快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう――『大いなる眠り』 レイモンド・チャンドラー

 村上春樹は、以前イスラエルのスピーチで、壁と卵という例をあげていたと思うが、やはり壁である組織に楯突くと、どうしても個人は卵にならざるを得ないのだろうか? たとえ世界的大作家でも、大人気アイドルでも。(ちょっと時事ネタですね) やはり組織は恐ろしい。組織にあらがって一匹狼で生きようとすると、尋常ではないタフさが必要になる。けれども、ごくまれにそんな男もいる。
 というわけで(強引なつながりですが)、『大いなる眠り』を読みました。 

大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

  私立探偵フィリップ・マーロウのもとに、大金持ちの「将軍」から依頼が届く。下の娘のカーメンをネタにしたゆすりが届いたらしい。単純な案件かと思ったマーロウだが、実は上の娘ヴィヴィアンの夫も謎の失踪をとげていることを知る。どうもこの家にはなにやら秘密があるようだ。そして捜査を開始するやいなや、死体の傍らにいるカーメンを発見する……


 チャンドラーは『ロング・グッドバイ』『さよなら、愛しい人』に続いて三作目ですが、これが一番素直におもしろく読めた。いや、『ロング・グッドバイ』もさまざまなディテールがたいへんおもしろく(村上春樹も書いていたと思うけれど、あやしげな医者が次から次へと出てくるところが印象深い)、リンダとのドライなようなセンチメンタルなような関係もよかったけれど、たまたま知りあっただけのテリーにどうしてそこまで入れ込むのかという肝心な部分があまりピンとこなかった。いや、それがマーロウという男だと言われたら、それまでなのだが。

 で、『さよなら、愛しい人』は、なんか似たような話やなという感想を持ち、今回の『大いなる眠り』も、冒頭から「将軍」の二人の娘が出てきたときは、また金持ちの姉妹か……と既視感を抱いたが、物語がテンポよく進んでいき、連鎖的に謎がつながり、その度にマーロウが危ない目に遭いつつも(ほんとかつての「ダイ・ハード」のブルース・ウィルスのように絶対死なない)、ピンボールのように次々と解決していくさまが小気味よかった。

 連鎖的に謎がつながりと書いたけれど、村上春樹の解説によると、短編を寄せ集めて長編に仕立てあげたので、ほかの作品も同様ですが、さまざまなエピソードが良く言えば有機的に、悪く言えばなかば強引につながっていく。

 そしてこの作品では、マーロウの潔癖さ、倫理性がなにより印象に残る。このあたりが、村上春樹の言うところの、『大いなる眠り』におけるマーロウの若さなのかもしれないが。カーメン、そしてヴィヴィアンから幾度挑発されても、誘惑に屈することはない。
 ヴィヴィアンからは「私を抱きしめてよ、この獣」と言われたりもする。このけだもの……こんな台詞、いったいどこで口にしたらいいのでしょうか。誘惑を拒絶したマーロウが、チェス盤に向かうシーンが象徴するように、マーロウはまさしくナイト(騎士)である。

 けれどまったく余談ですが、村上春樹の小説では、誘惑をきっぱり拒絶する男って、まず出てこないな。。。最近では、『1Q84』では天吾は未成年のふかえりにまで手を出すし(それがこの作品が苦手な理由ですが)、多崎つくるは久々に沙羅とベッドに入るのを待ちきれないのにもかかわらず、いざそうなると役に立たない始末。

 しかし、そんなストイックなマーロウだが、“シルバー・ウィグ”には「キスしてくれよ」と言い、「一緒に来るんだ」と誘う。けれど“シルバー・ウィグ”は「私は今でも彼のことを愛しているんですもの」と断る。望む相手は手に入らない。あるいは、手に入らない相手を望むのか。世の色恋の理不尽さがこの短いシーンにもあらわれている。
 もちろんマーロウは深追いしたりはしない。すべてが終わった最後にこう呟く。

 ダウンタウンに向かう途中、バーに寄ってスコッチをダブルで二杯飲んだ。酒は助けにならなかった。それはシルバー・ウィグのことを私に思い出させただけだった。そのあと彼女には一度も会っていない。

 どこまでもかっこいい男、フィリップ・マーロウ。男が憧れる気持ちはわからないでもない。でも……物語の感想から遠く離れてしまうけれど、かっこ悪く生きてみるのも素敵じゃないか、とマーロウに言ってあげたい気もする。いや、男の「かっこつけ欲」を、私はまだいまいち受け入れられないから、いろいろダメなのかもしれないが。。