快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

エリート女性を取り囲むグロテスクな状況 『高学歴女子の貧困』~『グロテスク』(桐野夏生)

 それにしても、恐ろしいですね、あの豊田議員の怒声。いや、精神衛生に悪そうなんであの怒声は聞いていないのですが、記事を読むだけでめちゃ恐ろしいのはわかる。
 それにしても「桜蔭中・桜蔭高、東大法学部を経て、97年、厚生省入省。ハーバード大大学院留学」とスーパーエリートであるのはまちがいない。
 なのに、いったいどうしてこんなことになってしまったのか? 
 そこで、以前から気になっていた、この『高学歴女子の貧困~女子は学歴で「幸せ」になれるか?~』を読んでみた。 

なぜこれほど、高学歴女子たちの心理状態は荒れがちなのだろうか? (略)
我が国の女子は、社会制度などの不備に端を発する問題の当事者として苦境に立たされており、「自力・努力」といったことが報われない状況のなかで心身を消耗していたのだった。
高学歴女子には、もちろん努力家が多い。しかし、どれほど頑張っても己の力とは関係のないところに大きな壁がそびえている。おそらくそのことが、彼女たちの苛立ちを増幅させているように思う。 

 すると、さっそく「はじめに」のところに答えのようなものが書いてあった。


 といっても、この本は、いい大学を出て官僚や一流企業勤務になったスーパーエリートの病理を描いたものではなく、一流大学の大学院まで出ているのに、というか、院まで出てしまったがゆえに、研究職以外の道が閉ざされ、しかし大学の常勤講師などになるのはものすごい高倍率であり、結局仕事にあぶれ貧困生活を送らざるを得ないという問題を取りあげている。
 複数の書き手が自らの経験談を語っているので、深く掘り下げられるわけではないところが少々物足りないが、それでもいくつかの問題が浮かびあがってくる。


 まずひとつは、あちこちでよく言われていることだけど、女性の貧困は見えづらいということだ。

そもそも、フリーターというのは、漠然と「男性」のイメージでもあった。女性は、結局は結婚をするだろう、と。
正確に言えば、主婦という立場でパートやアルバイトとして働くことで生計を立てている人は多い。夫と別居中の女性だっている。何ゆえこの人たちはフリーターと呼ばれないのか? しかも、世間では、主婦パートが、待遇の極めて悪い非正規雇用とはあまり認識されない。

 と、書き手のひとり、栗田隆子さんが指摘しているように、高学歴であってもなくても、女性は「結婚して夫に養ってもらえばいい」という固定概念がまだ根強いので、なかなか貧困とはカウントされない。
 この固定概念が、女性にとっての仕事の壁となり、女性だけではなく、男性も苦しめているのは言うまでもない。しかしいまは、あちこちで報道されているように、未婚率がどんどん上がっているので、これからの社会の認識がどう変わってくるのかはおおいに気になる。


 そしてもうひとつは、やはり「自己責任」という言葉の重さについてである。自己責任。ほんと嫌な言葉だ。いや、これは自戒をこめて言っている面もある。
 というのも、私自身この本を読みながらも、「けど、文系で院まで行くと仕事がないということは、私が大学生のときでも広く知れ渡った事実ではあったしな……」とふと思ってしまう瞬間があった。

 ここに書いている人たちに対して「自己責任だ!」と非難するつもりはないけれど、そういう現実を「仕方ない」として受け止めてしまう自分、つまり自己責任論を内面化している自分がいることに気がついた。院まで出て仕事がないのは仕方がない、大学新卒の時点で就職しなかったのだから仕方がない、採用では男の方が優先されるのは仕方がない、非正規の待遇が悪いのは仕方がない……うかうか油断していると、そんな自己責任論、もっとはっきり言うと奴隷根性が自分の中で根づいてしまう。気をつけないといけない。


 で、話を豊田議員に戻すと、勝手な印象というか、完全な偏見ですが、この本に出てくるような人たちとは真逆で、ひたすら「社会的地位の上昇」を求めていった末路が、病的なまでのヒステリーとなったように感じられた。うっかり桜蔭時代の友人(と称する人)のフェイスブックでの投稿まで見てしまったせいか、桐野夏生の『グロテスク』の主人公和恵を思い出した。 

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

 

 とにかくなんにでも「勝ちたい」努力家の和恵は、勉強を頑張るのみならず、お金持ちでイケてるクラスメートに対抗しようと、ラルフローレンのロゴを自ら刺繍したり(!)、華やかなサークルに入れてもらおうと懇願したりする。
 一流企業の数少ない女性総合職として就職してからも、男と同等に「認められたい」と懸命に努力するが、やはり女性ゆえの壁によって阻まれ、夜の仕事にのめりこむようになり、昼は会社の床だか机の上だかで大の字になって寝るようになる。和恵の壊れ方が豊田議員の常軌を逸した怒り方と繋がっているように感じられた。


 ひたすら「勝ちたい」「認められたい」と社会的地位の上昇を目指す生き方(結果、往々にして壊れてしまう)がいいのか、社会的地位の上昇や安定した身分を捨てて、自分の興味のある道を進むのがいいのか(結果、往々にして貧困になる)、ほんと難しい問題だ。
 ただひとつ思うのは、前者の道を進むにせよ、後者の道を進むにせよ、奴隷のように生きるよりはマシかもしれないということでしょうか。