「かけがえのない」ものはどこにあるのだろうか? 芥川賞候補の話題作――年森瑛『N/A』
先月の書評講座の課題は、芥川賞候補にもなった話題作、年森瑛『N/A』でした。
まずシンプルな感想として……おもしろかった!
帯や評判から想像する、こういう話なのかな? というラベリングをことごとく否定するところ――まさにN/A、「“Not Applicable”=該当なし」――が心に迫り、女子高生たちのいきいきとした会話も含めて、愛おしい気持ちになる小説でした。
私の書評は以下のとおりです。
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(題)「かけがえのない」ものが生まれる瞬間
〈拒食症でLGBTの主人公のまどかは、女子高での王子様扱いに物足りなさを感じ、「かけがえのない他人」を求めて、同性のうみちゃんと付き合いはじめる。しかし、SNSをきっかけに学校の友人に関係がばれてしまい、別れの選択を余儀なくされる〉
『N/A』をこうまとめることもできる。しかし実際に読むと、まったく異なる印象を受ける。こういった使い古された言葉でラベリングされることを徹底的に拒否している。この物語が求める「かけがえのない」ものは、使い古された言葉の対極に位置している。
うみちゃんのTwitterを発見した友人の翼沙は、自分の言葉でまどかと話すことができず、『LGBT 接し方』『友達 レズビアン』など散々検索する。「正しい接し方のマニュアルをインストール」するために。自分の正しさを担保したいとき、人は使い古された言葉を探す。
うみちゃんはまどかと接するとき、あるいはTwitterに投稿するとき、正しい言葉を探して検索しただろうか?
おそらくしていない。なぜなら、同性パートナーとの交際を承認してほしいといううみちゃんの望みは、疑いようもなく正しいものだからだ。「多様性を認めてみんなで助け合いましょう」というコピーのように正しい。
では、うみちゃんは自分の言葉でまどかと向きあっていたのだろうか?
「いつか虹がみえると信じてる」などの一連の投稿は、どこかで聞いたような陳腐な文言だ。うみちゃんにとって、まどかとの関係は「かけがえのない」ものであったというより、「同性パートナー」という言葉が含む価値観、使い古された言葉の文脈にそったものであったと思われる。
では、「かけがえのない」ものはどこにあるのだろうか?
まどかと対峙した翼沙は、あれほど準備していたのに熱暴走を起こし、結局「用意していた言葉を全て使い切って」、トイレに入って食べたものを吐く。
祖父がコロナに罹ったオジロに対し、まどかも翼沙も悩んだすえにかける言葉が見つからず、オジロの言葉にただ既読をつける。
再会したうみちゃんは、生理になって困っているまどかに、聞いたことのない早口で話しかける。
用意しておいた言葉が消える瞬間、相手に向かって心の底から言葉を発する瞬間、使い古された言葉によるラベリングが消えて、「かけがえのない」ものが生まれるのではないだろうか。
そしていつか、互いに手を振り、「ぐりとぐらみたいに」踊る母と叔母のように、言葉がいらない関係になるのかもしれない。
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書評にも記したように、主人公のまどかは自分をラベリングされることを拒否し、「かけがえのない」他人を求めている。
そのくせ、恋人のうみちゃんといった他者と向き合うことをしない。落ちこんでいる友人のオジロにかける言葉を見つけられず、ネットで使い古された言葉を検索して済まそうとする。
つまりは、自分が誰かにとって「かけがえのない」存在でありたいだけなのでは? そもそも、「かけがえのない」という言葉だって、散々使い古された言葉なのではないか――
受講生のなかには、そんなふうに主人公まどかの幼稚さ、身勝手さを指摘した人も多かった。しかし、私は単純にまどかに感情移入しながら読んだので、自分の幼稚さを指摘されたような気にもなってしまった。
この小説の最後の場面、うみちゃんと再会したまどかが、散々使い古された言葉に新しい意味を見出す瞬間をどう解釈するのか――まどかの成長なのか、現実との苦い邂逅なのか――というのも非常に興味深い論点である。
現実世界や、それに付随するラベリングをことごとく拒否し続けると、最後にはサリンジャーのホールデン少年のようにクラッシュしてしまう。だから、この小説の最後の場面もまどかの成長ととるのが正しいのだろう。けれども、幼稚で頑ななままでいてほしい気もした。
あと、書評では取りあげなかったけれど、この小説に出てくる教師の安住が――女子高で人気のある若い男の教師だが、ふとしたきっかけで隣国を侮蔑する発言をし、最終的には歳の離れた元教え子と結婚する――なんかキモくて嫌やなと思ってしまったのだが、書評家の豊崎由美さんのメッタ斬りチャンネルをみたところ、この小説を非常に高く評価しながらも、「大人世代の描き方が型にはまっているのが欠点」と言われていて、そうか、キモい男の典型として描いていたのか!と納得した。