快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

不条理とユーモア、そして生と死が融合するエドガル・ケレットの世界 『あの素晴らしき七年』(秋元孝文 訳)『突然ノックの音が』(母袋夏生 訳)

 自己嫌悪としてのユダヤ人としてのわが息子……
「もう十分じゃないかしら?」妻がぼくの妄想に割り込む。「可愛い可愛いあなたのボクちゃんに向けるヒステリックな非難を夢想するかわりに、なにか役に立つことをしたら? おむつを替えるとか」
「オッケー」とぼくは答える。「ちょうど終わりにしようとしてたところだから」 

  以前に紹介した『コドモノセカイ』で、エドガル・ケレットの『ブタを割る』『靴』を読んで、ほかの作品も読んでみたいと思っていたところ、『あの素晴らしき七年』の読書会が開かれたので参加してきました。

 読書会には訳者の秋元孝文さんも参加され(イスラエルから帰ってこられたところだった)、ケレット愛あふれるお話をたっぷり聞かせてくださったので、たいへん充実した会になりました。
 
 ※まず最初に、このブログの文章については、本の感想はもちろん、読書会での意見にしても、すべて私の主観でまとめていることを明記しておきます。 

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

 

  エドガル・ケレットはイスラエルの人気作家であり、その掌編や短編小説は多くの国で翻訳されている。

 『あの素晴らしき七年』は子どもが生まれてから、父親が癌で死ぬまでの七年を綴ったエッセイであるが、エッセイといっても、子育てほのぼのものでもなく、涙の闘病記でもなく、ふだんの日常に垣間見える違和感や不条理、ちょっとした喜びや悲しみ、家族や友人、まわりのひとたちとの関わりを軽妙に綴ったもので、短編小説と同じような味わいがある。
 
 タクシーの運転手と大人げなく言いあいをして息子にとがめられたり、9/11後の混乱する飛行機でオーバーブッキングにあい、降りるようにいわれて思わず泣いてしまったり、しょっちゅう妻に叱られたりと、情けない自分の姿も隠すことなく、ときには自虐的なユーモアをまじえて描いていて、どの作品もたいへん親しみやすく身近に感じられるが、一方で、どの作品にも、いつテロや空襲にあうかわからない、常に戦時下にあるイスラエルの日常が反映されている。 

「ちょっと聞いてもいい?」と三歳のロンの母親オーリットが何食わぬ顔で聞いてきた。「レヴ(作者の息子の名前)は大きくなったら兵役に就くのかしら?」 

 読書会でも、国家としてのイスラエルの政策には賛同できないという声もあった。
 私は中東情勢について正しい知識を持っている自信はないけれど、たしかに報道を見る限り、イスラエルという国は、ユダヤ人がこれまで長く受けてきた迫害を、周囲の国に、民間人を含めた周囲の民族に、やり返しているような印象を受ける。

 ただ、訳者の秋元さんがおっしゃっていた、「国家と個人は別」「どんな国でもそこでふつうに暮らしているひとたちがいる」というのは真実だと思う。

 また、ケレット自身はイスラエルでは左派であり、イスラエルで左派であるということは、日本などの国で左派であることより、何倍もの勇気を要するらしい。
 この本のあとがきでも、イスラエルのガザ侵攻で犠牲になったパレスチナの子どもに、ケレット夫妻が哀悼の意を示したため、自国民からバッシングされ脅迫まで受けたことが書かれている。

 イスラエルにミサイルが落とされて、作者はこう書く、  

ぼくらはもう一度、日々民間人を攻撃せざるを得ない占領国ではなく、自分たちの命のために戦う、敵国に囲まれた小さな国となれたのだ。 

  そしてこの本も、英訳版が決定版であり、「今現在はちょっと怖いしあまりに個人的」なため、イスラエルヘブライ語版は出版されていない。
 
 自国で出せないという事情は、ちょうど前々回紹介した、イラクのハサーン・ブラーシムの『死体展覧会』と重なる。
 どちらも短編でありながら、戦争や死が身近にある日常が濃厚に描かれているというのも共通点だ。ヒューマニティの存在を疑うブラーシムと、あくまでヒューマニティに依拠するケレットとは、作風はまったく異なるけれども。でも、読むぶんにはどちらもおもしろいというのが、文学の不思議なところだ。
 
 そして、この『あの素晴らしき七年』に書かれた、ケレットの家族の人生もたいへん興味深い。
 
 準主役といえる妻(映像作家として活躍中)と息子のほかにも、作者にとってずっとヒーロー的存在だった兄は、反体制を貫いて、ついにはイスラエルを脱出してタイで活動家になり、姉は「亡き姉」として書かれるが、実際に死んだわけではなく、信仰に目覚め、正統派ユダヤ教徒として生きている。

 両親はホロコーストの生き残りであり、ポーランドで生まれた母は、戦争で母親と弟を、ポーランド反乱で父親を亡くすが、ナチスに負けず、一家でひとりでも生き延びろという父親の遺言に従って、ポーランドの孤児院から、フランス、イスラエルへと渡る。
 
 母のくだりでは、ちょうど先日読んだ、『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』(タミ・シェム=トヴ 母袋夏生訳)を思いだした。 

父さんの手紙はぜんぶおぼえた

父さんの手紙はぜんぶおぼえた

 

  ナチスに侵攻されたオランダを舞台としたユダヤ一家の物語で、高名な学者である父は、娘の名前をリーネケに変え(オランダ人らしい名前とのこと)、一家はばらばらになって協力者のもとに身を寄せる。見知らぬ土地でリーネケは、時おり届く父親からの絵入りの手紙を待ち続ける。
 実話がもとになっており、本に挿入されている手紙もほんもので、びっくりするくらい上手で可愛らしいイラスト入りの文章から、父親の娘への深い愛情がうかがえる。

 この一家はつらい思いをしながらも協力者に恵まれていたが、もっと悲惨な体験をしたユダヤ人が多くいることはいうまでもない。そしていま、先に書いたように、中東では紛争が続いている。悲惨の連鎖を終わらせることの困難さを思い知らされる。
 
 しかし、こうやって書いていくと、どうしても深刻な話題に触れてしまうのだけど、ケレットの作品は、この『あの素晴らしき七年』にしても、短編作品集である『突然ノックの音が』にしても、戦争や死を背景にしながらも軽妙で、重苦しいものをまったく感じさせない。 

突然ノックの音が (新潮クレスト・ブックス)

突然ノックの音が (新潮クレスト・ブックス)

 

  『突然ノックの音が』には、銃口をつきつけられながら「話をしてくれ」と迫られる表題作や、嘘でいったことがほんとうに存在してしまう『嘘の国』といった、不条理、かつユーモラスな、ついひきこまれてしまう短編がたくさん収録されている。ぜひとも実際に読んで、独特の世界を味わってほしい。