快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

大人になるってむずかしい① 映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』(大根仁監督)

 前にもここで書いた『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』の映画を見に行きました。

tamioboy-kuruwasegirl.jp


 まあ、話は原作とほとんど同じなのだけど……というか、原作と同じというより、そのまんま題名通りの話。

なので、ネタバレ?になるのかもしれないけれど、要は


妻夫木くん演じる主人公、若手編集者コーロキは、奥田民生みたいに泰然としながらも(本人がほんとうに泰然としているのかは知らんけど)仕事はびしっと決める大人になりたい!! と思いつつ、水原希子ちゃん演じる魅力的な女子に翻弄されまくりで、結局奥田民生みたいな大人にはなれませんでした、という話。


 いろいろあって最後には、若いときに憧れた、地に足のついた「自然体」の大人にはなれず、どこから金をもらっているのかわからない(東京オリンピックのアドバイザーとかもやってるって言ってたっけ)うさんくさいライターとなって、業界で名も知られるようになり、それなりの成功をおさめたコーロキ。けれど、ふと奥田民生の曲を聞くと、がむしゃらに足掻いていた若いときの自分の姿を思い出す……


 いま思い出すと、どたばた恋愛劇より、このラストシーンが胸にしみる。


 もちろん、映画の大部分を占める、どたばた恋愛劇にじゅうぶんな見ごたえがあったので、このラストが引きたっているのだとは思いますが。なんといってもキャストが全員いい演技をしていた。


 妻夫木くん、そもそも民生に憧れんでええやん、とはだれしもが感じたことでしょうが、映画を観ると、ちょっと情けない「なりたいボーイ」を、違和感なく演じてみせたところがさすがだった。『モテキ』の森山未来は、自意識過剰の男子をめちゃめちゃ上手に演じていたけれど、ここでの妻夫木くんも、女子に翻弄されて無様に泣いちゃう役をこれほど自然に演じてみせるのは、実は同じくらい技量が必要なのではないでしょうか。『(500)日のサマー』のジョセフ・ゴードン=レヴィットを思い出した。 

 新井浩文は、自分でもしょっちゅうツイッターで犯罪者や殺人者の役ばかりとつぶやいているけれど(たまにCMで普通のサラリーマンを演じたら大炎上したり……)、こんなコミカルな役もこなすとは演技の幅が広い。例の電話のシーンは映画館全体で笑いがおきました。


 松尾スズキリリー・フランキーは予想通りの安定した演技なんだけど、リリーさんのはじけっぷりがとくに笑えた。リリーさんが演じたライターは、原作ではもっと若い設定なのだけど、おそらくリリーさんが大根作品のレギュラーゆえに割りふられたのでしょう。ところが、それが期せずして、成長のないまま歳をとったサブカルライターの痛々しい末路、みたいな効果を生んでいた。

 江口のりこ安藤サクラもよかった。どちらがどっちかよくわからないって人も、これを見たら区別がつくようになるはず(?) 妻夫木くんと安藤サクラが猫を探すくだりが、この映画で一番好きなシーンだった。


 水原希子は……原作からは、もっと男ウケしそうな可愛らしい女優をイメージしていたのでイメージちがうなとは思っていた。。吉高由里子(これは私の好みですが)とか、なんなら若いときの優香とか。実際映画を観ても、水原希子がぶりっ子(死語ですな)演技するのは少々微妙だった。まあでも、優香とかがあの演技をしたなら、めっちゃイライラしたかもしれんと思うと、彼女で正解だったのかな。(そういえば、妻夫木くんと優香ってつきあってたような。となると共演NGか)

 大根監督のインタビューによると、キャメロン・ディアスをイメージしていたそうだけど、たしかに、『メリーに首ったけ』の頃のキャメロンは、だれもが認める世界一の狂わせガールだった。私もどれだけ憧れたか。前髪を立てるシーンとか、自分ならとんでもないけれど、それすらも素敵!と思ったものでした。 

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  で、最終的に、狂わせガールというのは、男の幻想にあわせるガール、男の望むものを見せてあげられるガールという種明かしもされる。

 そこで、ちょうどたまたま、フェミニズム運動の歴史について調べていたので、検索で出てきた

1127夜『性的差異のエチカ』リュス・イリガライ|松岡正剛の千夜千冊

を読んでいたら、「フェミニストの古典中の古典」であるイギリスのウルストンクラフトが、自著の『女性の権利の擁護』でルソーの『エミール』を批判した部分が紹介されていた。

ルソーが男子のエミールには教育を施しながら、将来の妻になるソフィには男の歓心を買うだけの躾をしたにすぎなかったことを突いて、女性にはもっと多くの権利があるのではないかと切りこんだ。

なんとなくこの映画と結びついた。「男の歓心を買うだけの躾をした」女にしっぺ返しのように翻弄されて男は散々な目にあう。

 でも結局はそれも男子としての成長譚、なんなら武勇伝のひとつに消化されるのかな~と。そう考えると、やはりなんだかビターな結末ですね。
 いや、『モテキ』の麻生久美子を思い出すと、ろくでもない異性にひっかかって成長するというのは、男女共通のモチーフなのかもしれないけれど……