快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

Freedom or Death?? ジャネット・ウィンターソン『Courage Calls to Courage Everywhere』

  前々回に紹介した、BUSINESS INSIDER JAPAN編集長の浜田敬子さんによる『働く女子と罪悪感』トークイベントで印象に残ったのは、ジェンダーに関する話題が一番炎上するという話だった。憲法改正問題や中国・韓国との関係よりも、男女差別の話題がとにかく激しく燃えあがるらしい。

 例として挙がったのが、この「日本の男性は席を譲らない」という記事で、筆者の方が最初にツイッターで発言したところ、「レディーファーストなんておかしい」「男女平等というのなら、席を譲ってもらうとか考えるな」という意見が殺到したそうだ。

www.businessinsider.jp

    同等の権利を求める女性たちに対して、女はじゅうぶん優遇されているじゃないかと男たちが反発するのは、洋の東西を問わず、昔からあることらしい。
 というのも、最近、前回『オレンジだけが果物じゃない』を紹介したジャネット・ウィンターソンの『Courage Calls to Courage Everywhere』を読むと、同じような事例が紹介されていた。 

Courage Calls to Courage Everywhere (English Edition)

Courage Calls to Courage Everywhere (English Edition)

 

  このタイトルは、イギリスで女性参政権運動を率いたひとり、ミリセント・フォーセットの言葉からとられている。本にも書かれているが、2018年、ロンドンの議事堂前広場に、初の女性像としてフォーセットの像が建てられた。jp.reuters.com

  この本はもともとテレビで講演するためのエッセイとして書かれた短いもので、最初は『Women’s Equality: The Horrible History』という題を考えていたが、”history”とすると過去の終わった話のような印象を与えるため、変更したらしい。(Horribleというのも、それはそれでおもしろい気もするが)

 タイトルからわかるように、イギリスの女性参政権運動が盛りあがった時代から現在に至るまで、女性が直面したさまざまな問題を検証している。本の表紙が緑と紫がベースになっているのは、女性参政権運動の中心となった女性社会政治連合(WSPU)のシンボルカラーが白と紫と緑だったからだと思われる。

 工業都市マンチェスター生まれのウィンターソンは、女性参政権運動の中心人物のなかで唯一の労働者階級の出身で、10歳から紡績工場で働きはじめたアニー・ケニーを「わたしのヒロイン」だと称賛している。

 そして、先のレディーファーストの記事で思い出したのが、ここで取りあげられていた ”BOATS OR VOTES” 問題だ。

    1912年、タイタニック号の惨事が起きたとき、「女性と子供優先」という船のルールによって、女性が優先的に救命ボートに乗せられた。
    その頃、イギリスでは女性参政権運動が盛りあがっていたため、「女はこうやって優先的に救助されているというのに、参政権を与えろなどと男女平等を主張するのか」という反発の声があがったらしい。既視感のある光景だ。

Nobody asked whether putting women in charge of health and safety at big companies like the White Star Line might have resulted in the Titanic carrying enough lifeboats to start with――

 と、ウィンターソンはそもそも女が安全管理の責任者になっていたなら、じゅうぶんな数の救命ボートを用意したのではないだろうか、と考察している。

 まあ、それについては何とも言えないが(サッチャー小池百合子片山さつきといった女性政治家を考えると)、レディーファーストや女性優遇策の背景には、女性が低い地位に置かれているという事実があるのはまちがいない。

  この本は全体的には至極あたりまえのことが書かれていて、『オレンジだけが果物じゃない』や『さくらんぼの性は』のようなウィンターソン独特の奇想を期待すると、ちょっと拍子抜けするかもしれない。


 しかし、先日の上野千鶴子の東大入学式での式辞も、ごくあたりまえのことを言っているように感じたけれど、あれだけの支持と反発を呼んだことを考えると、あたりまえのことを何度も言い続けるのも大事なことなのだろう。

 ジャネット・ウィンターソンらしいと思ったのは、ハンソン社が開発したアンドロイド、ソフィアを紹介しているくだりだ。ソフィアはサウジアラビアでは市民権を与えられていると書き、「つまり、サウジアラビアの女性より人権を手にしているということだ」と皮肉をきかせ、こう続けている。 

Actually, I am half in love with Sofia.  She is clearly a democrat, and doesn’t think we need to live in a gender-bound world of binaries (He/She/Female/Male)

  『Courage Calls to Courage Everywhere』は、以前に紹介した、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』のようなごく短いエッセイなので、興味がある方はぜひ読んでみてはどうでしょうか。 

男も女もみんなフェミニストでなきゃ

男も女もみんなフェミニストでなきゃ

 

  正直なところ、アディーチェの本を読んだときは、やはりアフリカでは男女平等はまだ遠いのかな…とうっすら思ったが、フェミニズムの最先端だと思っていたイギリスでも、性差別禁止法ができたのが1975年と知ると、どこの国でも道ははてしなく遠いと感じる。

 この本の最後には、女性参政権運動家の象徴とも言える、エメリン・パンクハースト(いまの日本で言うと、それこそ上野千鶴子のような存在だったのだろうか…毀誉褒貶の多さも含めて)の演説 ”Freedom or Death”がおさめられている。
 演説の序文で、この勇ましいタイトルについて、ウィンターソンはこう書いている。 

It’s brave, it’s uncompromising, it’s a rallying cry for women then and now. But – and this is a big but – why is the penalty of freedom, for women, violence on a scale that too often ends in death?

  そして、DVやレイプなどの女性への暴力、国によっては非合法な中絶、教育を求めた結果、撃たれてしまったマララ・ユスフザイ、いまでも続いている女性器切除……などの例をあげている。

 たしかに、「自由か死か」というのはかっちょよくて威勢のいいスローガンだが、ウィンターソンが書いているように、特大の “but” が頭に浮かぶ。

 考えたら、自由の代償が死というのは怖すぎないか。誰もがそれほど強くない。みんながみんな、エメリン・パンクハーストやマララさんのように、自由や教育のために命を賭して戦えるわけではない。女であろうと、男であろうと。

 先の上野千鶴子の祝辞も、東京医科大の入試での女性差別問題や『彼女は頭が悪いから』などのホットな話題を取りあげたので燃えあがったようだけど、一番大事なのは、ここではないかと思う。 

フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

 さっきも書いたように、ごくごくあたりまえのことだけど、弱者であっても、自由や生きる権利が保障される世の中であってほしい……けれど、そんな日は来るのだろうか?