快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

ミネット・ウォルターズ『養鶏場の殺人/火口箱』

 

 ジャンル:翻訳ミステリー
 形態:キンドル版もあり

 現代英国ミステリーの女王と言われるミネット・ウォルターズの中篇集。

「養鶏場の殺人」は実際に1924年に起こったエルシー・カメロン事件を描いていて、

  エルシー・カメロンがノーマン・ソーンに初めて声をかけた日、空には雪雲がどんよりと垂れこめていた。(略)しかし、教会で出会った男が、その四年後に、ブラックネス・ロードという場所で自分を切り刻むなどと、だれに予想できるだろう。

という出だしから、ぐいっと物語の中に引きこまれてしまう。

 「小柄で不器量」で、しかも強情で怒りっぽく、同僚たちからも疎まれるくらい気性の揺れが激しいエルシーと、ハンサムだが、優柔不断ですぐに人のいいなりになるノーマン。

 そう、どこにでもいるカップルなのだ。

 相手をほんとうに愛しているわけではなく、自分の都合だけを押しつけ、最終的には「双方が、相手を窮地に追い詰めようと」するふたり。

 ウォルターズの小説には、性格に偏りのある人間、そばにいたら絶対に友達になりたくないタイプの人間が山ほど出てくるが(なんなら、そうでない人間を探すほうが難しいくらい)、この話でも、もともと偏執的で嫉妬深いエルシーが、どんどんと妄想を広げ、相手に執着していくさまが容赦なく書きこまれ、その醜さに思わずぞっとする。自分の中にも、エルシーに通じるものがあるような気がして恐ろしくなる。
 そして、自分が悪者になりたくないばかりに、都合の悪いことをどんどん先延ばしにして、取り返しのつかない事態に陥るノーマン。これもよくある男の姿ですね。

 「火口箱」は、イングランド系とアイルランド系が居住する地区での殺人事件を描いたもので、狭いコミュニティのなかで暴走する群集心理や悪意、差別意識も、ここ最近の長編『遮断地区』『病める狐』などで、ウォルターズが繰り返しテーマにしている。

 物語が進むにつれて、登場人物にたいして最初に持っていた印象がどんどん裏切られ、だれが「善人」で、だれが「悪者」なのかが、くるくると入れ替わっていくのもウォルターズ作品の醍醐味。

 しかし、ここまで書いて、エルシーのような偏った人間――過去の傷や自分の自信の無さから強くなれず、自分も他人も傷つけるような人間――が出てくるのが、私がウォルターズ作品の好きなところだと、あらためて感じた。
 なので、最近の『遮断地区』に出てくる女医ソフィーや、『病める狐』に出てくる女性軍人ナンシーなどのように、屈託なく強いヒロインには、いまいち共感できない…(共感できる、できないで判断するのは低レベルな読みだとはわかっているのですが)
 まあ、たしかに、『昏い(くらい)部屋』や『女彫刻家』なんかは病み過ぎてて、ついていけない人が多いだろうとは思いますが。

  ちなみに、この二作品は、普段あまり読書をしない人を対象として書かれたものらしく、短いうえにたいへん読みやすいので、ふだん翻訳本やミステリーを読まない人にもおすすめできます。特に、桐野夏生とか湊かなえ角田光代など、時には目を背けたくなるような人間の心理を抉る作家が好きな人は、楽しめるのではないでしょうか。