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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

ブコウスキー流青春放浪記 『勝手に生きろ!』 チャールズ・ブコウスキー著 都甲幸治訳

親父が毎晩家に帰ってきてから、おふくろを相手にえんえんと仕事の話をし続けたことを思い出した。親父が玄関のドアを開けると同時にいきなり仕事の話は始まり、夕食の最中だろうがなんだろうが、八時に親父が寝室から「電気を消せ」と叫ぶまで続いた。親父はそうやって充分な休息を取り、翌日の仕事のための英気を養ったというわけだ。とにかく仕事の話、それしかなかった。  

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

 

  と、この『勝手に生きろ!』の主人公であり、作者ブコウスキーの分身ともいえるヘンリー・チナスキーは、父親のことを突き放してこう語るのだが、この小説も、原文のタイトル『Factotum』(なんでも屋)がしめす通り、結局「とにかく仕事の話」である。


 とにかく誰にでもできそうな仕事を見つけ、速攻で応募して、みごとに採用され働きはじめるが、瞬く間にトラブルを起こし、クビになるか自分から辞める。よっぽど働くのがイヤなのかと思いきや、また速攻で次の仕事を見つけ、採用され働きはじめる……というのを、アメリカ中を移動しながら際限なくくり返す。労働意欲があるんだかないんだかわからないが、冒頭の引用からうかがえるように、金にうるさい働き者であった父親からの遺伝、というか呪いと、それに抗おうとする自らの意志と考えたら、たしかに納得できる。もちろんこの解釈は、訳者あとがきの

実際チナスキーは、まるで誰かに強制でもされたかのように何度も何度も新しい職に就いてはクビになり、あるいは自分から飛び出す。彼を駆り立てるのはいったい誰の声なのか。父親の声である。 

  に依拠しているのですが。


 けど、いくら「誰にでもできそうな仕事」といっても、これだけ矢継ぎ早に転職していくのは、ある意味すごいと感じる。具体的にあげていくと、雑誌の配送会社での検品、新聞社の組版部屋で文字借り係、車部品の卸売店での検品、地下鉄の広告貼り、犬のビスケット工場……などなどなどなど。

 まあ、第二次大戦中で男手が足りないということと、あとおそらく、チナスキー以外の応募者は、この「誰にでもできそうな仕事」もできそうにないレベルの人間が大多数で、そんななかで2年間カレッジに行ったチナスキーは、「誰にでもできそうな仕事」界のエリートだったのでしょう。実際、職安での場面では

三つの質問に答えさえすればよかった。
「あなたは働けますか?」
「働く気はありますか?」
「仕事があったら責任を持って引き受けますか?」
「はい! はい! はい!」おれはいつもそう言った。
先週応募した三つの会社のリストも出さなくちゃならなかった。おれは電話帳から名前と住所を適当に選んだ。失業保険をもらっているやつらを見ていていつもおれが驚くのは、三つの質問のどれかに「いいえ」と答えるやつがいることだった。

  この小説は、作者自身の青春時代をモデルにした、日本でも外国でもよくある「青春放浪記」小説と言えるのだろう。だが、このジャンルにおさめようとしても違和感を感じる。なぜかと考えたら、ふつうの「青春放浪記」小説は、仕事(将来の夢)と恋愛が二本柱になっているものであり、この小説もたしかにその二つが核になっていると言えるが、しかし、適当な仕事については次々と投げ出してばかりだし、恋愛についても、仕事と同じように行き当たりばったりに女と寝ることのくり返しである。ジャンとの関係は、恋愛と呼べないこともないような気もするが、それでも通常の「青春小説」で描かれる類の恋愛ではない。そう、なんだか青春小説のパロディのように感じられる。

 いや実際は、「誰にでもできそうな仕事」の合間に、小説が採用されたりもしているので、書くことには真剣に向きあっていたのだろうと思われるが、この小説ではそこに多くのページが割かれていない。下記の引用は、この小説で書くことについて語っている数少ない場面であり、「飢えた芸術家なんて神話はでっち上げだ」からわかるように、ブコウスキーはストイックかつ深刻に芸術ぶる姿に欺瞞(でっち上げ)を感じていたからこそ、この唯一無二のブコウスキー・スタイルが生まれ、晩年の怪作『パルプ』に通じるんだなとあらためて思った。

必要なのは希望だ。希望がないことくらい、やる気をそぐことはない。おれはニューオリンズでの日々を思い出した。書く時間欲しさに、一日五セントのキャンディ二本で何週間も暮らした。でも、空腹がおれの芸術を高めることはなかった。かえって邪魔になっただけだ。人間の魂の根本は胃にある。飢えた芸術家なんて神話はでっち上げだ。いったんすべてがでっち上げとわかると、今度はうまくたちまわり、他人から絞り取るようになる。おれは無力な男女や子供のやつれ果てた体の上に帝国を築いてやる――絶対やってやる。見てろよ!