ハードボイルドな金髪の悪魔――『マルタの鷹』(ダシール・ハメット著 小鷹信光訳)
サミュエル・スペードの角張った長い顎の先端は尖ったV字をつくっている。……
見てくれのいい金髪の悪魔といったところだ。
さて、今更ながらですが、ハードボイルドの金字塔『マルタの鷹』を読んでみました。

- 作者: ダシールハメット,Dashiell Hammett,小鷹信光
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/09/07
- メディア: 文庫
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まず最初に「ほんとうに『マルタの鷹』を探す話やったんや!」と思った。
何かの象徴ではなかったのだ。となると、以前に読んだブコウスキーの『パルプ』で「赤い雀」を探すというのは、完璧にパロディーだったんですね。(ただ、この鷹は高価な彫刻だけど、『パルプ』の「赤い雀」は生きている鳥でしたが)
ストーリーは(ご存じの方も多いでしょうが)、私立探偵サム・スペードのもとにワンダリーと名乗る美女があらわれ、妹がフロイド・サーズビーという怪しげな男と駆けおちしたので、サーズビーを監視して、できたら妹と別れさせる手助けをしてほしいと依頼する。サム・スペードは相棒のマイルズ・アーチャーにサーズビーを尾行させる。ところが、アーチャーが死体となって発見される。尾行に気づいたサーズビーに撃たれたのかと思いきや、サーズビーも死体となって発見される。そして、以前からアーチャーの妻アイヴァと不倫していたサム・スペードがアーチャーを殺したのではないかと疑われる……
と、↑の最後のくだりでおわかりのように、サム・スペード、女遊びや不倫が異常に激しくバッシングされる昨今の日本にいたならば、炎上必至の男である。渡辺謙など最近のゲス不倫ピープルの比ではない。(いっそのこと、謙さんが演じてみてはどうか。年齢がちがうか)
この『マルタの鷹』に代表される、ダシール・ハメットの描写の特徴として、主人公の内面に入らず、客観描写に徹するということがよく言われているが、たしかにサム・スペードの内面は測りがたい。エエモンなんかワルモンなのか、読んでいても最後までわからない。チャンドラーのマーロウなら、エエモンであることがすぐわかるのに。チャンドラーはハメットに影響を受けて書きはじめたものの、ハメットの三人称による客観描写を採用せず、結局一人称で書いたとのことだが、それがサム・スペードとマーロウとのちがいに繋がるのだろうか。
で、ここから完全にネタバレになりますが――
この作品の読みどころは、なんといってもサム・スペードと、ワンダリー改めブリジッド・オショーネシーの丁々発止の騙しあいである。「おずおずとした笑み」を浮かべ、「訴えかける」ような目で嘘ばかりつくブリジッド。どんな男も手玉に取れると思っている女。
それにしても、女が殺人の真犯人、あるいは黒幕であるというのは、ハードボイルドのお約束なんだろうか。チャンドラーの『ロング・グッドバイ』『大いなる眠り』しかり、最近の作品でも山のようにある。フェミニズム学者なら、ミソジニーの標本といって分析するところだ。(そんな分析や批評はすでにたくさんあるのでしょうが)
「わたしを嘘つきだといったわね。こんどは、あなたが嘘をついてるわ。心の奥底では、わたしがどんなことをやったにせよ、あなたを心底愛していることを知ってるはずよ」……
「愛しているかもしれない。だからどうだっていうんだ」
そして先にも書いたように、ゲス不倫もビックリのスペード、関わる女はブリジッドだけではない。夫を裏切り、サムを愛している(つもり)にもかかわらず、そのあまりの凡庸さにファム・ファタールになり得ない(ミス・ブランニュー・デイみたいですね。いや、私はサザン世代ではないですが)アイヴァ。心優しくひたすら献身的な秘書エフィ。
ところで、この『マルタの鷹』で検索したところ、非常に詳細に分析されているサイトを見つけた。
書評家の杉江松恋さん主催の過去の読書会のレポートのようだ。しかし、参加者みんなこんなレジュメを提出しないといけない読書会とは、なんてハードルが高いんだ……。
時系列の整理や、唐突に語られるフリッツクラフトの挿話(ホーソーンの『ウェイクフィールド』を少し思い出した)の意義についての考察など、たいへん読みごたえがあるが、なかでも翻訳家田口俊樹さんによる最後の問いかけ、
「サム・スペードとエフィの関係って何?」
というのがおもしろい。
ちなみに、田口さんは「絶対ヤってると思う」とのこと。が、読書会で討議した結果、「ヤってない派」(下品ですみません)が多数を占め、翻訳した小鷹さんも「ヤってない派」とのこと。「『angel』という呼びかけを見ても、スペードはエフィを女性として見ていないように思います」と。
で、私も「ヤってない派」ですね。小鷹さんが言うように、深い関係なら、女はangelでいられないのではないかと思うので。いや、深い関係になると、アイヴァ(凡庸な女)か、ブリジッド(ファム・ファタール/悪女)のどちらかになるのか思うと、それはそれでなんだかおそろしいですが…
しかし、ハードボイルドは奥が深い。いや、もともとの自分のなかに存在しない要素なので、いちいち唸らされることが多い。共感できない読書、というのもおもしろいものだと感じる今日この頃です。