快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ 『エヴリデイ』(デイヴィッド・レヴィサン 著 三辺 律子 訳)

毎日、だれかのからだで目覚める
毎日、ちがう人生を生きる
毎日、きみに恋してる

 以前、ジョン・グリーンとデイヴィッド・レヴィサンが共作した『ウィル・グレイソン、ウィル・グレイソン』を紹介しましたが、今度はデイヴィッド・レヴィサン単著の『エヴリデイ』を読みました。 

エヴリデイ (Sunnyside Books)

エヴリデイ (Sunnyside Books)

 

  冒頭に引用した帯の句にあるように、この物語の主人公である「A」は、毎日毎日ちがう誰かの身体に入りこむ。

 ある日は、両親とマリファナ好きの兄と暮らすレスリー・ウォンだったり、ある日は、サッカーをしているスカイラー・スミスだったり、またある日は、ロック好きのエイミー・トランだったり、オタク系の優等生ネイサン・ダルドリーだったり。

 入りこんだ人物として一日を過ごし、夜になって眠り、目覚めるとまたちがう誰かの身体に入っているのだ。
 Aにとっては、すべてがその日限り。毎日毎日知らないひとたちと出会ってともに過ごし、次の日はもう会うことがない。それが当たり前だと思っていた。リアノンに出会うまでは…… 

ジャスティンのロッカーからジャスティンの教科書を出そうとすると、うしろのほうに気配を感じた。ふりむくと、女の子が立っていた。感情がぜんぶ透けて見えるような子。ためらいつつ期待し、気おくれしつつ彼が好きでたまらない。いちいち記憶にアクセスしなくても、ジャスティンの彼女だってわかる。

  ある日、ジャスティンの身体に入りこんだAは、ジャスティンの彼女であるリアノンと海へ行ってデートをする。
 
 どうやらふだんのジャスティンは、リアノンにとっていい彼氏ではないらしい。
 一日でいいから、リアノンを幸せにしてあげたいと思うA。いつもとちがって自分を大切にしてくれるジャスティンに、とまどいながらも喜びを隠せないリアノン。
 そして、次の日はまたちがう誰かの身体に入っているとわかっているのに、リアノンに恋してしまうA。ジャスティンの身体にとどまりたい。それだけをただ強く願う。
 

 願いもむなしく、翌日はまたちがう身体に入っているのだけれど、リアノンのことを忘れることができず、ちがう身体でもリアノンに会いに行ってしまう。
 エイミー・トランのときはリアノンの学校に行って、転校するので下見をさせてほしいとリアノンに接近する。ネイサン・ダルドリーのときに、パーティーでリアノンと知りあい、メールを交換することに成功する。つまり、これからは誰の身体に入っても、メールでリアノンと連絡を取り続けることができるのだ。

 と、あらすじからわかるように、なかなかあり得ない話だった。
 これまでも映画『転校生』や大島弓子のマンガなど、他人の身体に乗りうつる物語は読んだことがあるけれど、だいたい生きている(あるいは死につつある)誰かが、何かの拍子で他人の身体に入るものだった。

 だが、この物語は主人公の実体がなく、しかも毎日毎日ちがう誰かの身体に入り、さらに人間と恋におちてしまうのだ。一応、いくつかルールが決められているのだが(宿主は近場に住む16歳限定だとか、日常に破綻をきたさないよう宿主の記憶にアクセスできるとか)、正直なところ、ちょっと設定に無理を感じるところもあった。

 けれども、そんな強引な設定をしてでも、「ひとを好きになるというのはどういうことか」を、作者はこの物語で突きつめて描きたかったのだろう。

(ここからネタバレというか、結末まで触れています)
 

 リアノンの立場で考えてみる。
 もし、自分の好きなひとが、見知らぬ他人の外見になってしまったら、受けいれることができるだろうか? ときには性別も変わり、ときにはすごく太っていたりと、ぜんぜんちがう姿であらわれるのだ。

 「相手の見た目で好きになったわけじゃない」と主張するひとは多いけれど(もちろん、見た目重視のひとも多いが)、ならば、まったくちがう姿でも好きでいられることができるのだろうか? ここ最近は、性別についてもこだわらないというひともある程度いるが、では、男だった恋人が女になってあらわれたら受けいれられるだろうか…?

 やっぱり難しいように感じる。
 では、いったいそのひとの何を好きだったんだろう? 見た目が好きだったのか? 「ぜんぶ」が好きだったのか? 「ぜんぶ」って何? と考えてしまう。

 

 Aの立場で考えてみる。
 リアノンと出会ったAは、どんな姿になってもリアノンに会いに行くことで頭がいっぱいだ。今日目覚めた場所はリアノンから〇時間の距離、とすべてがリアノン基準になってしまう。

 そしてあらゆる嘘をついて、学校をさぼったり車を借りたりして、リアノンのもとへ向かう。♪行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ~とBGMをつけたくなる勢いだ。この気持ちが、ひとを好きになる原点であり、すべてだと思う。 

愛のなせる業ってやつ。世界を書き直したくなる。登場人物を選び、舞台背景を作り、筋書きを支配したくなる。愛する人が正面にすわる。これを可能にするなら、永久に可能にできるなら、なんだってしたいと思う。

  しかし、ひとつの身体にとどまることのない、実体のない自分との関係は不毛なだけだ。自分にはリアノンを幸せにすることはできない。

 もちろん、このAのような事態は実際にはあり得ないけれど、自分の存在が相手にとってプラスにならないという場面は、現実にもちょくちょくあるのではないだろうか。 
 自分が身をひいた方が、相手の視界から消えてしまった方が、相手が幸せになれるのではないか……そんなとき、自分は決断することができるのだろうか? 


 この物語も、まさにAがその決断をしようとしたところで終わり、この先どうなるのか? と思っていたら、実は続編、続々篇がある三部作らしい。続きも気になるので、続編の刊行を楽しみにしたいと思います。

 しかし、現実においても、不誠実な恋人を持つ女子が、自分を大切にしてくれる相手に心を動かされるのはよくあることだが、往々にして、結局そういう女子は不誠実な恋人に戻っていったりもするが……(ベタな偏見ですみませんが)
 

 恋愛以外の要素についても、次々と登場する乗りうつられる高校生たちには、自殺願望のある女の子や、貧困家庭に住む男の子、男の恋人がいる男の子などがいて、アメリカの現実が反映されていて興味深かったので、いろんな方に読んでもらいたい物語でした。

 ちなみに、『傘がない』はもちろん本家もいいのですが、UAヴァージョンもなかなか素敵。あ、タイトルが同じ『エブリデイ』も、♪every day、every night、会いたくて~となんだか符合していますね。

 

 

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