快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

誰もがみんな自分の人生の当事者――『図書室』(岸政彦 著)ほか『新潮』(2018年12月号)

どんな猫でもいいから、一匹の猫を(あるいは二匹の猫を)徹底的に幸せにしてあげたいなと思う。日当たりの良い場所に小さな寝床をつくって、そこに可愛らしい柄の、柔らかい毛布を敷いてあげたい。猫は自分が、ありえないほど幸せであることを自分でも気づかないまま、ゆっくりと手足をのばして、ぐっすりと眠るだろう。

  『新潮』(2018年 12月号) に掲載されている『図書室』を読みはじめるやいなや、主人公である団地でひとり暮らしをしている女が、雨を眺めながら猫を飼いたいと思う冒頭の場面が、まさに数年前の自分の姿そのものでギョッとした。 

新潮 2018年 12 月号

新潮 2018年 12 月号

 

   いつの間に見られていたのか? と思ってしまうほどに。

 もう少し読むと、当然ながら、主人公とは年齢もバックグラウンドも異なることに気づき安堵するのだが、それでも、他人事とは思えない要素――無印のシングルベッドに寝ているという些細な点から、「梅田に行って、阪急の紀伊國屋茶屋町ジュンク堂で何か本を買おう」とふと思ったり、「適当に選んで入った人材会社から派遣された」法律事務所で働いている(私の場合は特許事務所ですが)という経歴まで――が多々あり、なんだか落ち着かず、心の置きどころのわからないままひきこまれ、読みふけってしまった。

  「老いることを意識しだした」主人公は、ここ最近、子どものころのことばかり思い出してしまう。
 母親と猫たちと長屋で暮らし、夜の仕事で帰りが遅い母親を待ちながら猫たちと眠りについた夜。女の子の友だちとダイエーの二階のファンシーショップにクリスマス会のプレゼントを買いに行ったこと。そして、いつも通っていた公民館の図書室で出会った男の子。

 苦手な男子に図書室の自分の場所を横取りされ、主人公は「すごく嫌」だと思う。クラスの男子は美由紀ちゃんのかばんに大量のダンゴムシを入れたりするし、とにかく「最低」で「みんなバカ」だから。 

とにかく、私たちはもう十歳かそこらで、男というものに絶望していたような気がする。絶望というのは少しおおげさかもしれないが、男子たちの行動の理由や動機というものは一生かけても私たちにはわからないし、そういう生き物たちに言葉が通じるとはどうしても思えなくて、だからそもそも男というものは話し合いの対象にはならないと思っていた。

  けれどその図書室の男の子とは友だちになる。別の学校に通う子と仲良くすることは、なんだか自分だけの秘密のようでわくわくする。

 冬休みになり、毎日のように図書室に通うようになるが、どれだけ早起きして行っても、その男の子はいつも座っていて、宇宙や地球や恐竜に関する本を読んでいた。そしてある日突然、男の子が言う。 

「太陽って、いつか爆発するねんで」 

  いつか太陽がどんどん大きくなって地球をのみこみ、みんな死んでしまうというのだ。
 主人公と男の子は人類が滅亡し、野良猫も野良犬も動物園の動物もみんな死ぬことを想像する。あの『かわいそうなぞう』どころの話ではない。ふたりはぼろぼろと泣いてしまう。そこて、来たるべきその日に備えて缶詰を買いだめし、淀川の河川敷へ向かう。

 この子どものころの回想では、冒頭の場面を読んだ私のように、かつての自分の姿をそこに見出し、かつて抱いた感情がひしひしと胸に迫ってきたひとが多いのではないだろうか。

 「いつか地球が滅亡する」「いつかみんな死んでしまう」――突如としてそのことにはっと気づき、パニックに陥りそうになった子ども時代の自分。いてもたってもいられない気持ちになったあのとき。誰しも身に覚えがあるのではないだろうか。

 まるで自分の人生が再現されているかのように感じてしまうくらいに、どうしてこんなに鮮やかに人生の断面を切り取り、いきいきと描き出せるのだろうと考えていると、前に読んだ『街の人生』を思い出した。 

街の人生

街の人生

 

  『街の人生』は、岸さんが社会学者として行ったインタビューを基にした本で(と言いつつ、よう知らんけどたぶん)、外国籍のゲイ、ニューハーフ、シングルマザーの風俗嬢、といった様々なひとたちの語りがそのまま再現されている。興味深かったけれど、正直なところ、自分が住む世界とまったくちがう世界で生きるひとたちを覗き見するような感覚で読んだ。

 でもこの『図書室』を読んで、『街の人生』は異世界のルポタージュでもなんでもなく、どちらも私たちの住むこの世界を描いていて、本質的には地続きなものだったのだと気づいた。

 図書室から世界の終わりを見つめる子どもたちも、南米からやって来たゲイも、ホームレスとして暮らすひとも、みんな自分と同じように「普通の人生」を生きていて、誰もがみんな自分の人生の当事者であるということが強く感じられた。

 そう、当事者性が濃厚に漂っているのかもしれない。この小説をわかりやすく表現するならば、郷愁とかノスタルジーという言葉になるのかもしれないが、冒頭を読んだ私が思わずギョッとしたように、ただのほのぼのしたノスタルジーではなく、もっと生々しい、ひやりとした手で足首をつかまれるような感触があった。
 ――が、それは私がこの小説の舞台のような淀川の流れる町で育ったから、よけいにそう思うのかもしれないけれど。

 ところで、この『図書室』を読むために、図書館から『新潮 2018年12月号』を借りた。文芸誌ってふだん手に取ることはあまりないけれど、こうやって読んでみると、なかなか盛りだくさんの内容だ。

 高橋弘希芥川賞受賞第一作「アジサイ」も読んだ。(しかし、最初に写真を見たときからバンドマンみたいやなと思っていたけれど、実際に元バンドマンのようですね)
 何の前ぶれもなく、唐突に妻が主人公のもとを去って実家に帰ってしまう話。

 「何の前ぶれもなく」と夫の視点で書かれているが、読んでいると主人公が凡庸で鈍感であるのが伺えるので(町内会の掃除当番などもまったく知らなかったりとか)、こういうところが去られた原因なのでは…? という気もするが、いや、こういうありがちな理由より、もっと謎めいたもの、根源的な何かがあると考えた方が、小説の読解としては正解なのだろうか。

 ほかにもこの号では、例の『新潮45』の検証や、ブレイディみかこによるレベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』の書評もおもしろかった。

  以前紹介した『あの素晴らしき七年』(秋元孝文 訳)のエドガル・ケレットのインタビューも、本でも描かれていた家族の話から、アメリカのユダヤ人作家やヘブライ語についての話、そして、トランプ大統領パレスチナ問題といった世界情勢に至るまで、幅広いテーマについて語られていて非常に読みごたえがあった。 

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

 

  また、ヘミングウェイの未発表小説「中庭に面した部屋」(今村楯夫 訳)も、ごく短い作品だったけれど、第二次世界大戦の終わりを迎えようとしているリッツ・ホテルが舞台となっていて、以前にも紹介した『歴史の証人 ホテル・リッツ (生と死、そして裏切り)』(ティラー・J・マッツェオ 著 羽田 詩津子 訳)を思い出した。

 そのせいか、訳者の今村さんの解説を読むまで、「中庭に面した部屋」を小説ではなく随筆だと思いこんで読んでしまい、クロードって誰やったっけ? なんて考えてしまったが…。 
 しかしまあとにかく、『歴史の証人 ホテル・リッツ (生と死、そして裏切り)』は、ヘミングウェイプルーストといった文豪から、ココ・シャネルなどのセレブリティがいっぱい出てきて、とくに歴史に詳しくなくてもおもしろく読めるのでおすすめです。

歴史の証人 ホテル・リッツ (生と死、そして裏切り)

歴史の証人 ホテル・リッツ (生と死、そして裏切り)

 

  あ、そして、『図書室』はもうすぐ単行本で出るらしい。書き下ろしのエッセイも収録されるようで、雑誌で読んでいても買いたくなってしまう恐ろしい罠ですね… 

図書室

図書室