快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

華麗な恋愛と創作の軌跡、そして絶望 『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』(デイヴィッド・ロッジ 著 高儀進 訳)

彼は生涯で百人を優に超える女と寝たに違いないが、何人かとは一回寝ただけで、大多数の女の名前は忘れてしまった。彼は自分がほかの男より強い性的衝動を持っているのかどうか、大方の男より、それを満足させるのにもっと成功しただけなのかどうかはわからなかった。たぶん、二つの仮説が正しいのだろう。それでは、その性欲はどこから生まれたのだろう?

  多くの女性と愛を交わし、そして自転車で走ることを好んだ男……といっても、火野正平のことではない。『タイムマシン』などの作品で「SFの父」と呼ばれるH・G・ウェルズの話である。
 『小説の技巧』などでおなじみのイギリスの人気作家デイヴィッド・ロッジが、ウェルズの生涯を小説として描いたのが、この『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』だ。 

絶倫の人: 小説H・G・ウェルズ

絶倫の人: 小説H・G・ウェルズ

 

  タイトルから推測できるように、おもに私生活、とくに華麗な女性遍歴について焦点をあてている。
 といっても、単に暴露話を披露しているわけではなく、ウェルズの場合、恋愛をはじめとする人間関係と創作が密接に関連しているからである。関連しているというか、ウェルズはとにかくひっきりなしに小説を書き、ひっきりなしに女性と付きあい、そしてまたひっきりなしに小説を書く。

 小説家にはいろんなタイプがあると思うけれど、H・G・ウェルズは長編第一作といえる1895年の『タイムマシン』で一気に流行作家となり、それからも『宇宙戦争』『透明人間』とベストセラーを次々と生みだし、SFという新しいジャンルを定着させ、第一次世界大戦中の1916年に発表した『ブリトリング氏、乗り切る』も高い評価と人気を獲得する。冒頭の引用で百人を優に超える女たちとの関係について言及されていたが、百冊以上もの作品も生みだした。

 ウェルズにとっては、小説を書くという行為は何ら特別なものではなく、自分の意見や思いを表明するのに一番手っ取り早い方法なのだ。こういうひとが「天才」なのだろうと、つくづく感じた。

 次から次に女性と付きあうことも、小説を書くことと同じように、ウェルズにとっては息を吸うように当たり前のことなのだ。その場限りの身体だけの付きあいもあれば、お互い割り切ったままそれなりに長く続くこともある。

 本気になって駆け落ちをすることもあれば、けっして離婚しようとしないウェルズに女が疲れ果てることもある。当然ながら、既婚者であり、フェビアン協会員として社会改良運動にも尽力している人気作家が駆け落ちすると、世間から後ろ指を指される。
 
 しかも自由恋愛主義者のウェルズは、作家仲間のイーディス・ネズビットの娘や、フェビアン協会の仲間の娘に次々に手を出して(ウェルズ的には純粋な恋愛なのだが)、フェビアン協会も追われ孤立無援となる。

 するとウェルズは、この状況をもとに自由恋愛を賛美する小説を書こう!となるのである。こうして、私生活で問題が発生する→小説で世間に物申すという仕組みが、永久機関のようにしばらく続いたりもする。

 この小説は、ウェルズと女性たちとの関わりに重きを置いているが、ヘンリー・ジェイムズとの関係もたいへん興味深かった。
 多情多作なウェルズと、生涯ほとんど女性との交流がなかったらしい純文学作家ヘンリー・ジェイムズは、あらゆる意味で対照的に感じられるが、ふたりは互いを信頼し、尊敬していた――ある時までは。

 いや、最後まで敬意が失われたわけではなかったのかもしれないが、文学に対する考え方の相違や、複雑な人間心理から、ふたりの関係が避けられない破綻にむかうさまは読み応えがあった。ちなみに、デイヴィッド・ロッジは『絶倫の人』より前に、ヘンリー・ジェイムズを主人公とした『作者を出せ!』という伝記小説を書いているらしい。こちらもすごく気になる。 

作者を出せ!

作者を出せ!

 

  作家たちとの関係でいうと、フェビアン協会の仲間バーナード・ショーも一筋縄ではいかないキャラクターでおもしろかった。

 さらに、ドロシー・リチャードソンとも関係があったというのにはおどろいた。ドロシー・リチャードソンといっても、だれ?という方が多いだろうが、『とがった屋根』などの小説で、ジェイムズ・ジョイスヴァージニア・ウルフより先に“意識の流れ”という手法を採用した作家である。

 関係を持ったのは、ドロシーが小説を書きはじめる以前のことなのだが――なにしろドロシーは妻ジェインの学生時代の親友だったのだ――それからおよそ二十年後の1920年代、ウェルズが小説家として時代遅れになったころ、新しい作家として注目を集めだしたジョイスやウルフ、D・H・ロレンスと並んで、ドロシーの名前が挙がるところが上手いつくりになっていた。 

ヘンリー・ジェイムズも今じゃあH・Gと同じくらい時代遅れじゃないの?」とマージョリーは言う。

「おそらく、そうだろうな」とアントニーは言う。「しかし、彼は知識階級の中にいまだに信奉者を持っている。母の話では、アメリカの大学では彼を偉大な作家として教えてるそうだ」

  ほんとうにモテる男は、別れた女たちからも恨まれないらしいが(井上公造曰く)、ウェルズも手あたり次第といっても過言ではない女性遍歴にもかかわらず、最後まで別れようとしなかった妻ジェインはウェルズの原稿をタイプしたりと死ぬまで尽くし続け、別れた女たちともずっとやりとりを続けている。

 もちろん、ベストセラー作家のウェルズが女たちに資金援助を惜しまなかったという面もあるだろうが(ケチな男はモテない、というのは洋の東西を問わない真理なようだ)、人間的魅力も大きかったのだろう。

 この小説は、1944年に肝臓癌で死期の近いウェルズが過去を回想するという形式になっているが、かつての愛人であり、ジャーナリスト・小説家として有名になったフェミニスト作家レベッカ・ウェストもウェルズを見舞い続ける。 

かつてサマセット・モームは、H・Gの性的魅力の秘密は何かと、薄ら笑いを浮かべながら彼女に訊いたことがあった。H・Gは彼女の二倍の齢の男で、特別美男子ではなく、背はわずか五フィート五インチで、肥満の傾向がある。彼女は答えた。「あの人は胡桃の匂いがした。そして、素敵な動物のように跳ね回った

  病床のウェルズは絶望感に襲われている。
 自分の小説がすっかり時代遅れになったからではない。たしかに、ヘンリー・ジェイムズのように「偉大な作家」ではなく、大衆的なベストセラー作家であったウェルズの小説はいまや古本屋で高く積まれている。

 しかし、ウェルズがなによりつらいのは、科学が人類の未来を明るくすると信じていたのに、自らの予見――しかも、きわめて悪い予見ばかりが――次々と現実のものになっていることだ。

 一度ならず二度の世界戦争、かつて自分が『空の戦争』で描いた空爆による無差別爆撃、民族虐殺といった秩序の崩壊、もしかすると、自らが描いたもっとも悲惨なヴィジョン――原子力を利用した新型爆弾も実際に起こり得るのかもしれない。

 ウェルズの予言はことごとく現実のものとなったわけだが、自らの作品についてはどうだったのだろうか? 
 かつてヘンリー・ジェイムズの「偉大さ」をあてこすったウェルズだが、自分の小説もマスターピースとして後世に読み継がれていくことは予知していなかったのかもしれない。ひとは自分のことだけはわからないものだとあらためて思った。 

H・Gは彗星のようだった。彼は十九世紀の終わりに無名の境遇から突如姿を現わし、文学の蒼穹で数十年、燦然と輝き、驚異と畏怖と恐怖の念を人に与えた。地球を滅ぼすおそれがあったが、実際にはガス状の尾の有益な効果で、地球を変貌させた。『彗星の日々に』の彗星のように。