快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

傷つけられた者たちの「自立」と「再生」の物語 『なぎさ』(山本文緒 著)

 妹が突然電話してきたのは三日前だった。しばらく会いたくないし声も聞きたくないから連絡しないでくれ、とはっきり言われたのは、ここに越して来る前のことなので何年も前だ。仕方ないことだと納得した私は、それから転居通知をポストに入れただけでまったく連絡を取っていなかった。   

なぎさ (角川文庫)

なぎさ (角川文庫)

 

  主人公の「私」佐々井冬乃は、故郷である長野県から神奈川県の久里浜に夫とともに引っ越し、静かな生活を送っていた。
 そこへ、しばらく音信不通になっていた妹の菫が突然訪れる。子どものころから器用で、勘とセンスに秀でていた妹は、高校を卒業すると同時に漫画家としてデビューし、上京して気ままに暮らしていたが、アパートが火事になり、冬乃と夫のもとに転がりこんできた。

 菫はもう絵を描くつもりはないようで、冬乃の料理の腕を生かして、久里浜で一緒にカフェをはじめようと持ちかけてくる。菫はすぐにカフェ計画を進め、恋人なのか友達なのか謎の男「モリ」まで佐々井家に居候するようになり、カフェ計画に参画する。
 生来引っ込み思案だった冬乃も、それにつれて変化を遂げ、カフェにやりがいを感じはじめるが、一方で夫の様子がおかしくなっていく――
 
 という物語で、飲食店の経営などまったくの素人だった姉妹がカフェを開き、そこから周囲の人間関係が変化し、自分たちも成長する物語――というと、なんだかありがちな「女性の自立ストーリー」だが、山本文緒の小説はそんなに単純ではない。
 
 まず、この主人公夫婦がなにか理由があって故郷を出たことが最初から暗示されている。

だから生まれ育った故郷を出ることを決断するには勇気が要った。出て行くことを告げると、両親は私をなじった。知り合いという知り合いは山々にがっちりと根ざす樹木のようになっていて、表面上は「遊びに行くね」と笑顔を見せても、眼の底は冷ややかだった。

  妹との関係も、上記の引用で「しばらく会いたくないし声も聞きたくない」と書かれているように、一緒にカフェを経営する姉妹と聞いて連想するような「仲良し姉妹」ではない。最終的には、それがこのカフェの命運を左右する。 

私はずっと長い間、妹のことをとてもうらやんでいた。(略)成績は私の方が良かったけれど、それ以外のことは何でも妹の方が優っていた。

  以前、山本文緒の『群青の夜の羽毛布』をはじめて読んだとき、そのころはまだ「毒親」という言葉なんてまったく生まれていないころだったのに、母と娘のあいだの愛憎、家族という密閉された空間で育つ狂気を、正面から描いていて衝撃を受けた。 

群青の夜の羽毛布 (幻冬舎文庫)

群青の夜の羽毛布 (幻冬舎文庫)

 

  出世作といえる『恋愛中毒』もそうだったように、一言でいってしまうと「アダルトチルドレン」なのかもしれないが、大きな穴で心がえぐれてしまい、なにかに依存したり執着せざるを得ないひとたちの物語を綴るのが、ほんとうに上手な作家である。 

恋愛中毒 (角川文庫)

恋愛中毒 (角川文庫)

 

  この『なぎさ』でも、主人公の実家がなにやら訳ありで、それが夫との関係にも影を落としていることが読むにつれてわかる。冬乃の事情にひきずられて故郷を離れ、慣れない土地で激務を強いられ、どんどんと消耗していく夫が、主人公姉妹ともうひとりの主人公である「川崎」をつなげる媒介者となる。
 
 そう、実はこの小説では、「三十代の女性がカフェを開いて自立する物語」と、「芸人をあきらめた青年が実社会で働いて自立する物語」が並行して描かれている。元芸人の物語、というと唐突な設定に思えるかもしれないが、冬乃と川崎が交互に語るせいか、とくに違和感なく物語に入りこめる。

 不良になった兄を反面教師にして、子どものころからお調子者キャラとして生きてきた「おれ」は、芸人を目指してコンビを組んで活動するが、すぐにトラブルに巻きこまれて辞めてしまう。彼女と結婚するために就職するが、どういうわけか毎日毎日ヒマで、仕事の合間に上司である佐々井と久里浜で釣りをし、料理上手な佐々井の妻(冬乃)の弁当を食べる日々が続く。 

上司の鼻歌なんかどうでもいいはずなのに、胸の内であれこれつっこんでしまうのは、毎日暇だからだ。入社してから数か月、仕事らしい仕事をしていない。おれは朝からずっと携帯で就職サイトを巡っていた。

  ところが、ヒマで長閑な日々はすぐに終了する。川崎は社会人経験がほとんどないにもかかわらず、いや、ないからこそなのだろうが、会社のブラック体質の餌食となり、身体も精神も限界をむかえる。ちょうどそのとき、芸人時代からの因縁がある謎の男「モリ」と再会して――
 
 ネットでこの小説の感想を読むと、「山本文緒の小説としては毒が少ない」「物足りない」という評もちらほら見かける。

 ネタバレになるかもしれないけれど、たしかに、以前の作品ならもっと冬乃の実家の闇や、親によってつけられた冬乃と妹の心の傷に焦点をあてていただろうと思われるので、その点はちょっと肩すかしにも感じた。かつては田舎の電器屋を営み、電球一個でも配達していたという両親が、どうしてああ落ちぶれたのかについては、説明がほしい気もした。
 
 しかし、この小説が描こうとしているものは、そういう闇ではなく、これまでさんざん闇に打ちのめされてきた冬乃と夫、そして川崎の「自立」と「再生」の物語なのだろう。
 基本的にお人好しの「川崎」と、ひょうひょうとしていて、なにを考えているのか掴みづらい茫洋とした佐々井が、互いを助けあう場面に象徴されるような、善意の世界を見つめた作品なのだと感じた。
 
 心の闇や悪意を無いものとしているのではなく、きちんと見据えながら、主人公たちが乗りこえようとする奮闘するさまが描かれているので、よくある「いい話」で終わらずに、説得力を与えることができたのだと思う。
 
 まだ闇から完全に抜け出せていない妹の今後も気になるし、「モリ」のような、完全に心無い男をあんなに上手に描けるのは、やはり山本文緒ならではだと思うので、続編かスピンオフのような作品も読みたい気もするが。

 考えたら、以前の作品『きっと君は泣く』も、心無い俗物――美人だが高慢な主人公に得体のしれない男――が出てきて、「登場人物に共感」などできない強烈な作品だったことを思い出した。こういう作品もまた読んでみたいのも事実ですが。 

きっと君は泣く (角川文庫)

きっと君は泣く (角川文庫)

 

 けれども、この『なぎさ』では、最後に冬乃が菫にかける言葉、そして最後に川崎が「おれは、お前のようには絶対ならない」とモリに宣言する場面がはっきりと示しているように、「モリ」のような人間が住む世界に引導を渡している。善意が信じられるものなのかどうかはわからないけれど、それでも信じてみようという意志を感じる。
 
 そういえば、今月から『あなたには帰る家がある』のドラマがはじまるよう。 

  中谷美紀玉木宏、そしてユースケ・サンタマリア、とキャストも魅力的なので見てみようかな。
 しかし、こないだ「オールスター感謝祭」で中谷美紀を見たところ、ショートカットで前よりもかなり痩せていて、これまでそんなことまったく思ったことないのに、なぜか研ナオコみたいに見えてしまい、少々おどろきを禁じ得なかった……