快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

お父さんは心配性?? 『殺人者の記憶法』(原作 キム・ヨンハ 著 吉川 凪 翻訳/映画 ウォン・シニョン監督)

俺が最後に人を殺したのはもう二十五年前、いや二十六年前だったか、とにかくその頃だ。それまで俺を突き動かしていた力は、世間の人たちが考えているような殺人衝動や変態性欲などではない。もの足りなさだ。もっと完璧な快感があるはずだという希望。

  いや、この『殺人者の記憶法』、半端ないおもしろさだった。原作もじゅうぶん破壊力があるが、映画の方も、原作からの期待に負けない、いや上回るほどの見ごたえのある作品だった。 

殺人者の記憶法 (新しい韓国の文学)

殺人者の記憶法 (新しい韓国の文学)

 

 主人公の「俺」は過去にいくつもの殺人を犯した。しかし、とある事故をきっかけに、殺人に魅力を感じることができなくなり、足を洗う。
 それからは獣医の仕事に専念し、趣味としてカルチャースクールで詩を習い、娘のウニ――実はかつで自分が殺した相手の子供――と平穏な日々を送っていた。

 ところが、70歳になった「俺」は、なにもかもすぐに忘れるようになり、アルツハイマーだと診断される。ついさっきのことを忘れたり、気がついたら知らない場所にいるのが日常茶飯事になった。なるべくウニに迷惑をかけないよう、どんなことでもノートに記録する。 

オイディプスは無知から忘却に、忘却から破滅に進んだ。俺はその正反対だ。破滅から忘却に、忘却から無知に、純粋な無知の状態に移行するだろう。

  最近、近所で若い女を狙った連続殺人事件が発生している。ウニのことが心配でたまらない。そんなある日、「俺」は車で接触事故を起こし、相手の若い男が運転する車のトランクから死体のようなものを目撃する。元殺人者特有のカンで、この男が連続殺人犯にちがいないと確信する。

 それからしばらくして、ウニが恋人を家に連れてくる。初対面のはずだが、どこかで会ったような気もする。でも記憶があてにならないのは、自分でもよくわかっている。
 

ノートをひっくり返して、驚いた。あいつだった。こんなことが、あり得るのか。狐につままれたような気分だ。あいつは平気な顔で俺の家に入ってきた。それも、ウニの婚約者として。それなのに、俺はあいつが誰なのか、まったくわからなかった。あいつは俺が芝居をしていると思っただろうか。それとも、ほんとうに自分をまったく忘れてしまったと思っただろうか。 

 とまあこの調子で、主人公の元殺人者は、現殺人者から愛する娘を守るべく奮闘する、いや、しようとするのだが、いかんせんボケているので、肝心なときに、はて、自分は何をしに来たのやら? 目の前のこの男はだれだっけ?? がくり返されるのである。吉本新喜劇なら盛大にコケているところだ。
 
 というと、完全にコメディのようだが、実際映画の方は笑える場面も多かった。とくに、デート中の娘と恋人を探しに、主人公がものすごい形相で映画館を探し回るのだが、案の定途中ですっかり忘れて、ポップコーンを食べて笑いながら映画を観てしまったりするところは、『お父さんは心配性』の父親パピィを思い出した。 

お父さんは心配症 (1) (りぼんマスコットコミックス (351))

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  けれども、腐っても殺人者。頭が正常に戻ると、ひたすら身体を鍛え、武器らしきものも取りだして、娘の恋人の殺害計画を練る、ってこれが「正常」に戻っているのかはともかく、ここもかなりパピィ要素が強い。

 あと、カルチャーセンターの場面も笑える。原作では、主人公が詩を愛好するという設定によって、小説の詩的効果が高まっているが、映画では笑いどころとなっていた。カルチャーセンターで主人公につきまとうあの女、よう殺さんもんやなと思っていたら……
 
 しかし、さすが韓国映画。笑いもありつつ、殺人や暴力の描写は容赦ない。主人公が人を殺しはじめるきっかけとなった重要な場面は、映画でもきちんと描かれており、枕からあふれるそばがらに戦慄した。ちなみに、原作を読んだとき、その最初の殺人の顛末と「信頼できない語り手」問題から、以前に紹介した『その雪と血を』を思い出した。 

その雪と血を (ハヤカワ・ミステリ)

その雪と血を (ハヤカワ・ミステリ)

 

  ここまでの基本設定は原作も映画も同じだが、快感を求めて殺人をくり返した原作とちがい、映画では、主人公が殺すのは「正当な」理由のある相手であり、ある意味「正義の殺人」を犯したことになっていた。いや、殺人を正当化することはできないが、しかし、高い指輪を飲みこんだ飼い犬を殴り殺した飼い主なんかは、たしかに ”おまえはもう死んでいいやつ”(by みうらじゅん)と心底思った。

 なので、映画の主人公は「善人」に感じられ(殺人者だが)、観客も感情移入し、娘を守るための現殺人者との戦いに思わず見入ってしまう。そしてその結末は――
 
 ここで映画は原作と離れる。原作のオチは一種の叙述トリックなので、映画で再現すると肩すかしのようになるかもしれないので、映画ではこの展開がスリリングで正解だったと思う。しかし、『お嬢さん』もそうでしたが、韓国映画は、ただでさえ一筋縄ではいかない原作を、さらに一捻りする傾向がありますね。
 
 それにしても、元殺人者を演じたソル・ギョングの迫力がすごかった。原作では70歳だが、映画では「最後の殺人を犯したのが17年前」となっていたので、60代の設定のようだ。
 実際のソル・ギョングは50前らしいが、年老いアルツハイマーの殺人者になりきっていた。がしかし、年寄りのくせにめっちゃ強い。最後の格闘シーンなど、もう事切れるのかと思いきや、不死身のようにすぐさま復活するので、そこもパピィ要素だった。

 ソル・ギョングのみならず、一目会ったその日から殺人者と決めつけられるキム・ナムギルの冷徹な演技もよかった。また、アン署長を演じたオ・ダルス、ええ顔してるな~(でもダンディ坂野風だが)と思っていたら、韓国では妖精と呼ばれるほどの人気俳優らしい。(やはりダンディ坂野風だが)
 とまあ、見所がもりだくさんの映画なので、興味のある方は、ぜひ見に行くことをオススメします。