快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

2022年を生きのびるための1冊――『これは水です』(デヴィッド・フォスター・ウォレス 阿部重夫訳)

2022年になりました。あけましておめでとうございます。

正月といっても、ふだんと何も変わりはしないけれど……
と思いつつ、去年から積読していた、デヴィッド・フォスター・ウォレス『これは水です』をふと手に取ったところ、年末年始でぼんやりしていた目がはっと覚め、まさに年頭に読むのにふさわしい1冊だった。

デヴィッド・フォスター・ウォレスは、トマス・ピンチョン以降のアメリカのポストモダン文学を代表する作家であり、『Infinite Jest』をはじめとする難解な小説で知られている。
なので、去年『これは水です』が売れていると聞いたときは、なんでまた?と、おどろいた。

といっても、『これは水です』は小説ではなく、スティーヴ・ジョブズの “Stay hungry”のように、2005年にケニオン・カレッジの卒業式で披露したスピーチだと知って納得した。こちらでそのスピーチを聞くことができる。

www.youtube.com

 

スピーチの冒頭、デヴィッド・フォスター・ウォレスは、大学を卒業して、これから実社会に出ていこうとする学生たちにこう語りかける。(原文はこのサイトから引用しています)

I’m supposed to talk about your liberal arts education’s meaning

学生たちが大学で学んだリベラル・アーツ教育の意味について語ろう、と。

そこで疑問が浮かぶ。
そもそも、リベラル・アーツって何なん? 「一般教養」といった漠然としたイメージしかない。

訳書の訳者解説によると、リベラル・アーツとは単なる「一般教養」ではなく、言語(文系)や数学(理系)の枠を超えて、あらゆるものを包括する学問であり、「本来は『人を自由にする技芸』という意味」だと定義されている。人は学ぶことによって自由になるのだ。

とはいえ、リベラル・アーツの定義がどうあれ、どうせ教養や知識を身につけることが大切だ、といった説教くさい話じゃないの? 
と、スピーチというものに対して、そんな先入観を抱いている人もいるだろう。


しかし、デヴィッド・フォスター・ウォレスは、真のリベラル・アーツとは、教養や知性をどれだけ身につけるかではなく、何について考えるのか選択することだと語る。

the really significant education in thinking that we’re supposed to get in a place like this isn’t really about the capacity to think, but rather about the choice of what to think about.

そう、大事なのは capacity(容量)ではなく、the choice of what to think aboutなのだ。そして、自らを省みてこう告白する。

my deep belief that I am the absolute centre of the universe;

自分が世界の中心であると心の底から確信していた、と。
いや、どんな人でも、自分が世界の中心だと疑うことなく考えてしまう。だって、考えている主体は自分なのだから。それが私たちの初期設定(デフォルト)なのだ。

しかし、実社会に出るとそうはいかない。
学校を卒業してから待ち受けている日々とは……

One such part involves boredom, routine and petty frustration.

そう、「退屈 決まりきった日常 ささいな苛立ち」なのだ。
ここから、「平均的な社会人の1日」として、苛立ちに満ち、決まりきった退屈な日常を怒涛のように語りはじめる。

毎朝「ホワイトカラーの仕事」に出勤し、9時間か10時間働き、1日の終わりにはぐったり疲れる。家には食料がないので、帰りにスーパーに立ち寄らないといけない。道路は大渋滞。やっと着いても、スーパーもおそろしくごった返している。

And the store is hideously lit and infused with soul-killing muzak or corporate pop and it’s pretty much the last place you want to be but you can’t just get in and quickly out; you have to wander all over the huge, over-lit store’s confusing aisles to find the stuff you want and you have to manoeuvre your junky cart through all these other tired, hurried people with carts

しかも、蛍光灯はぞっとする光を放ち、死にたくなるような音楽(あるあるですね)か、もしくはCMソングがうるさく流れている。
ほんとうなら、こんなところ1秒たりともいたくない。とっとと出ていきたい。
でも食料を買わなければならない。同じように疲れた顔で、そそくさとカートを押している客にまじって、自分も馬鹿みたいなカートを押す。

なんとか買うものを決めてレジにたどり着くと、案の定、レジも大混雑している。しかし、自分以上に無意味な労働でぐったり疲れているレジ係にわめき散らすわけにもいかない。さんざん並んで会計を済ませ、へとへとになって駐車場へ戻り、買ったものを車に積みこんで、家へ向かって車を走らせると、またも道路は大渋滞――

これが現実であり、この日常が死ぬまでえんえんと続くのだ。

いったいどうしたら、この世界を生きのびることができるのか? 

そのためには、生まれもった初期設定――自分は世界の中心である――から脱却しないといけない。それが the choice of what to think about なのだ。

つまり、仕事終わりでへとへとの我が身のことばかり考えるのは初期設定のままであり、何ひとつ choice していない。そうではなく、自分と同じように疲れた顔でレジに並ぶ人たちの背景、大渋滞のなか車を走らせている人たちの事情について考えてみる能力が、the choice of what to think aboutなのだと、デヴィッド・フォスター・ウォレスは説く。

こう書くと、たやすいことのように思えるかもしれないが、とんでもなく難しい。

仕事終わりにスーパーのレジの長い列に並び、前のおばさん(or おじさん)がレジ係に何度もあれこれ聞き返しているとき、前のサラリーマンが領収書を発行しろとレジ係に言っているとき、前の家族のカートをよく見たら1か月くらい籠城するのかと思うほど食料がつめこまれているとき、レジ係が新人なのかあきらかに両横のレジより進むのが遅いとき……

イライラしない人がこの世に存在するだろうか? 
当然ながら私も、ハゲるのではないかと思うくらいイライラする。
初期設定からぜんぜん脱却できていない。

デヴィッド・フォスター・ウォレスはさらに語る。
真の教育によって得られる自由とは、何について考えるかを選択するということであり、くわえて、何を崇めるのかを決めることだと。

崇める? 自分は何も崇めていない。そう思う人もいるかもしれない。

が、現実の世界に生きる人間はかならず何かを崇めている。といっても、神様や宗教の話ではない。金、権力、美貌、知性……誰でも何かを崇めている。
そしてここでも、初期設定から脱却できなければ、金に固執し、権力に執着し、美が失われることに怯え、愚かだと思われることを恐れる人生を歩むことになると説く。

自分中心の初期設定のまま生きるのか、あるいは他者に思いを馳せ、ほんのささやかな、人目につかないやり方で、他者のために自分の身を尽くして生きるのか……

That is real freedom. That is being educated, and understanding how to think.

後者こそがほんとうの自由であり、それが教育を受けるということであり、ものの考え方を学ぶことだと、デヴィッド・フォスター・ウォレスは語る。

どうにかそれを身につけて 

銃で自分の頭を撃ち抜きたいと

思わないようにすることなのです

そう、それを身につけなければ、この世界を生きのびることはできない。

このくだりは実際のスピーチにはなく、本になるときに書き足されたものである。
スピーチの3年後の2008年、デヴィッド・フォスター・ウォレスが自殺した事実を考えると、この一節が胸に重くのしかかり、苦しさがこちらにも伝わってくる。

ところで、デヴィッド・フォスター・ウォレスといえば、代表作である『Infinite Jest』すら翻訳本が出ていないので、ほとんどの作品が未訳かと思っていた。
けれども、今度の『短編回廊』読書会の参考図書として、村上春樹編訳のアンソロジー『バースデイ・ストーリーズ』を読んでいると、短編「永遠に頭上に」が収録されていた。

13歳の誕生日を迎えた少年が、プールに飛びこむというだけの短い物語なのだが、大人になりつつある少年と、梯子をのぼって飛びこみ台に立つ高揚感がうまく重ね合わされた、「不思議なクールさと優しさをこめた」(村上春樹の解説より)作品だ。

また、『Infinite Jest』については、『世界物語大事典』で詳しく紹介されている。
それによると、アメリカがメキシコ、カナダと合併して北米国家機構という巨大国家を形成した近未来を舞台として、並外れた知性を持ち、テニススクールに通う17歳のハルを主人公としたSF小説らしいが……わかるような、わからないような……とにかく翻訳本が出てほしいものだ。

そして、GRAPEVINEの「これは水です」も、おそらくこのスピーチの影響のもとで作った曲なのだろう。文学性の高い歌詞で知られる田中さんは、読書家としても名高い(『文學界』に寄稿したりもしていますね)。

というわけで、自分中心の初期設定から脱却して、レジの大行列に巻きこまれてもイライラせずに(できるかな…?)、2022年を生きのびよう! 
と、年頭の誓いを立てました。

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