快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

わたしの大好きな本の半生 『わたしの名前は「本」』(ジョン・アガード 著 金原瑞人 訳)

 フィルムアート社の読者モニター募集に申し込み、この『わたしの名前は「本」』を読ませてもらいました。 

わたしの名前は「本」

わたしの名前は「本」

 

  タイトルからわかるように、「本」が「わたし」という一人称で自らの由来を語る形式の物語で、まずは「本の前に、息があった」と、本になるまえの口承物語の時代からはじまる。(ちなみに、私が読んだのはゲラ版なので、最終的な本とはちがう箇所があるかもしれません)

 古代の本というと、シュメール人が粘土板に楔形文字を刻んだ……などは一応世界史で習った覚えがあるが、カエルを送ってメッセージを伝えようとしていたなどは知らなかった。カエルでメッセージがちゃんと伝わるのかって? いや、案の定伝わらないのですが。詳細は読んでみてください。


 それから、アルファベットが生まれ、古代に紙として使われたパピルスが作られ、それから羊皮紙が作られるようになり、中世では修道士たちが羽根ペンで羊皮紙に書写をする。

 と書くのは簡単だけど、実際は羊皮紙を作るにもおそろしい手間がかかり、また羽根ペンで書くにしても、当時は店でインクを売っているわけではないので、「虫こぶ」なるものを取ってきて(オークの木にできるこぶらしい)、すりつぶして鍋に入れて水にひたしてと、ひどくたいへんだったようだ。印刷のない時代はすべて手で書き写さなければいけなかったので、修道士たちが一枚一枚書写をする。

 これだけの苦労をしてでも、人々は書いて伝えようとした、あるいは書いて残そうとした。その情熱を思うと、ただただ圧倒される。


 そして、本の歴史において、いや、人類史上において画期的なできごとがおきる。グーテンベルク活版印刷機を発明する。

聖なるものを閉じこめていた封印をはがして、「真実」に翼を与えよう。そうすれば、真実は人々の魂に届き、人々は真実の言葉によって、世界を知ることができる。 

 

というグーテンベルクの言葉のとおり、翼を与えられた活字は、学者や修道士といった一部の人々だけでなく、一般の人々の間にも普及していく。


 以降は、産業革命の発展にともない、蒸気機関を使った高速印刷機が生まれ、世界大戦を経てペーパーバックが生まれ……と本の歴史がひととおり語られたあと、本をめぐる状況に焦点があてられるのだけど、私はそこがとくに興味深かった。


 シュメール人が「記憶の家」と呼び、エジプト人が「魂をいやす場所」と呼び、チベット人が「宝石の海」と読んでいた場所。そこはどこでしょう?


 そう、図書館です。
 はるか昔から図書館は存在し、図書館員は「粘土板の番人」として知られ、アッシリアの王やエジプトの王、ローマ人たちも図書館を愛好していた。人々はインドの寺院でも、サハラ砂漠の片隅でも、図書館に行って本を読んでいた。

 時が経つにつれて、図書館は一部の人たちの秘密の部屋ではなくなり、一般の人でも無料で自由に本を借りて読めるようになった。そう、まさにバベルの図書館、と思うと

わたしは昔から、天国とは図書館のような場所だと想像していた

と、やはりボルヘスの言葉が紹介されていた。

 大富豪のアンドルー・カーネギーは、「少年少女のためにお金を有効に使うとしたら、公共図書館を作るのが一番だ」と、世界中に2500以上の図書館を設立したらしいけど、まさにそのとおりだと感じる。

 私も子供のときから近所の図書館に通って、本を読むようになったので、本好きな子供にとって図書館は欠かせないものだと思う。最近、図書館のせいで本が売れないみたいな議論をよく目にするけれど、図書館を規制すると、よけいに本離れが加速するだけではないかと思えてならない。


 しかし、本の歴史を振り返ると、先にも書いたように、古来からの人類の本に対する情熱に感じ入ってしまう。
 それだけ重要なものであるがゆえに、敵視されたこともあった。この本では、「かつて、焼かれそうになっ」た時代のことも語られる。
 
 2000年前の中国の焚書坑儒からはじまり、キリスト教の歴史において、植民地の歴史において、そしてナチスドイツによって、セルビアの紛争において、イラク戦争において、幾度も焼かれてきた。「そういうとき、わたしは、ある詩を思い出す」と、ドイツの劇作家、詩人のブレヒトの「本を燃やす」という詩が紹介されている。人はどんなときでも本に真実を刻みつける。


 そしていまや「わたし」の環境はスクリーンにもなった。電子書籍だ。しかし、これまで見てきたように、粘土板やパピルスに羊皮紙とさまざまな変貌を経てきた「わたし」にとっては、さしておどろくものではない。
 ただ、あの懐かしい「本のにおい」を、すぐに人々が忘れ去ることもないだろうと考えている。


 と、本の半生が語られるこの本を読むと、人は生きているかぎり、なにかを読んだり書いたりすることから逃れられないのだなあらためて感じた。

 この本には、上で引用したもの以外にも、エミリー・ディキンソンやマーク・トゥエインなどの本にまつわるたくさんの詩や言葉が引用されているのだけれど、一番気に入ったのが、グレイス・ニコルズというイギリスの詩人の詩だった。

わたしの大好きな本は 指で触れられ、めくられ
小さなバターのしみがついて パンのくずがはさまって いるかもしれない
たまに猫のひげも 所々、角が折れて 涙のあとも 茶色のよごれも
(もしかしたら、紅茶のしみ)