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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

ぶかっこうな女の子のぶかっこうな恋愛 『エレナーとパーク』(レインボー・ローウェル著・三辺律子訳)

YA・青春小説 翻訳本 三辺律子

今週のお題「わたしの本棚」ということなのでーー

 転入生の女の子は深く息を吸いこむと、通路を歩きはじめた。だれもそっちを見ようとしない。パークも見ないようにしたけど、だめだ、列車事故が月蝕かって感じ。目が引付られる。
 転入生は、まさにこういう目にあいそうなタイプだった。
 転入生ってだけじゃない、大柄だし、ぶかっこうだし、髪は真っ赤なうえにひどいくせっ毛だ。おまけに服は…あれじゃ見てくれって言ってるようなもんだ。それとも、自分がどんなにひどいか、わかってないとか?……とてもじゃないけど、この弱肉強食の世界じゃ生きていけない。

 1980年代のアメリカを舞台に、韓国系の少年パークが通う学校に、「大柄だし、ぶかっこう」なエレナーが転校してくるところから物語がはじまる。1980年であっても現代であっても、アメリカであっても日本であっても、学校生活とは同じようなもので、もうグループやヒエラルキーが完全に固定してしまっていて、エレナーの居場所はない。
 スクールバスの席すら見つからず、パークがしかたなく自分の横に座らせる。お互いに嫌々ながら毎日並んで座っていたが、そのうちパークの読んでいるコミックを一緒に読むようになり…… 

エレナーとパーク Eleanor&Park

エレナーとパーク Eleanor&Park

 

 で、恋におちるわけです。しかし、前回の『アラスカを追いかけて』にしても、ほんと向こうの高校生はリア充だなと恐れいった。いや、どちらも浮かれた恋愛話ではまったくなく、深刻な話なのですが。けど、ロッキンオン・ジャパンや岡崎京子のマンガを読みふけったりしていた(いかにも90年代って感じですが)自分の高校生活とくらべるとどうしてもそう思わざるを得ない。

 日本の学校では、異性交遊がお盛んなのは体育会系の人気者とか、ヤンキーっぽい人種がメインで、文科系男女は同性の友達と二次元の世界にふける傾向があるように思うのだけれど(いまは違うかもしれんけど)、アメリカの小説や映画を見ていると、文科系であっても、なんならオタクであっても、現実社会で彼氏彼女を作ろうとするから、やっぱりカップル文化が強いんだなとつくづく感じる。ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』とか。まあ、オスカー・ワオは特殊なような気もするけど。


 そして、この小説の肝となるのが、学校の大多数の人間から浮きあがっている(ゆえの)ふたりの強い結びつき。とくにエレナーは、上の引用にもあるように、女子としての魅力は非常に薄い。実際にブサイクかどうかという問題ではなく、ただ、自分は太っていて不格好だと思いこんでいるため、かわいらしい格好をすることにひどく抵抗のある女の子。自分がおしゃれしようとしたり、女子らしい服を着ようとしたら、きっと笑いものになると思い、傍から見ると奇妙な格好をして、いっそう周囲からバカにされる女の子。こういう女子は、そんなに珍しくはないと思う。
 
 けれど、パークみたいに、独特ではあるけれど、それなりに女子からも好かれる男子が、エレナーみたいな女の子の良さを理解して好きになり、自分が守ろうと決心するなんてことはあり得るのだろうか…? とつい考えてしまった。しかも高校生で。いや、男性はいくら歳をとっても、女性の見方が成長することはないように感じるので、年齢は関係ないか。若くてかわいらしくて頭がぼんやりしてそうな女の子しか好まない、ええ歳したおっさんもいっぱいいるし。
 私のこれまでの生活圏では、パークみたいな男の子なんて見たことないと思えてならないけれど、それはきっと私の「男を見る目」が悪いせいで、そういうまっとうな男子をスルーしてこれまで生きてきてしまったのだろう……とうっかり自省モードに入ってしまいました。


 って、どうでもいいことを書き連ねましたが、この小説ではまた、エレナーの悲惨な家庭環境がしっかり書きこまれているところも、読みごたえがある。

 どなり声で目を覚ました。リッチーがどなってる。なんて言ってるのかは、わからない。
 どなり声にまざって、母親の泣き声が聞こえてきた。長いあいだ、泣いていたような声。あんな声を子どもたちに聞かせるなんて、正気じゃない。

 と、家にはリッチーという母親の恋人が父親代わりとして居座っているのだが、まあ、絵に描いたような「クズ男」の暴れん坊である。けれど、リッチーのひどさはそれなりにわかりやすいのだが、リッチーに捨てられたり痛めつけられることを恐れて、子どもを守ろうとしない実の母親、ふだんはまったく無関心なのに都合のいいときだけ連絡してきて、子どもを小間使いのように扱う実の父親の姿が読んでいて苦しくなる。
 エレナーとパークが親密になればなるほど、エレナーはどんどんと家に居場所がなくなり、ついには家を出ることを余儀なくされる……

 エレナーを呼びもどそうとするのはやめた。……
 エレナーのせいで、ぜんぶめちゃくちゃだ。
 エレナーがいなくなったから。
 パークは、エレナーを呼びもどそうとするのはやめた。

 大人の恋愛であれば、もちろん家を出て自活することができる。けれど、高校生の恋愛ではそうはいかない。環境によってあっさりと引き裂かれるかもしれない。この切なさの表現がうまいな、と思いました。このあたりはぜひ読んでみてください。


 この小説は映画化が決定しているようで、訳者あとがきによると、作者レインボー・ローウェルは、「エレナー役を、すでに売れている(美人でスリムな)ハリウッド女優にはしないでほしい」と言っているとのこと。たしかにその通り。けれど、日本でいうと「ブスの瞳に恋してる」的な、ブス=性格美人みたいな安易な描き方をされても嫌だけど。どんな感じになるのか楽しみですね。