快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

来たるべき新世界へ――女と女の物語~百合(かもしれない)ブックガイド

 先日『元年春之祭』を課題本にして翻訳ミステリー読書会を開催し、そのレポートがこちらのサイトに掲載されました。  

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

 

 『元年春之祭』は、歴史ミステリーであり、いま注目のアジアミステリーでもあり、”読者への挑戦状”が登場する本格ミステリーでもあり、ふたりの少女の成長を描いた青春小説でもあり、そして “百合” ミステリーという裏の顔(?)もあります。 

百合の面白さは「人間関係」の面白さだと思います。学園のような、閉じられた狭い世界の中だからこそ、互いに対して過剰になってしまう感情のぶつかり合いに惹かれます。

歴史上、“女性の世界”は、“男性の世界”に比べて、常に狭い中に閉じ込められてきましたよね。端的に言えば「家」ですが。時代小説として、そうした世界に生きる女性を描く以上、百合と形容されるような人間関係の物語になるのは必然でした。

陸秋槎氏トークショー(『ミステリマガジン』 2019年3月号)より

  そこで、読書会用の資料として、 “女と女の物語~百合(かもしれない)ブックガイド“を作りました。

 といっても、私も“百合”の定義があまりよくわかっておらず、代表作らしい『ゆるゆり』とか『ラブライブ』などはまったく知らないので、あくまでも自分の好きな作家や小説の範囲で選んだため、(かもしれない)と入れておきました。


ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳) 

 それならわたしがそこにどんな言葉を見つけたかを教えましょう。「クロエはオリヴィアが好きだった……」。びっくりしないでください。赤面してはいけません。女性だけの場ですから、こういうことも時折あると認めましょう。時折、女性は女性を好きになるものです。

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

 

  『自分ひとりの部屋』は、女性が自分の部屋――つまり、自分の収入――を得ることの大事さを語った、いままさに読むべき本であるが、『対岸の彼女』の感想でも書いたように、女同士の結びつきについても述べられている。女性の自立とシスターフッドは、対となって補完しあうものなのかもしれない。

◎ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』(岸本佐知子訳) 

あの二人は“自然にそむく欲望”にふけっている、と母は言っていた。 

オレンジだけが果物じゃない (白水Uブックス176)

オレンジだけが果物じゃない (白水Uブックス176)

 

  これまでの人生で好きな翻訳本を三冊挙げろ、と言われると、選ぶであろう一冊。

 キリスト教ペンテコステ派の信者の家に養子として引き取られた作者による、自伝的でありながらも、マジカルリアリズム風味の小説。
 熱心な信者であった母はジャネットを牧師とすべく、宗教の英才教育を施すのだが、成長したジャネットは女性と恋におちてしまう……母と娘のヘンテコな関係に思わず笑い、たまらなく切なくなる小説。


◎ 金井美恵子『小春日和』

 オレたち、友達になれそうじゃん? うん、まあね 

小春日和(インディアン・サマー) (河出文庫―文芸コレクション)

小春日和(インディアン・サマー) (河出文庫―文芸コレクション)

 

  ”百合”というより、女の友情を描いた「少女小説」。
 小説家のおばさんのもとに預けられた桃子が、大学で花子と名乗る生意気そうなチビと出会い、すぐに意気投合する。それぞれのややこしい親たちや、話の合わない男の子たちなんか無視して、映画のことや小説のこと、はてしないおしゃべりに興じる。それだけのことが至福と感じられる方におすすめの小説。

 
◎ジョーン・G・ロビンソン『思い出のマーニー』(越前敏弥・ないとうふみこ 訳)

 「いっしょに遊べるあなたみたいな友だちが、ずっとほしかったの。どんなにほしかったか、あなたにはわからないと思う。アンナ、ずっとずっと友だちでいてくれるわよね?」 

新訳 思い出のマーニー (角川文庫)

新訳 思い出のマーニー (角川文庫)

 

  両親を亡くしたアンナは、いつも表情のない「ふつうの顔」をして、なにも考えずに日々を過ごすのが習い性となっていた。仲よしの友だちがいないとか、どうでもいい。
 そんなアンナはひと夏を海辺の田舎町で過ごすことになるが、いくら「ふつうの顔」をしていても、「ただのあんたそのもの」と地元の子になじられ、やはり友だちはできそうもない。だが、ふと見かけた金髪の女の子が気になりはじめる……

 

伊藤計劃『ハーモニー』

「きみはわたしと同じ素材から出来ているんだよ、霧彗トァンさん」

嬉しそうににっこり笑ってそう言うと、ミァハは駆けだして、わたしの視界から消えるまでずっと走っていた。 

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

  先日の『SFマガジン』の百合特集号で、この『ハーモニー』が挙げられていて、読んだときは気付かなかったけれど、たしかに“百合”と言えるかもと思った。
 オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』のような、優しさに満ちあふれた世界で自殺を試みる少女たち。生き残ったのはいったい誰なのか? “百合”ディストピア

 

パトリシア・ハイスミス『キャロル』(柿沼瑛子 訳)

「キャロルと一緒にいたいの。彼女と一緒にいれば幸せだし、それがあなたとなんの関係があるというの?」 

キャロル (河出文庫)

キャロル (河出文庫)

 

  先程の『思い出のマーニー』と同様に、少し前に映画化されて話題になった作品。
 同性愛は病気や犯罪のように扱われていた刊行当時、ハイスミスは偽名でこの小説を出版した。若いテレーズの焦燥感が、キャロルへの恋愛感情に拍車をかけ、どんどんとのめりこんでいくさまがうまく描かれている。
 このあとのふたりがどうなるのかはわからないけれど、後味のよいラストがハイスミスのミステリーとは一風異なる印象。

 

村上春樹スプートニクの恋人

わたしはやはりこの人に恋をしているのだ、すみれはそう確信した。間違いない。(氷はあくまで冷たく、バラはあくまで赤い)。そしてこの恋はわたしをどこかに運び去ろうとしている。 

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

  いま考えると、この『スプートニクの恋人』は、村上作品の中でどういう位置づけになるのだろうか? 
 “a wired love story”とされているらしいが、たしかにかなりwiredだ。はじめて読んだときも、そしていまでも、散りばめられたメタファー(のようなもの)を解読できてはいないが、登場人物のひとりが観覧車で味わう感覚が、なぜかおそろしいほどリアルに感じられ、いまも記憶に焼きついている。 

 

橋本治「愛の牡丹雪」(『愛の矢車草』所収)

留子と暮らしていて、ふっと気がつくと、部屋の中にはなんにも異質なものがないのだった。 

愛の矢車草―橋本治短篇小説コレクション (ちくま文庫)

愛の矢車草―橋本治短篇小説コレクション (ちくま文庫)

 

  村上春樹と同世代で、先日惜しまれつつ亡くなった橋本治の業績は、現代小説から古典、評論まで幅広く、とうてい一言で括ることはできないが、LGBTという言葉が生まれるずっと前から、ジェンダーについて深い考察を示していたことはまちがいない。 

 『愛の矢車草』もまさに “wired love stories” と言える短編集だが、そのなかでも「愛の牡丹雪」は、「オバサン」たちの「愛の生活」を綺麗事としてではなく描き、興味深い。橋本治なら『恋愛論』もおすすめ。 

 

サラ・ウォーターズ『半身』(中村有希訳)

シライナから離れていることが、どれほど辛いことだったか。とくん、と、胸の奥が震える。おなかの子が初めて動けば、きっとこんなふうに感じるのだろう。 

半身 (創元推理文庫)

半身 (創元推理文庫)

 

  レポートでも書いたけれど、“百合小説界の神様”といっても過言ではないサラ・ウォーターズ。『荊の城』を原作とした、韓国映画『お嬢さん』の衝撃も記憶に新しい。

 ヴィクトリア朝の“霊媒”である女囚と、監獄を慰問訪問する貴婦人の関係を描いたこの初期作品は、後の作品と比べると過激な場面はないものの、愛を押し殺しているゆえの息詰まるような心理描写と、最後に明らかになるトリッキーな真相とのコントラストがさすが。

 

 ◎キャサリンマンスフィールド「しなやかな愛」(『新装版レズビアン短編小説集』所収  利根川真紀編訳) 

ベッドの周りのカーテンに描かれた緑の蔓でさえも、絡み合って不思議な花冠や花輪を編み、わたしたちのまわりで葉の抱擁を交わしてうねり、無数のしなやかな巻きひげの中にわたしたちを閉じ込めた。 

新装版レズビアン短編小説集 (平凡社ライブラリー)

新装版レズビアン短編小説集 (平凡社ライブラリー)

 

  ニュージーランド出身でロンドンで執筆活動を行った作者と、同時代のヴァージニア・ウルフとは、作家として互いに意識しあう関係だったらしい。34歳で亡くなった短い生涯で、日常のできごとを繊細に綴った短編を遺した。叙情的でありながらも、どこかシニカルな視線はいまでも古びていない。 

 この再刊された『新装版レズビアン短編小説集』は、タイトルから想起するような “いかにも” な作品はほとんどなく、女たちのさりげない心の結びつきをテーマにした作品が多いため、以前の題名『女たちの時間』の方がふさわしいようにも思えるが、いずれにせよ、折にふれて読み返したい短編集。
 

松浦理英子『犬身』

自分の愛犬が怪我をするのより赤の他人が怪我をする方を迷いもなく選ぶ。そういう玉石梓に房恵は強い好意を感じた。それが「玉石梓の犬になりたい」という思いの始まりだった。 

犬身 上 (朝日文庫)

犬身 上 (朝日文庫)

 

  ”I wanna be your dog.” を、これほどまでに昇華した小説があるでしょうか?

 女同士の微妙な関係と言えば、『裏ヴァージョン』もおすすめ。かつて親友だったふたりが、家賃と小説を交換する関係となる。恋愛ではなく、かといって単なる友情ともちがう、鬱屈した愛情の応酬に圧倒される。
 また、いわゆる“百合”テイストがもっとも強いのは、個性の異なる三人の女子高生を描いた最新刊の『最愛の子ども』かもしれない。

 

レベッカ・ブラウン『私たちがやったこと』(柴田元幸訳)

聞いてるの、アニー? たとえば私たち二人が最高に幸せなとき、私があなたを見るとする。そういうときに前兆とかが私の胸に湧いてきて、こんなに幸せじゃない方がいいんじゃないかって思ったりするわけよ。だっていったん何かを手に入れたら、それなしじゃいられないって思うようになっちゃうでしょう。そうして、失ってしまってもまだ欲しがりつづけてしまうのよ。「アニー」 

安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した。「私たちがやったこと」 

私たちがやったこと (新潮文庫)

私たちがやったこと (新潮文庫)

 

  レベッカ・ブラウンは、ケア・ワーカーとして患者たちと接した日々を綴った『体の贈り物』や、自らの家族を描いた自伝的小説『若かった日々』のように、ありのままの現実を淡々と描写した文章もすばらしいけれど、この『私たちがやったこと』や、最近の『かつらの合っていない女』のような、詩のように幻想的な作品も魅力的だ。
 「私たちがやったこと」は、「私」は男と読めるように訳されているが、原文はどちらともわからないように書かれているらしい。


 まだまだこのほかにも「女と女の物語」は尽きることなく、レポートにも書いたように、読書会にご参加頂いたみなさんからも、いろいろ挙がりました。


 元号も変わるし、新しい時代になる……
 とは特段思わないけれど、ジェンダーをめぐる世界がどんどんと新しくなっていくのはたしかだ。来たるべき「すばらしい新世界」に飛びこむために、こういった本を読んでみて、ジェンダーや性の固定観念から離脱するのもいいのではないでしょうか。