快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

女たちは、「しあわせ」になれたのだろうか? 永井みみ『ミシンと金魚』

さて、先月の書評講座の課題は、永井みみ『ミシンと金魚』でした。

去年すばる文学賞を受賞したこの小説は、認知症の老人によるひとり語りという形式が大きな話題となった。
作者が実際に介護ヘルパーとして働いていた経歴もあり、恐ろしいスピードで高齢化が進む日本社会をリアルに描いた作品として評価された。

……と思って読みはじめたら、そんなありがちな枠をぶち壊すような小説だった。いったいどういう物語なのかというと、以下が私の書評です。

 

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(題)すべての女たちの「ミシンと金魚」

 

『ミシンと金魚』を読んで、内職という言葉をひさびさに思い出した。私の母は革靴を縫う内職をしていた。幼い私は革のにおいが嫌でたまらなかった。


『ミシンと金魚』の主人公カケイさんは、介護施設の職員「みっちゃん」に「今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?」と問いかけられて、これまでの人生を回想する。
箱職人だった父親、父親に殴られ続けた母親、もともと八兵衛、いわゆる女郎だったまま母、やくざ者の兄とその恋人、兄が強引にあてがった夫……「凄絶な女の一生」という帯文句にふさわしい一代記である。

では、なぜそんな物語のタイトルが「ミシンと金魚」といった可愛らしいものになっているのか? 
ミシンはカケイさんの仕事道具だった。働き者だった祖母からの「女はねえ、絶対手に職つけなきゃ、損するぞ」という教えを守って、カケイさんは、朝から晩までミシンを踏み続けた。

息子たちを残して夫が蒸発したときも、「すぐあきらめて、仕方ないから、ミシンを踏んだ」。「ミシン踏んでるときだけ、よけいなことをかんがえずに」済み、「嫌だったことも、ぜーんぶわすれて、からっぽんなってラク」になった。
カケイさんがミシンを踏んでいるあいだ、金魚が子守をしてくれた。金魚は儚い愛の象徴だった。

『ミシンと金魚』には、カケイさん以外にも働く女が描かれている。「みっちゃん」、そして女医。冒頭の場面で、カケイさんを強い薬でおとなしくさせようとする女医に、介護施設の職員である「みっちゃん」が抗うくだりは印象的だ。

「大変でしょう」と言う女医に、「仕事ですから。大変ではありません」と返す「みっちゃん」からは、仕事に対する矜持が伝わってくる。そのあと「みっちゃん」はカケイさんの前で涙を流す。そしてカケイさんは、偉そうな女医もどこかで泣いていることを見抜いている。女たちはときに涙を流しつつも、自分の金魚を守るために働いている。


カケイさんは、女たちは、働くことで「しあわせ」になれたのだろうか? 
カケイさんは、ミシンを散々踏んだ挙句に足が曲がり、「損した」と祖母を恨めしく思う。けれども、カケイさんは内職で貯めた10万922円には、どんなものにも代え難い価値がある。

いま、私の母も介護施設で暮らしている。母も金魚を守るために働いていたのだろうか。「みっちゃん」に「しあわせでしたか?」と問われたらどう答えるのだろうかと、つい考えてしまった。

(ここまで)------------------------------------------------------------


書評でも記したように、とにかくカケイさんの人生がやたら凄絶で、そしてその凄絶な人生を飄々と語る不思議なグルーヴに圧倒された。

カケイさんは自分の育ちをこう語る。

だからあたしは、だいちゃんのお乳を吸ってそだったの。ものごころついてもしばらく、だいちゃんのお乳を吸ってたの。なんとなくおぼえてんの。あのね、誰にも言わないでよ。ここだけの話し、あたし、だいちゃんのこと、かあちゃん、て、呼んでたのよね。

この「だいちゃん」が何者かというと、犬なのである。まま母にも兄貴にも育児放棄された幼いカケイさんは、犬の乳を飲んで育ったと言うのだ。

認知症を患っているカケイさんは、もちろん「信用ならない語り手」である。カケイさんのなかでは、介護ヘルパーはすべて「みっちゃん」である。息子が生きているのか死んでいるのかもわからない。

けれども、カケイさんの発する言葉には真理がある。

でも、まあ、としよりになったら、ほかのじいさんたちみたくえばってるのは負けで、おもしろいことを言ったりやったりしたもん勝ちだ。

このカケイさんに言わせると、役職についていたようなじいさんは、隠居したあとも「ずっとずっとえばってて」「だいたいがタチがわるい」そうだ。

その一方でカケイさんは、ヘルパーの「みっちゃん」たちや自分を支えてくれた広瀬のばーさんの思いやりに気づき、さらには遺産のために通ってくる嫁や偉そうな女医の心中までも慮る。

シスターフッドというのは最近の小説のキーワードでもあり、もう聞き飽きたという人もいるかもしれないが、この『ミシンと金魚』も一種のシスターフッド小説なのかもしれないと思った。

正直に言うと、「凄絶な女の一生」といった言葉で評される小説はあまり得意ではなく、同じ回のすばる文学賞で佳作となった『我が友、スミス』の方が自分の好みである。
しかし、簡単に咀嚼できない違和感を抱きつつも、カケイさんの語りの力で思わず一気読みしてしまった。そんな不思議な魅力のある作品だった。