快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

消えることのない光を求めて 『ヨーロッパ・コーリング』『いまモリッシーを聴くということ』(ブレイディみかこ)

   さて、前回の『アメリカ死にかけ物語』で、「ヨーロッパも同じか、あるいはもっと深刻」と書いたけれど、そのヨーロッパを詳細に伝えているのが、ブレイディみかこの『ヨーロッパ・コーリング』だ。 

   この本には、2014年から2015年のイギリスで起きつつあることが綴られているが、おどろくほどいまの日本とシンクロしている。

 コラムのタイトルを挙げただけでも、それがうかがえる。「こどもの貧困とスーパープア」、「格差社会であることが国にもたらすコスト」、「アンチ・ホームレス建築の非人道性」、「地べたから見たグローバリズム」……

 イギリスでも日本と同様に(というか、イギリスの方が先んじているのか)、グローバリズムによって格差が広がり、底辺層の生活は苦しくなる一方。そして、その一部が排外主義へと流れ、ネトウヨや外国人排斥を主張するひとたちが跋扈し、ついには国民投票EU離脱を選択する。

……と、大雑把に書いてしまうと簡単な話だが、もちろん実際はそんなにシンプルなものではない。

 『アメリカ死にかけ物語』で、リン・ディンが “white trash” と一括りにされるようなひとたちひとりひとりの話を聞いてまわり、そこではじめて見えてくるものがあったように、この本を読むと、「外国人に自分の仕事を奪われたと文句を言う、怠け者で差別主義の労働者たちが、排外主義に陥りEU離脱に票を投じた」といった単純なものではないことがわかる。

 EU離脱国民投票を控えた時期のコラムで、ブレイディみかこはこう書いている。

英国でEU離脱を訴えているのは移民制限を訴える右派のUKIPだが、緊縮や今回のギリシャ問題では英国の左派もかなりEUに反感を抱き、失望している。このまま右と左の両サイドから徐々に浸食されていけば、EU支持者はどれくらい残るのだろう。 

 まさにこの予言が当たったわけだ。

 差別は許されない、移民や外国人労働者を広く受け入れるべきだ、難民を助けないといけないといったような、メルケル首相の「人道主義は欧州の普遍的価値観」という言葉に代表される言説は正しいのだろう。しかし、 

そもそも緊縮自体が非人道的な政策であり、生活保護を切られて餓死する人々が現れ、若者には職がない、フードバンクに並ぶ人の数が前代未聞などと国内で報道されているときに、「浜辺に打ち上げられた男の子を殺したのは我々だ」などといきなりヒューマニティを持ち出されても、下側の人々の心はハードになっている。 

 というのが現実であるようだ。

 私は経済に詳しくないので、緊縮経済がどのようなものなのか、きちんと理解できている自信はないけれど、この本の言葉を借りると「あなたたちのためにはお金を使いたくないの」と国が国民に言い放つことなのだろう。

 イギリスでは、失業者に自分の貯金を使って起業することを強制し、名目上の失業者を減らしているという事態すら起きているらしい。 

緊縮をやりながら数字の上では景気回復を果たすという高度な技をやるには、このぐらいのビジネス魂が必要だ。マーガレット・サッチャーが他界したというのは誤報だったのではないか。

  日本でここ数年「起業」や「副業」がもてはやされているのも、同じ流れのように感じる。

 たしかに、「起業」や「副業」で自分のほんとうにやりたい仕事にチャレンジするというのはすばらしいけれども、本気で「起業」を推奨したいなら、新卒→就職のレールを外れるとやり直しができない社会制度を変えることがなにより必要だろうし、「副業」に至っては、もう会社はまともな(生活できる水準の)給料を払えないから、バイトをかけもちしてやりくりしてくれ、と言っているように感じられるときもある。

 それにしても、イギリス関係の本を読むと、サッチャーの存在って大きかったんだなとつくづく感じる。もちろん、いい意味ではなく。
 「ゆりかごから墓場まで」というキャッチフレーズまであった(学校で習った記憶すらある)、世界に名だたる福祉国家であったイギリスを根本から破壊した人物なのだろう。

  そんなサッチャーをとことんまで攻撃したのが、ワーキングクラス出身で非モテ・オタク気質のままザ・スミスで一躍ロックスターとなり、ザ・スミス解散後はソロ・アーティストとして独特の存在感を放っているモリッシーだ。

 『いまモリッシーを聴くということ』を読むと、とにかくモリッシーサッチャーに対して、再三「死んだらええのに」と呪うところが笑える。(いや、モリッシーは関西弁ではないが) 

いまモリッシーを聴くということ (ele-king books)

いまモリッシーを聴くということ (ele-king books)

 

  1988年のファースト・ソロ・アルバム『Viva Hate』(タイトルも最高ですね)に収録されている「Margaret on the Guillotine」(ギロチンにかけられたマーガレット)という曲では、「いつ死んでくれるの? いつ死んでくれるの?」と歌い、しかも「サッチャーにいますぐ死んでほしいという僕の願望を素直に表現しただけ」と明言し、さらに大騒ぎになったらしい。

(ところで、You Tubeでのこの曲のコメントに ”this song is far too beautiful to be about thatcher.”とあるのも、ちょっと笑える)


 ブレイディみかこはこのアルバムについてこう書いている。 

このタイトルは、国民投票ブレグジットが決まった後の英国にも妙にしっくりくる。あれもまた、離脱に投票した人々は、すべからく(国内のみならず世界から)レイシスト認定されたからである。しかし、あの問題にはEU主導の経済政策への不満という要素も絡んでいた。 

  モリッシーはこの投票の後、「BBCが離脱票を投じた人々を執拗に侮辱したのは衝撃だった」とインタビューで語ったらしいが、BBCなどのリベラルなメディアや多くの知識人たちが、離脱に票を投じた労働者たちを「無知な差別主義者」と決めつけていた風潮に物を申したのは、モリッシージョン・ライドンセックス・ピストルズ/PiL)だけだったらしい。

 個人的には、1987年に解散したザ・スミスはリアルタイムではなく、90年代以降のブリット・ポップの旗手オアシス、ブラー、そしてレディオヘッドはリアルタイムで追いかけたものの、彼らがリスペクトしていたザ・スミスモリッシーはほとんど聞いたことがなかった。

 しかしこの本を読んで、実際にザ・スミスを聞いてみると、ジョニー・マーのキラキラしたギターに、奇妙でねじくれた、でも切ないモリッシーの歌はたしかに唯一無二の組み合わせであり、ものすごくポップでありながら、すんなりとは聞き流せない、聞く者の胸に爪痕を残すロックだと感じた。(ロッキング・オンみたいな言い回しでナンですが)

  「アンチ・サッチャリズム(反新自由主義)の象徴」であり、「モテと非モテリア充とオタク、人間と動物、クールとアンクール、ノーマルとアブノーマル、金持ちと貧乏人」なら常に後者の側に立つモリッシーに、いまでも熱烈なファンがいるのはよくわかる。

 いや、ブラーのデーモンは当時から勝ち組感が強かったし、ギャラガー兄弟は荒くれ者のイメージがぬぐえないし(ノエルはオタク気質があるかもしれんけど)、トム・ヨークは上の対立軸では後者のキャラだと思うけれど、深刻過ぎるというかユーモアが希薄なような。(※すべて個人の印象です) 


 『ヨーロッパ・コーリング』に戻ると、EU離脱以外にも、イギリスの教育や中東問題などについても興味深いコラムが多かった。

 イギリスのテロリストと人質に対しての考え方については、なるほど、と思った。(もちろん、日本のように「自己責任」論が噴出するわけではない)
 性暴力を扱った「フェミニズムとIS問題」については、ちょうどこの本を読もうとしているので、また感想を書きたい。 

THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

 

 そして、今年のクリスマスはこの曲を聞いて過ごしましょう。

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