快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

静かな北欧の村で、ふたりの女のアイデンティティが絡まりあう 『誠実な詐欺師』(トーベ・ヤンソン 著 冨原眞弓 訳)

 歯を磨いたり洗い物をするときなどは、スマホでよくラジオを聞くのだけど、NHKラジオの「仕事学のすすめ」という番組に、前回の『コンビニ人間』の村田沙耶香が出ていたので聞いてみた。

 すると、パーソナリティーから、「この小説に出てくる白羽さんは、遅刻をするうえに仕事中に携帯をいじるといった問題行動が多く、こういう部下に悩まされているマネージャーも非常に多いと思うのですが、どうしたらこういう白羽さんのような人間にやる気を出させることができるでしょうか?」と、えらい難題を突きつけられていた。

 村田さんの答えとしては、「白羽さんが抱えている一番大きな問題はプライドだと思うので、仕事をすることによってプライドを回復することができれば、コンビニの仕事が生きがいの恵子のようになるかもしれない」というようなものだった。

 たしかに、恵子の生活のすべてはコンビニのバイトに捧げられている。寝るのも翌日のコンビニのバイトに備えて体力を回復するためであり、食事にしても、もともと恵子は食事に味を求めていないので(味をつけないで食べるため、白羽がおどろく場面がある)、コンビニのバイトのための栄養補給である。驚嘆すべきプロ根性、感心すべき仕事人間だと言える。(しかし、作者の村田さんもコンビニでバイトをしながら小説を書いていたときは朝2時に起きていたらしく、それもすごい)

 そして、極端なまでの仕事人間というと、少し前に読んだトーベ・ヤンソン『誠実な詐欺師』に出てくるカトリを思いだした。 

誠実な詐欺師 (ちくま文庫)

誠実な詐欺師 (ちくま文庫)

 

わたし、カトリ・クリングは、しばしば夜中にベッドのなかで考えごとをする。夜の考えにしては妙に具体的かもしれない。とくにお金、たくさんのお金のことを考える。すみやかに手に入れたい。賢明に、誠実に、蓄える。お金のことなんか考えずにすむように。ありあまるお金が欲しい。

  と聞くと、激しく同意!と思ってしまうが(でも、「賢明に、誠実に、蓄える」のところは真似できる自信はない)、このモノローグが示すように、カトリはお金と数字をひたすら信じる、どこまでも実務的な人間だ。

 物語の舞台である北欧の田舎の村人たちは、帳簿の数字などで不明な点があればカトリのもとへ聞きにいく。カトリはややこしい計算もやすやすと解き、まちがいやごまかしをけっして見逃すことはない。そして、余計な会話は一切交わさず、にこりともしない。村人たちは用が終わるとカトリのもとをそそくさと退散する。

 そんなカトリが、お金を手に入れるために行動をおこす。村でひとり暮らしをしている年配の女性、年齢は明記されていないが老人に近い歳であろうアンナに目をつける。単に家族のいない年寄りだからではない。アンナは画家であり、世界中の子どもたちから愛される兎の絵本を生みだしているのだ。

 実のところ、美しい森に、兎のパパ、兎のママ、兎の子を描き加えると、森の神秘を損なってしまうように思えてならないが、出版社や子どもたちの期待に応えるため、アンナはその絵本を描き続けなければならない。

 というと、このアンナとは作者のトーベ・ヤンソン自身がモデルになっていると誰もが思うだろう。アンナは「一途な人間に固有の強烈な説得力」を持っており、とにかく絵を描くことにしか興味がない。

 そんな世間知らずゆえに、あるいは、世間知らずの面をカバーするために、ふだんアンナは村人たちと愛想よく接しているが、最近にわかに自分に近づいてきた風変わりな若い女、カトリにとまどう。カトリはアンナにむかってこんなことを言う。

「花や子どもや犬が好きだと決めつけられる。でも、そんなもの、あなたは好きじゃない」 

  カトリはあっさりとアンナの内面を見抜いてみせる。これはけっして「子どもを愛するピュアな心を持つ画家が、こすからく計算高い若い女にだまされる話」ではない。

 アンナとカトリは両極端のように見えて、他人に理解されない孤独な魂を持っているという点は共通しているのだ。作者の姿がアンナに色濃く投影されているのはまちがいないが、カトリもまた作者の分身のように思える。

 アンナが自然と絵を愛するように、カトリにも愛するものがある。弟のマッツと犬だ。そもそも、カトリがお金がほしいと心から願ったのも、マッツにボートを買ってあげたいからなのだ。

 鋭敏すぎるゆえに村人たちから敬遠されているカトリとちがい、マッツは周囲から頭が足りないと思われている。カトリはアンナの身のまわりの世話をするという名目で家にあがりこむことに成功し、アンナとカトリとマッツ、そして犬との奇妙な共同生活がはじまる。


 さらに、カトリはアンナの身のまわりの世話のみならず、秘書として働くことを申し出る。カトリがアンナのごちゃごちゃの書類棚から契約書の類を取りだし、すべて分類して整理し直し、出版社との契約や申し出を精査し、「犯罪的とさえいえる軽信、またはたんなる無頓着や不精のせいで、アンナ・アエメリンが手に入れそこなった金額の合計」を弾き出すシーンは圧巻だ。

 もうひとつ印象深いのは、アンナのもとに大量に届く子どもたちからの手紙をめぐるエピソードだ。手紙をABCと分類し、それぞれに応じた返事を送り、下手したら際限なくやりとりを続けてしまうアンナにむかって、カトリはそういった手紙は物欲しげで「すべてささやかな脅迫の試み」だと言い放つ。そして、アンナの秘書として手紙の代筆をはじめる。 

「ちがう! これを書いたのはあなたで、わたしじゃない! 自分の両親に腹をたてた子どもに、両親にもいろいろ事情があって大変だからと説明して、なんの慰めになるというの! そんなの慰めじゃない。わたしならそんなことはいわない。両親というものは強くて完璧でなければならない。でなければ、子どもは親を信頼できないわ。書きなおして」

 カトリはとつぜん激昂した。「頼るに値しない相手をいつまでも頼っていろと? いつまで子どもたちを騙せば気がすむんです。信頼できないものを信頼させるなんて! 早くから学ぶべきです。さもないとやっていけないでしょう」 

「感じのいい手紙を返す、それが肝心……。心得ておいて。でも、あなたにできるかしら。子どもは好きじゃないでしょう?」

 カトリは肩をすくめ、例のすばやい狼の薄笑いを浮かべた。「それはあなたも同じですね」

 両極端のようで似通った頑なさを持つ、アンナとカトリのアイデンティティが互いの存在で危機に瀕し、それぞれが自分のなかで強固に築きあげてきた世界が揺らぎはじめる。

 カトリによって、自分が見てきたものがまちがいだったと知らされたアンナは、もう周囲の村人や出版社を素朴に信じることができない。そんなアンナは、マッツに文学を教え、犬と遊ぶことによって、自分でも気づかぬうちに、カトリの「所有物」を解放する。

 完全にカトリの庇護下にあったはずのマッツはカトリに言い返すようになり、従順だったはずの犬は吠えるのをやめない。眠れぬ夜を過ごすカトリ。自分はまちがっていたのだろうか? ふたりは何度も心のなかで問いかける。

 北欧の春のようにひそやかに物語は終わりを迎える。アンナは芽吹きの気配を感じ、再び絵筆を取る。カトリはどこへ行くのだろうか? 弟と犬を手放したカトリの目の前には、どこまでも世界が広がっている。