快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

Tomorrow is another day ーー 「あさが来た」と『風と共に去りぬ』の共通点

   先日、ウーマンリブ(舞台)のところでも書いたけれど、最近は朝7時45分からBSで「こころ旅」を見て(2015年秋の旅は終わりましたが)、そのあと8時から「あさが来た」を見て、そして「あさイチ」で有働さんとイノッチのウケをチェックして、会社に向かう毎日です。
 で、とっくに多くの人が指摘しているのかもしれないが、「あさが来た」が『風と共に去りぬ』と似たような構造をとっていることに、今頃気づいた。 

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)

 

  そもそも、「あさが来た」の舞台である幕末~明治(1860年前後以降)と、『風と共に去りぬ』の舞台である南北戦争(1861-1865)は同時代だし、普通女性は表に出ることのなかった時代に、男勝りの女傑として事業を次々手がけていく物語、という共通項があるので(もちろん、スカーレット・オハラは架空の人物ですが)なぞらえているのでしょう。


 勝気なヒロインの愛の対象が、優男であることも同じである。ただ、スカーレット・オハラはアシュリを永遠に手にすることはなかったが、あさは幼い頃からの許婚であった夫、新次郎(玉木宏、ファンでなくとも好きになってしまういい演技してますね)と幸せな結婚生活を送っている。でもちゃんと、レット・バトラー的な人物、ヒロインが対等に渡りあえる強い男も配置されており、それがディーン・フジオカ演じる五代友厚だ。

 また、『風と共に去りぬ』では、アシュリへの片思いや、レット・バトラーとの愛憎以上に印象深いのが、アシュリの妻であるメラニーの限りない優しさ(それゆえの恐ろしさ)であるが、「あさが来た」でのメラニー役は、宮崎あおい演じる姉のはつなのだろう。

 あさとはつはとても愛情深い姉妹だけれど、新次郎はほんとうははつと結婚するはずだったという因縁がある。活発な子供時代のあさを見て、気に入ったという理由だったように思うが、恋愛物語の方程式としては、男勝りのヒロインは、必ずといっていいほど、おしとやかで男に尽くす女性に愛する男を奪われるので(『風と共に去りぬ』しかり、ベタですが『東京ラブストーリー』もそうですね)、「あさが来た」も今後どうなるんだろうか。はつはもうそんなに出てこないと思うが、はつとあさに仕え、新次郎に恋するふゆが、史実どおり新次郎の妾になるのかもしれない。(けど、現代の感覚からすると、当時の“妾”を描くのは、朝ドラでなくても難しいとは思うが)

 「あさが来て」を楽しく見つつも、「お家を守る」という言葉が頻繫に出るのには、ここ最近の世論の保守化のせいもあり、違和感を感じていたが、これも『風と共に去りぬ』と同様に、 ”家族小説”の伝統にもとづいたもの、と考えておけばいいのだろうか。『風と共に去りぬ』は、アメリカ南部文学の伝統としての”家族小説”ではあるが、スカーレット・オハラは、南部伝統の信仰心も、保守的な倫理観も平気でふみにじるところが、とにかく爽快なのですが。そういえば、『風と共に去りぬ』のマミー(小説も映画も、時代的にPC的な配慮が足りないのは事実ですが)が友近か。


 と、思いおこしていると、『風と共に去りぬ』も読み返したくなってきた。新訳も出ているようだし。 

風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫)

風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫)

 

  好きにはなれなくても、こんな性格の悪い女、そばにいたらめちゃ嫌だなーと思いつつも、どんな苦難にあっても決してへこたれず、次の策略を練るスカーレットには、どうしても羨望を感じてしまう。
 Tomorrow is another day. は、やっぱり名言だ。なにがあっても、また違う明日がやってくる。そして気がつけば、Next year is another year. になりつつある今日この頃。