読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

女たち、そして書くことへの愛と忠誠 『詩人と女たち』(チャールズ・ブコウスキー 中川五郎訳)

 さて、ブコウスキー・シリーズ、今度は代表作と言っていい『詩人と女たち』を読みました。 

詩人と女たち (河出文庫)

詩人と女たち (河出文庫)

 

  『勝手に生きろ!』では日雇い労働のような仕事を転々とし、それから五十歳くらいまで郵便局員として働いたブコウスキーだが、ついにアメリカの若者から熱狂的に支持される詩人になったのが、この本を読むとよくわかる。あちらこちらから朗読会の依頼がひっきりなしに届き、ファンレターも次々と送られてくる。そして往々にして、朗読会やファンレターには生身の女もついてくる……


 が、ブコウスキー自身はとくに変化したわけではなく、『勝手に生きろ!』で、仕事に就いては辞めというのを、感心するくらいえんえんと何度も何度もくり返していたのと同じように、この『詩人と女たち』では、女と出会って恋におち(ほんとうに恋におちる相手は限られているが)、でもすぐにうまくいかなくなって別れるというのが、そんなにモテてうらやましい!と思えるレベルをはるかに超え、あきれるくらいえんえんとくり返される。


 ヤリチンとメンヘラ女たちの物語、と一言で言ってしまうと身も蓋もないが(しかし、このフレーズを使うと、世の中のほとんどの小説はこう言い切れる気がしますね。『源氏物語』とか。『ノルウェイの森』だってそう呼べそうな気がする)、しかしブコウスキーの分身である主人公チナスキーは、単純に女の身体をモノにしたいとか、とにかく数多くの女とやりたいと思っているわけではない。女を支配したいわけでもない。

 来るもの拒まずで、手当たり次第に女と関係を持っているように見えるが、というか、この小説においては事実その通りなのだが、強烈に女になにかを求めている。しかし、女と気持ちを通じあわせたときに生まれたように感じたなにかはすぐに胡散霧消し、女との関係はすぐに泥沼にはまるか、あるいは泥沼までも行くことなく、フェイドアウトする。

見たとおりの彼女たちをわたしは受け入れる。しかし愛はそう簡単には訪れてくれない。訪れるとしても、たいていは間違った理由からだ。ただ愛を抱え続けることにうんざりして、あっさりと解き放してしまうのだ。愛は行き場を求めている。そしてたいていは、やっかいなことが待ち受けていた。 

  そして、そんな狂乱の日々のなかでも、ブコウスキーは書き続ける。日雇い仕事を転々としていたとき、あるいは、毎日毎日郵便局員をしていたときと同じように。書くというのは俯瞰する行為だ。客観的には底辺に近い生活のときでも、人気作家となってからも、ブコウスキーは自己を俯瞰する視点を持ち続ける。


 物語の前半のミューズであるリディアと、その姉妹と一緒に、キャンプ(ブコウスキーからもっとも遠い行為だが)に行くところは、山のなかで迷子になるエピソードも含めて、ブコウスキーのユーモアが発揮されたおもしろいところであり、とくにリディアの姉グレンドリンが(どちらもアーティスト志望のめんどくさい姉妹だ)自分の書いた小説を聞かせるところが興味深い。ブコウスキーは思う。

それほどひどくはなかったが、まだまだプロの仕事とは言えず、かなりの推敲が必要だった。グレンドリンは自分と同じように読者もまた彼女の生活に魅せられるに違いないと思い込んでいた。それが致命的な間違いだった。もうひとつの致命的な間違いは、あまりにも語りすぎということだった。 

 しかし、そんな放埓な日々を送っていたチナスキーだが、健康食レストランを経営するサラと出会う。サラは親しくなっても、なかなか「最後の一線」を超えさせてくれず、チナスキーは手当たりしだいに女と寝る一方で、サラに魅かれていく。

サラはわたしから受けているような仕打ちではなく、もっと大切に扱われて当然だ。人は、たとえ結婚していなくても、お互いに対して何らかの忠誠を尽くさなければならない。ある意味では、法律で義務づけられたり神聖化されたりしないだけに、信頼の方がもっと重きをおかれなければならない。 

  このサラとの未来を暗示する形で物語は終わるのだが、少し甘いというか、男の夢のようにも感じたけれど、中川五郎による訳者あとがきによると、このサラは実際にブコウスキーの妻となった、リンダ・リーをモデルにしているらしい。

 ちなみに、この単行本は、日本ではじめてのブコウスキーの訳書だったため、ブコウスキーのそれまでの生涯と仕事について、丁寧に愛情深く解説されていて、読みごたえがある。その後の文庫版あとがきでは、ブコウスキーが日本の読者にも愛されるようになったことを喜びつつ、その間におこった「とてつもなく悲しいこと」として、ブコウスキーの死を知らせている。そう、

わたしは八十歳まで生きるつもりだった。その時には十八歳の娘とやれるかもしれない。 

って言っていたのに。