快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

障害を持つ少年が主人公か……と引いてしまう人にぜひ 『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン 小尾芙佐訳)

 BOOKMARKで紹介されていたときから気になっていた、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』が、読書会の課題本になったので読んでみた。BOOKMARKが創刊号で「これがお勧め、いま最強の17冊」として紹介していただけに、すごくおもしろく、また、あらゆる面から考えさせられる小説だった。 

夜中に犬に起こった奇妙な事件 (ハヤカワepi文庫)

夜中に犬に起こった奇妙な事件 (ハヤカワepi文庫)

 

  主人公である「ぼく」こと、15歳のクリストファー少年は父親とふたり暮らし。母親は心臓発作で亡くなったらしい。アスペルガー症候群のため養護学校に通っているが、数学の天才的な才能があり、将来の夢は宇宙飛行士になること。そんなある日、隣のミセス・シアーズの飼っている犬のウェリントン園芸用のフォークで串刺しにされて殺されているところを見つける。犬好きなクリストファーは、ミステリー小説を書いて、犬殺しの犯人を見つけようと奮闘するが……

ぼくの名前はクリストファー・ジョン・フランシス・ブーンです。世界じゅうの国の名前と首都の名前とそれから7507までの素数もぜんぶ知っている。
はじめてシボーン先生に会ったとき、この絵を見せてくれた。

(悲しんでいる顔の絵)

それでこの絵が〝悲しい”気持ちをあらわしているのだとわかった。それは死んだ犬を見つけたときのぼくの気持ちです。

それから先生はこの絵も見せてくれた。

(ほほえんでいる顔の絵)

それでこの絵が〝しあわせ”な気持ちをあらわしているのだとわかった。 

  とあるように、クリストファーは数学などにおいては非常に優れているものの、ふつうの日常生活を送るための能力が欠けており、表情から他人の気持ちを推しはかるなどといったことはまったくできない。しかし、隣家の犬殺しの探偵をはじめたことをきっかけに、世の中の、そして自分の家の、あらゆる秘密(というか、彼だけは知らなかったこと)に気づきはじめる感動の成長物語……であることにはまちがいないのだが、読み終えての正直な感想は、とにかく両親はめちゃめちゃたいへんだろうな~とつらい気分になった。

 クリストファーの両親はワーキングクラスに属し、高い教育を受けたわけでもなく、こういう子供にどうやって接するのかという知識もない。ときには感情的になって手を出したり、街中でうなったり固まったりするクリストファーに完全にお手上げになる。そりゃそうだ。けれど、それでもなお、根気強く愛情深くクリストファーに向きあう。

ぼくは、お父さんとお母さんが離婚するかもしれないとよく考えたものだ。それはなぜかというとふたりはたくさん口げんかをしてときどきたがいににくみあっていた。それはぼくのように問題行動をする人間の世話をするストレスのためだ。 

  とあるように、お父さんもお母さんもまったく「聖人」ではない。なんなら「毒親」のように読む人もいるかもしれない。でもクリストファーをなにより大切に思っている。

お父さんがいった。「おれたち、だれでもまちがいはするもんだよ、クリストファー。おまえ、おれ、おまえのかあちゃん、みんながだ。そしてときどきそれはどでかいまちがいなんだ。おれたちはただの人間だからな」 

  と書くと、最近話題の〝感動ポルノ”作品なのかと思われそうだが、まったくそんなことはない。感心するくらい、きれいごとを排除している。「障害を持つ少年の成長」とか「親の愛」をことさらに美化したり、強調しているわけでもない。なんだろう、これはイギリス人ゆえだからなんですかね。先に書いたように、両親も「毒親」かと思うくらい欠点があるし、語り手のクリストファーにしても、他人の気持ちとか理解できないのは病気のせいなんだとわかっていても、尋常じゃなくイヤなやつに思えたりもする。

 そういえば、話はそれるけれど、シノドスのこの記事はおもしろかった。「24時間テレビ」に代表される、"感動ポルノ" にうんざりする気持ちはもちろんよくわかる。でもその一方で、ここ最近、〝感動ポルノ”を批判する声にみられるような本音主義――はっきりいうと、本音というより他人への差別や敵意をむきだしにする露悪と言うべきか――が強まっていることを、おそろしく感じる私にとっては、すごく納得できる内容だった。

synodos.jp

 けれど、どうしてこういう〝感動ポルノ”そして〝感動ポルノ”批判が生まれるのかと考えると、これまで建前やきれいごとが主流を占めていたからというのは事実だろう。その点、日本にくらべるとイギリスやヨーロッパは、この小説のように、きれいごとや美化もなく、同じ人間として障害を持つ人たちと向きあう文化が成熟しているのかなと感じた。

  そして物語は、秘密を知って衝撃を受けたクリストファーが家出してロンドンに向かうのだけど、日常生活でも困難なクリストファーにとって、郊外の家からひとりで電車に乗ってロンドンに行くなんて、我々が月に行くくらいの難易度なのは言うまでもない。ここから物語はミステリーから冒険譚風になる。この小説は舞台化もされたようだけど、このあたりが見所だっただろう。でもほんと、どんな舞台だったのか気になる。ちなみに、日本ではV6の森田くんが演じたそうです。いまいち想像できんけど。


 この小説はヤングアダルトに分類されているけど、すぐれたヤングアダルトの多くがそうであるように、大人も読んでじゅうぶん楽しめる作品なので、とくに、「障害を持つ少年の成長物語か……」と引いてしまう人や、あるいは子育て真っ最中の人たちに読んでほしいと思った。