快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

娘のような母と母のような娘の切れない絆 『タトゥーママ』(ジャクリーン・ウィルソン著 小竹由美子訳)

「いいの。だって、マリゴールドがわたしのお母さんなんだもん。」
喜ばせようと思ってこういったのに、マリゴールドはまた泣きだした。
「あたしったら、なんてバカな母親なのかしら。どうしようもないね。」
「この世でいちばんのお母さんだよ。おねがいだからもう泣かないで。目がまっ赤になっちゃう。」

  ジャクリーン・ウィルソンによるヤングアダルト小説、『タトゥーママ』(小竹由美子訳)を読みました。

books.rakuten.co.jp

  主人公のドル(ドルフィン)は、母親のマリゴールドと姉のスターと暮らす10歳の女の子。
 マリゴールドはきれいでスタイルもよく、絵の才能があり、自分がデザインしたカラフルなタトゥーを全身に入れている。ドルはそんなマリゴールドを、「世界じゅうで、いちばん魅力的」なママだと思っている。

 けれども、マリゴールドは時々おかしくなる。昔の恋人であり、スターの父親でもあるミッキーを忘れられないのだ。仕事もせず、ふさぎこんで泣いてばかりいたかと思うと、急にハイテンションになる。お酒を飲みに行って、一晩中娘たちをほったらかしたりもする。
 ママに似た美人でしっかり者のスターは、これまでずっとマリゴールドとドルの面倒をみてきたけれど、八年生(中学生)になり、マリゴールドにすっかり愛想をつかしてしまう。

 そんなある日、ロックバンドのエメラルドシティーが再結成コンサートを開く。ミッキーが大好きだったバンドだ。そこに行けばミッキーを見つけられるはずだと、マリゴールドはいそいそと出かける。なんと思惑通りに再会し、娘のスターの存在をはじめて知ったミッキーは感激する。

 これでミッキーと一緒に暮らすことができると信じるマリゴールドだが、ミッキーはスターだけを引き取ろうとする。またもミッキーに捨てられたマリゴールドは、ますますおかしくなり、残されたドルは必死にマリゴールドを支えようとするが……

 胸が苦しくなる物語だった。
 いびつな愛し方しかできないマリゴールドに胸が痛くなった。
 十年以上も昔、ほんの2、3週間付き合っただけのミッキーを運命の人と思いこみ、いつまでも慕い続ける。それからどんな男と付き合っても、ミッキーのかわりにはならない。

 娘たちへの愛情もコントロールできない。「あたしって駄目な母親」と言って泣きだしたかと思うと、ぶかっこうなクッキーや生焼けのケーキを食べ切れないほど大量に作る。転校をくり返してきたせいで、ドルに友達がいないと知ると、学校に押しかけて、ドルの友達になってくれるようクラスメートに頼む。愛情過多で、そしてだれよりも愛情に飢えている。

 そんなマリゴールドを受けとめ、支えようとする健気なドルの姿がなにより切なかった。マリゴールドの関心が完全にミッキーとスターに向いていても、マリゴールドを見捨てたりはしない。スターもそんなマリゴールドにあきれ、いったんは父親のミッキーのもとに行くけれど、やはりマリゴールドとドルを見捨てることはできない。 

「あんな人、大っきらい。」スターは小声でいった。まるではきだすように。
「そんなことないでしょ。」わたしはあわてていった。
「ううん、きらいだよ。」
「大好きなんでしょ。」
「あの人はどうしようもない役立たずの母親よ。」とスター。
「そんなことない。わたしたちのこと、愛してるんだよ。……

  ジャクリーン・ウィルソンはイギリスで人気の児童文学作家だが、どの作品においても、大人の愚かさや、子どもを取り囲む現実の厳しさを容赦なく突きつける。
 「どんな親でも無条件に子どもを愛するもの」という建前を描いたりはしない。
 『ダストビン・ベイビー』のエイプリルは、生まれてすぐにゴミ箱に捨てられる(だから「ダストビン・ベイビー」)。 

  『シークレッツ』のトレジャーは、義理の父親に革のベルトで殴られ、実の母親も義理の父親の味方をする。トレジャーの親友となるインディアの母親は有名なファッション・デザイナーであるが、太っている娘をみっともなく思い、関心を持とうとしない。 

シークレッツ

シークレッツ

 

  だからこそ、マリゴールドの純粋な愛情がいっそう胸を打つ。でも、母親として上手に愛することができない。一方、娘たちは、「マリゴールドファンクラブのナンバーワン」とスターに言われるドルはもちろん、マリゴールドに批判的なスターも、やっぱり母親のことが「大好き」で離れることができない。
 主語を大きくするのは乱暴な言い方かもしれないけれど、女性ならだれでも、何があっても切ることのできない母と娘の絆に強く感じるものがあるのではないだろうか。

 互いに愛情を持っているのに、それゆえにがんじがらめになり、身動きがとれなくなることは、どの親子間にも起こりうる。家庭というのは閉ざされた空間なので、外部の人間が介入しないと窒息する場合もある。

 この物語においても、そういう外部からの救いの手がうまく用意されている。子どもは外部の人間と接し、自分の家以外の場所を知ることで成長する。
 マリゴールドとスターにしか心を開くことができなかったドルも、新しい友達や信頼できる大人と出会い、自分の世界を広げていく。

 マリゴールドは成長することができるのだろうか? 「まとも」な母親になることができるのだろうか? 
 それはわからない。でも物語の最後、冒頭と変わらず「あたしって駄目な母親」と泣き崩れるマリゴールドが、かつての自分がなりたくなかった母親像と自分もまったく同じなのではないかと気づく瞬間、何かが少し成長したのかもしれない。

 「まとも」な母親にはなれないかもしれない。でもそれでいい。ドルもスターも「まとも」じゃないママを愛しているから。

 ところで、大人の都合に翻弄される健気な子ども――子どもみたいな大人と大人みたいな子ども――を描いた物語として、まずは『じゃりン子チエ』が頭に浮かぶ。
 ストーリーは紹介するまでもないだろうけど、小学生のチエちゃんが大人より賢く、そして小鉄やアントニオといった猫が人間より賢い、というのがこのマンガのおもしろさだ。

  あと、岡崎京子の『ハッピィ・ハウス』も思い出した。13歳にしてヘビースモーカーのるみこは、パパとお兄ちゃんが出ていった家にさっそく男をひっぱりこむママを追い出して、たったひとりで、いや、ぬいぐるみのうさことふたりで、「本当の家」での生活をはじめる。  

ハッピィ・ハウス (週刊女性コミックス)

ハッピィ・ハウス (週刊女性コミックス)

 

  そして、昔の恋を忘れられない母親を描いた物語として、江國香織の『神様のボート』も胸に残る一冊である。 

神様のボート (新潮文庫)

神様のボート (新潮文庫)

  • 作者:江國 香織
  • 発売日: 2002/06/28
  • メディア: 文庫
 

  現実と妄執のあわいをさまよう母親とともに各地を転々とする娘。成長する娘は、否応なしに現実に目を向けるようになる。現実を生きていない母親に違和感を抱きはじめる。

 現実と向きあって生きていくのが大人のあるべき姿なのだろう。けれども、そんなふうに生きることのできない大人もいる。そんな大人であっても、子どもにとっては切っても切れない親であり――親子関係とは難しいなとあらためて感じる。