快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

人生も半ばを過ぎて――『いつか春の日のどっかの町へ』(『FOK46』改題)大槻ケンヂ

 高野秀行さんがツイッターでオススメしていたので、私もひさびさに大槻ケンヂことオーケンのエッセイを読んでみた。 

  

  最近この文庫本が出たけれど、もとの単行本の方を読みました。単行本のタイトルは『FOK46』だけど、アイドルユニットを組んだわけではなく、題にも書かれているように「突如40代でギター弾き語りを始めたらばの記」。


 オーケンの本業がミュージシャンであることは、みなさんご存じかと思いますが、実はなんと、これまで楽器などこれっぽっちも弾けなかったのだった。と言っても、ボーカリストなので、別にギターを弾くふりをしていたなどの経歴詐称?ではないけれど。とは言え、ギターを練習しはじめたオーケンが楽器店に行くと、案の定、
「大槻さんですよね。今日はギターをお探しですか?」
と、まさか有名ミュージシャンがずぶの初心者とは夢にも思っていない店員がにこやかに声をかけてくる……
 
 と書くと、いつものおもしろおかしいエッセイなのかなとお思いでしょうが、この本は単におもしろおかしいだけではない。
 まず最初に、筋肉少女帯日本武道館での復活ライブが終わって楽屋にいたオーケンに、スタッフが声をかける。小学生のときの同級生「ウラッコ」が亡くなったと。 

日本武道館ワンマンライブの翌日に、僕は僕に初めてロックを教えてくれた小学校の同級生の通夜に出かけた。
 そこで、一人のミュージシャンと再会する。
 彼もまた数年後に天に召されるなどとは、その時には夢にも思っていなかった。

  この本の背景には、スクールカースト(当時はこんな言葉なかったでしょうが)の底辺にいた文科系小学生男子だったオーケンにロックを教えてくれた、早熟の同級生ふたりの早すぎる死がある。

 ウラッコは天才的に上手い絵を描き、小学生高学年にして、プログレッシブ・ロックの名盤のジャケットを見せる。そしてもうひとり、転校生の「ハバくん」は、キッスについて語っていたオーケンとウラッコにシンセサイザーで作曲していると語り、井上陽水の歌詞のすばらしさについて語る。小学五年生で。(しかしふと思ったが、これは公立の小学校の話だけど、やはり東京だからあり得るのかなという気はする)


 きっとこんな才能豊かな友人たちは、音楽などの表現活動で早々に世に出るのだろうな、とオーケンは子供なりにぼんやり考える。ところが、ふたりの友人たちもそれぞれクリエイティブな仕事についていたが、表現者として一番有名になったのはオーケンであり、結局、生き残ったのもオーケンだけとなった。ほんとうに人生って不思議なものだ。オーケンは考える。 

何かの表現を人が新しく試みようと考えた時、成功に必要なことが明確に三つだけあると思うのだ。
 才能と運と継続である。
 これは、表現者のはしくれたる僕の40代現在の結論だ。

  このあとに書いているように、となると、本人でどうにかできることは継続だけである。「継続だけを命綱に、しつこく食らいついて」いくしかないのだ。続けるだけならだれにでもできるように思えるが、実際はこれがなかなか難しい。
  それに続けていったって、成功できるという保証はもちろんない。オーケンは「せいぜい二流の下」という書き方をしているが、まあもっとわかりやすく言うと、食べていけたら御の字で、実際はいくら好きなことを続けても、食べていくことが苦しくなり、結局それで継続不可能になるのだろう。

 この本には、亡くなった友人たち以外にも、自分たちのやりかたで表現活動を続けている人たちとの交流が描かれている。エンケン遠藤賢司)、「たまのランニング」でおなじみの石川浩司、なかでも、元いんぐりもんぐりの永島さんとのエピソードがしみじみした。(いや、さすがに私も筋肉少女帯は聞いていたが、いんぐりもんぐりとなると名前を聞いたことある程度なので、どんな音楽なのかは知らないけれど。。。)

 
 後半では、友人たちだけではなく、海で行方不明になった実の兄の死も書かれている。その日もやはりライブであったオーケンは、「いつも通りのライブをしよう」と心に決めて、ラストには『生きてあげようかな』を歌う。さすが、ミュージシャンの鑑だ。
 
 それからもオーケンは歌い続ける。「池の上陽水」こと、亡くなったハバちゃんが遺した歌を、習いはじめたギターで弾き語る。 

眠りなさい 眠っていなさい
起きてても 今日はいい事はない
 
『そうかなあ、俺らまだ人生の半分過ぎたばかりだぜ。意外にいいこともあると思うよ』
と歌い終わって故人にあえてそう語りかけた。

  そして半分以上過ぎた人生の夢として、「ちょっとだけしゃべるギターを背負って」、「長い、遠くまで行く弾き語りの旅」に出ることを考える。
 「一人はさみしい、人といるのはわずらわしい」と感じるオーケンにとって、他愛のない会話ができるギターというのが最高の相棒なのだ。この気持ちはわかるような気がする。

ギター以外は、あまり荷物は持っていかない。
 「不便じゃないかい?」
 季節は春だといいなと思う。
 あまり寒くない頃がいい。
 「ん? いや、それが、あんまりいるものって無かった」