快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

2019年11月10日 柴田元幸さん講座「J・D・サリンジャーの声を聞く」 ホールデンからハック、そしてシルヴィア・プラスなど

If you really want to hear about it, the first thing you’ll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don’t fee like going into it. 

もし君がほんとに僕の話を聞きたいんだったら、まず知りたがるのはたぶん、僕がどこで生まれたかとか、子供のころのしょうもない話とか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとかなんとか、そういうデイヴィッド・コッパフィールドっぽい寝言だろうと思うんだけど、そういうことって、話す気になれないんだよね。

  さて、朝日カルチャーセンター芦屋で行われた、柴田元幸さんの講座「J・D・サリンジャーの声を聞く」に参加してきたので、いくつか備忘録としてメモしたいと思います。

 まずは資料として、上記の『キャッチャー・イン・ザ・ライライ麦畑でつかまえて)』のように、本日取りあげるいくつかの作品の冒頭の英文と、柴田さんによる訳文が配られた。

 「キャッチャー」は、当時すでに32歳だったサリンジャーが、1950年代に生きる十代の少年の声、その焦燥感、せわしなさをたくみに作りあげていると解説されていた。
 それにしても、訳文も見事に日本語に移しかえている。……と、私が感じいっていると、柴田さん曰く、訳文は原文のぎすぎすした雰囲気をあまり出せていないとのこと。具体的には、lousyやkind of crapのとんがり具合が訳文では弱い、と。ここのLousy「しょうもない」や、そしてkind of crapの「寝言」とか、私には模範解答のようにすら思えたけれど。言葉の海はまだまだ深い。

 そして、1950年代(20世紀)のアメリカの声を表したものが、サリンジャーホールデンであるならば、19世紀で相応するのは、やはりマーク・トウェインハックルベリー・フィンである。 

ハックルベリー・フィンの冒けん

ハックルベリー・フィンの冒けん

 

  ちなみに、19世紀は南北戦争というアメリカ史における最大の事件が勃発した時期であり、なぜ南北戦争が最大の事件なのかというと、南北戦争によってアメリカが無垢でいられた時代が終わったから、と。そして、「ハックルベリー・フィン」は、南北戦争前の話を南北戦争後に描いた小説である、とのこと。 

You don’t know about me, without you have read a book by the name of “The Adventures of Tom Sawyer,” but that ain’t no matter. That book was made by Mr. Mark Twain, and he told the truth, mainly. 

「トム・ソーヤーの冒けん」てゆう本をよんでない人はおれのこと知らないわけだけど、それはべつにかまわない。あれはマーク・トウェインさんてゆう人がつくった本で、まあだいたいはホントのことが書いてある。

  マーク・トウェインは、このまちがいだらけのハックの語りこそが――上の短い箇所だけでも、withoutは前置詞なので、そのあとに主語・動詞は続かない(正しくはunlessになるが、ハックがunlessと言うのは想像できない、と)、ain’tはまちがいではないが、正しい言葉づかいではない、bookにmade(make)は使わず、正しくはwrittenになる――アメリカ人のほんとうの声であると提示した。

 最後の質疑応答のところでも、こういう文章を綴った狙い、また受け取られ方についての質問があったが、『ハックルベリー・フィンの冒けん』のマーク・トウェインによる序文に、「こうした差異化は(←方言を多用していること)無方針や当て推量でなされたものではなく、入念に、これら数種の喋り方に自ら親しんできた経験の導きと支えによってなされている」と、明確な意図があって書いたことが宣言されている。

 受けとられ方については、「ハックルベリー・フィン」は昔から、そしていまでも禁書とされることが多いとのこと。いま禁書とされるのは、おもに ”nigger” という言葉が大量に出てくるからであるが、発表当時はこのハックの語り口が下品で教養がないとして、偉い先生たちやお上品な方々からおおいに批判を受けたらしい。

 また、マーク・トウェインサリンジャーのあいだをつなぐアメリカの声として、ヘミングウェイがいる。ただ、トウェインとサリンジャーと同様に、ヘミングウェイもわかりやすい言葉で物語を書くことを信条としたが、その平易さがあまりにも先鋭化したため、逆にふつうの人々が交わす自然な会話から遠ざかってしまったところもある、と。

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の女性版としては、1963年に発表されたシルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』が紹介された。 

The Bell Jar

The Bell Jar

 

  昔、私も『ベル・ジャー』の原書を読んで、いまより英語力も低かったので(いまもさして高くないが…)隅々まで理解できたとは言えないながらも、それでも主人公の苦しみ、その切実さに胸を衝かれた。ちょうど先日、Googleのヘッダーがシルヴィア・プラスになっていたので、読み返そうと思っていたところだった。 

It was a queer, sultry summer, the summer they electrocuted the Rosenberg, and I didn’t know what I was doing in New York. I’m stupid about executions. …… It had nothing to do with me, but I couldn’t help wondering what it would be like, being burned alive all young your nerves. 

それは奇妙な蒸し暑い夏、ローゼンバーグ夫妻が電気椅子で処刑された夏で、私は自分がニューヨークで何をしているのかわからなかった。私は死刑のことになると馬鹿みたいになる。…… 私とは何の関係もないのだけど、生きたまま体中の神経を焼かれて死ぬのってどんな感じだろうと考えずにいられなかった。

  ちなみに、ここでプラスはこう書いているけれど、のちに彼女は31歳でオーヴンの中に頭を突っこんで自殺している。体中の神経を焼かれることを想像したことはないけれど、オーヴンの中に頭を突っこんで死ぬとはどんな感じだろうとは時折考える。

 一方、サリンジャーは隠遁したもののかなり長生きして(91歳で死去)、晩年は孫くらい年下の女性とともに過ごしていた…と思うと、つい「やっぱ男って…」とステレオタイプな偏見にまみれたことを考えそうになるが、いやいや、といそいで頭から追い払う。

 柴田さんの講座に話を戻すと、キャッチャーと『ベル・ジャー』で共通しているのは「生きづらさ」であるとのこと。「生きづらさ」というのは、最近でもよく聞く言葉であるが、1940年代~50年代のアメリカの若者の生きづらさは独特のものであった。
 
 というのは、若者文化というものが皆無だったかららしい。たしかにロックにしても、チャック・ベリープレスリーの活動初期から考えたら50年代も入るかもしれないが、若者文化として普及したのは60年代以降というイメージがある。若者が感情移入できるもの、若者の気持ちを受けとめるものがまったくなかったようだ。

 とくに女性については、戦前から戦中は働き手が少なくなったため社会進出が進んだが、戦争が終わると再び家庭に閉じこめられるようになり、当時流行のホームドラマなどでも女は家を守るものという価値観が喧伝され、女性への抑圧が強かった時代だった。
 この『ベル・ジャー』の主人公は、流行最先端の雑誌『マドモワゼル』の編集部のインターンに採用され、誰もが憧れる華やかなニューヨーク生活をはじめるが、ホールデンと同じようにニューヨークの喧騒のなかで徐々に神経を病んでいく。

 最新号の『Monkey』に掲載されている、サリンジャーの「いまどきの若者」の朗読も聞けた。 

   この原題は ” The Young Folks” であり、これまで「若者たち」とされてきたが、young folksという言葉には大人が若者を揶揄するニュアンスもあるので、「いまどきの若者」という題にしたと語られていた。 

「でも俺、そんなによく知らないんだよ。俺ほんとはもう帰んないと。月曜に出すレポートがあるんだよ、この週末も帰ってくるつもりなかったんだ」

「え、だって、パーティまだ始まったばかりじゃない!」とエドナは言った。「まだ宵の口よ」

「なんの口?」

「宵の口。まだ早い時間だってこと」 

  と、こんな具合にだらだらと若者たちの会話が描写されたこの小説。(しかし、「宵の口」の原文の単語が気になる)

 ストーリー展開というものはまったくないが、この若者たちが持つ「言葉にできない何か」が伝わってくると解説されていた。私はこの朗読を聞いて、昔のクドカンドラマ、『木更津キャッツアイ』とかを思い出したりもした。ホールデンほどではないが、若者の焦燥感や不安定な気持ち(手すりがぐらぐらしているのが暗喩と考えるのは、単純すぎる読みかもしれないが)が垣間見えるやりとり。

 また、大学の恩師でもあり、デビュー作を『ストーリー』に掲載してくれたウィット・バーネットに、サリンジャーが捧げた文章も朗読してくれた。『Monkey』では版権の関係で翻訳を掲載できないと書かれていたので、来た甲斐があった!と思った。

 その文章で、サリンジャーはバーネットが短編小説を朗読する作法について、作者と作者の愛する読者に入りこまないという旨の賛辞を送っていた。
 もちろんこれは朗読のみならず、短編小説に情熱を注ぎながらも、冷静に向きあっていたバーネットそのものへの賛辞だと思うが、小説や創作物に関する文章を書いたり、訳したりする際に常に心掛けるべき言葉だと感じた。

 質疑応答もほんとうにレベルが高く、たいへん勉強になった。トウェイン~サリンジャー後のアメリカ文学についての質問もあったけれど、ただひとりの作家に焦点を当てただけでも、アメリカ文学、そして社会全体の俯瞰図につながることがよくわかった。

 もちろん、サリンジャーがそれだけアメリカ文学で重要な作家だということも大きいのだろうが。「キャッチャー」の村上春樹訳を皮切りに、どんどん新訳が出ているので、ひとつひとつ読み直していこう。