諦められなかった「ぼく」も、最後には許す。前向きに諦めるということは、許すということなんだなとあらためて思った。

ラビリンスに絡め取られながら生きていくためにぼくたちは許し合わないといけないということを、言えず終いだった。 

 

 希望を捨てる必要はない。ぼくたちは、どうしようもないほど崩壊してしまうことなどないのだから。 

 

 諦めること。受け入れること。許すこと。許されること。どれも簡単にできることではないけれど、そう、崩壊してしまうことはない。私たちは"indestructive" で "invincible" なのである。


  ところで最後に、ここの寮の食事で「たっぷりの油で揚げた豆のブリート」で、めちゃめちゃおいしいらしい「ビュフライード」(“bufriedo”)が出てくるので、どういう料理なんだろう? と検索したところ、ジョン・グリーンのサイトのQ&Aにヒットし、どうやらジョン・グリーンの想像の料理(自分が寮で食べた料理がもとになっているようだが)とのことでした。