快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

歴史「小説」である『エウロペアナ』 パトリクオウジェドニーク

 

エウロペアナ: 二〇世紀史概説 (エクス・リブリス)

エウロペアナ: 二〇世紀史概説 (エクス・リブリス)

 

     2015年の日本翻訳大賞を受賞した、この『エウロペアナ』は、一見すると小説ではなく、単なる歴史資料のように思える。

 小見出しというか、注のようなものがページの上部に配置され、ヨーロッパを中心とした歴史上のできごとが、物語としてではなく、淡々と事物が綴られる。
 パリの万博ではじまり、精神分析共産主義といった新しい概念の誕生、相対性理論などの科学の進歩、そして、ファシズムの台頭、二度の世界大戦、ホロコーストに象徴されるジェノサイドの世紀…、ただ起こったことを述べているだけのように最初は思えるが、読み進めていくと、その配置、コラージュがたくみに計算されているのに気づかされる。

 小見出しの並びだけ見ても、「イギリス人が戦車を発明」からはじまり、「行進曲」「ドイツ人が毒ガスを発明」「世界は破滅に向かう」と続く。そして「文明化の過程」「堕落したヨーロッパ」「銃撃し合う兵士」……

 20世紀に遂げためざましい科学の進歩、新しいライフスタイル、フェミニズムや性革命など自由主義の発展について語ったかと思うと、ナチスの記憶を呼び戻す。あらゆる人種が持つ優生思想。いくども繰り返されるホロコーストの記憶。清潔なドイツ軍。ユダヤ人であった彼女の死体から作られた石鹸を使っていたと聞かされて発狂するドイツ兵。何度も繰り返される「日を追うごとに、ぼくは前向きになっていく」と綴ったイタリア兵の手紙。

 もちろんこれは単なる歴史書ではなく、皮肉に満ちている。最後に、市民が消費者となり、消費者が市民になる自由民主主義によって、権威主義が消滅し、自由と平等がもたらされると書いているのが、もしかしたら最大の皮肉なのかもしれない。

 先日、この本について語り合ったとき、やはりこれは「小説」だという意見を聞いたが、いままで書いたように、単なる歴史書ではないのはよくわかるけれども、「小説」とまで言えるのだろうか、とも思った。ストーリーもないし、「登場人物」というものも一切排除されている。

 しかし、いまちょうど、会田誠東京都現代美術館での作品が問題になっているニュースを見ていて、問題の作品の主張の内容(実際に見ていないので詳しくわからないですが、「教師を増やせ」とからしい)が芸術作品なのではなく、展示の方法、表し方が芸術作品なのだという見解を読んで納得し、そう思うと、やはりこの本は、まぎれもなく「小説」なのだなと感じた。


 あと、この本は、前半と後半で翻訳者が違い、文学を専門とする翻訳者と歴史を専門とする翻訳者で別々に訳したらしい。しかし、読むと別の人が訳したという違和感をまったく感じないのもすごい。あと、歴史を綴っているだけあって、日常的ではない用語もしばしば出てくるのだけど、訳注なしでスムーズに理解できるようにしているのも、かなりの労苦の結果なのではないかと感じました。そのあたりが「翻訳大賞」になったのでしょう。