快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

”闇の奥”のアマゾンで、ひとりの女性が生まれ変わる 『密林の夢』(アン・パチェット 芹澤恵訳)

アンダーズは結婚の申し込みでもするように、熱っぽくマリーナの手を取った。「いいかい、子どもを生む時期をいくらでも好きなだけ先送りできるんだよ。踏ん切りがつくまで、納得できるまで迷っていられるんだよ。四十五歳くらいが限界じゃないか、なんて思わなくてもよくなるんだ。五十でも、六十でも、たぶんもっとあとになっても。いつでも子どもを産めるようになるってことなんだよ」
アンダーズのそのことばは、直接自分に向けられたもののように感じた。マリーナは四十二歳だった。社屋を出るときは必ず別々に出ることになっている男と、恋愛関係にあった。 

  最近では、ジャネット・ジャクソンが五十歳で出産予定、という仰天ニュースがありましたが、この『密林の夢』では、なんと、アマゾンの奥深くに住む部族の女は「寿命が尽きるまで子どもを産み続けることができる」ことが発見される。 

密林の夢

密林の夢

 

  大手製薬会社に勤めるアンダーズが、実地でその研究をしているアニータ・スウェンソン博士のもとに赴くが、アンダーズはアマゾンで熱病にかかって死亡してしまう。そこで、主人公である同僚のマリーナが、そのおどろくべき研究と、アンダーズの死の原因を調べるためアマゾンに向かう……


 こう書くと、なんだかヘンな話、そんな謎の部族の調査に行くって正直おもしろいの? と感じてしまうかもしれないけれど、これが想像よりはるかにおもしろく、読んでいくうちにどんどんのめりこみ、わりとぶ厚い小説なのだけど一気読みしてしまった。

 まず、冒頭からマリーナの心情が丁寧に描かれているところにひきこまれる。旅立つ前のマリーナの胸には、いくつもひっかかっていることがあった。インド系アメリカ人であるマリーナは、両親の離婚のため父親とはなればなれになり、なかなか会うことができないまま父親は亡くなり、いまでも父親との思い出をくりかえし夢にみる。また、産婦人科の研修医だったころ、たったひとつの、けれど取り返しのつかないミスを犯し、医者の道を断念したのだった。そして、ニ十歳近く年上である、会社のCEOのジム・フォックスとの関係。

 で、そういうモヤっとする案件をいくつも抱えたマリーナが、気が進まないながらもアンダーズの妻カレンと三人の子どもへの同情心もあって、アマゾンに向かうべく、まずマナウスに到着するのだが、そこで足止めをくらう。アニータ・スウェンソン博士は研究の邪魔をされないよう、そう簡単に部外者を入れないように、若い放浪者夫妻に、門番として訪問者の足止めを命じていたのだ。

 マナウスの町で、スウェンソン博士の謎めいた研究生活をさんざん聞かされながらも、なかなかアマゾンの中に入れないというこの構造は、完全にコンラッドの『闇の奥』を思い出した。実際、海外の書評などネットで検索すると引き合いに出されているし、そう意識して書かれているのだろう。ちなみに『闇の奥』も以前感想を書きましたが、この本同様、ヘンな話だけどひきこまれるのでオススメです。 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 

  ここまで、たいしてストーリーは展開していないのだけれど、先に書いたマリーナの心情と、うざいけれども悪者でもなく、なんとなく憎めない放浪者夫妻や、熱帯の町で頼りになる有能な運転手兼世話人など、マナウスの町の人々との交流もかなり読みごたえがある。当初の目的であった、いくつでも子どもが産める研究とやらもどうでもよくなるくらいに。


 で、ようやく、なかば強引にスウェンソン博士について行ってアマゾンの奥地に入るのだが、そこからのアマゾンの豊饒な自然のイメージや、人も木や草も一体化したような生命力に圧倒される。そんな環境のもと、スウェンソン博士や、博士が面倒をみている自然児イースターとの交流を通じて、マリーナが生まれ変わっていく。もっと具体的に言うと、最初に抱いていたモヤっとした気持ちが、見事に解消される。
  それだけでもじゅうぶんなのに、あまりストーリーの大きな起伏のない小説かと思っていたら、最後の最後で思わぬ進展があり、謎が解き明かされ、意外な展開を見せるさまにもおどろかされた。(個人的には、ちょっと「えっ!?」と思うところもあった) 
 
 この物語のあと、生まれ変わったマリーナが、アメリカに戻ってどんな人生を歩むのかも読みたくなった。あのおっさん(フォックス)とは、やはり別れるんだろうか。訳者あとがきによると、スウェンソン博士を語り手にしたスピンオフ作品はあるらしいので、それも読んでみたい。
 まあでも、アマゾンもどんなところか興味はあったが(高野秀行さんもアマゾン下ってたし)、この本読むと、こりゃ行けんわとつくづく思った。アナコンダに襲われるのももちろん困るが、とにかく虫の大群の描写が怖すぎる。 

 
 アン・パチェットの本を読むのははじめてで、どんな作家かあまりよく知らず、実際日本ではそんなにメジャーではないと思うけれど(それとも私が知らんだけか)、アメリカではこの本も2011年のベストセラーになり、そして新作『Commonwealth』も、翻訳ミステリーシンジケートの「ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー」の項によると、九月の発売当初はベストセラーのトップとなり、いまもベストスリーに入っているので、かなりの人気作家のようだ。新作もきっと翻訳されると信じたい。また、この本の魅力は、翻訳もすばらしかったところが大きいと思うので、できれば同じ訳者で期待したいですが。

 

Commonwealth

Commonwealth