快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

わたしの大好きな本の半生 『わたしの名前は「本」』(ジョン・アガード 著 金原瑞人 訳)

 フィルムアート社の読者モニター募集に申し込み、この『わたしの名前は「本」』を読ませてもらいました。 

わたしの名前は「本」

わたしの名前は「本」

 

  タイトルからわかるように、「本」が「わたし」という一人称で自らの由来を語る形式の物語で、まずは「本の前に、息があった」と、本になるまえの口承物語の時代からはじまる。(ちなみに、私が読んだのはゲラ版なので、最終的な本とはちがう箇所があるかもしれません)

 古代の本というと、シュメール人が粘土板に楔形文字を刻んだ……などは一応世界史で習った覚えがあるが、カエルを送ってメッセージを伝えようとしていたなどは知らなかった。カエルでメッセージがちゃんと伝わるのかって? いや、案の定伝わらないのですが。詳細は読んでみてください。


 それから、アルファベットが生まれ、古代に紙として使われたパピルスが作られ、それから羊皮紙が作られるようになり、中世では修道士たちが羽根ペンで羊皮紙に書写をする。

 と書くのは簡単だけど、実際は羊皮紙を作るにもおそろしい手間がかかり、また羽根ペンで書くにしても、当時は店でインクを売っているわけではないので、「虫こぶ」なるものを取ってきて(オークの木にできるこぶらしい)、すりつぶして鍋に入れて水にひたしてと、ひどくたいへんだったようだ。印刷のない時代はすべて手で書き写さなければいけなかったので、修道士たちが一枚一枚書写をする。

 これだけの苦労をしてでも、人々は書いて伝えようとした、あるいは書いて残そうとした。その情熱を思うと、ただただ圧倒される。


 そして、本の歴史において、いや、人類史上において画期的なできごとがおきる。グーテンベルク活版印刷機を発明する。

聖なるものを閉じこめていた封印をはがして、「真実」に翼を与えよう。そうすれば、真実は人々の魂に届き、人々は真実の言葉によって、世界を知ることができる。 

 

というグーテンベルクの言葉のとおり、翼を与えられた活字は、学者や修道士といった一部の人々だけでなく、一般の人々の間にも普及していく。


 以降は、産業革命の発展にともない、蒸気機関を使った高速印刷機が生まれ、世界大戦を経てペーパーバックが生まれ……と本の歴史がひととおり語られたあと、本をめぐる状況に焦点があてられるのだけど、私はそこがとくに興味深かった。


 シュメール人が「記憶の家」と呼び、エジプト人が「魂をいやす場所」と呼び、チベット人が「宝石の海」と読んでいた場所。そこはどこでしょう?


 そう、図書館です。
 はるか昔から図書館は存在し、図書館員は「粘土板の番人」として知られ、アッシリアの王やエジプトの王、ローマ人たちも図書館を愛好していた。人々はインドの寺院でも、サハラ砂漠の片隅でも、図書館に行って本を読んでいた。

 時が経つにつれて、図書館は一部の人たちの秘密の部屋ではなくなり、一般の人でも無料で自由に本を借りて読めるようになった。そう、まさにバベルの図書館、と思うと

わたしは昔から、天国とは図書館のような場所だと想像していた

と、やはりボルヘスの言葉が紹介されていた。

 大富豪のアンドルー・カーネギーは、「少年少女のためにお金を有効に使うとしたら、公共図書館を作るのが一番だ」と、世界中に2500以上の図書館を設立したらしいけど、まさにそのとおりだと感じる。

 私も子供のときから近所の図書館に通って、本を読むようになったので、本好きな子供にとって図書館は欠かせないものだと思う。最近、図書館のせいで本が売れないみたいな議論をよく目にするけれど、図書館を規制すると、よけいに本離れが加速するだけではないかと思えてならない。


 しかし、本の歴史を振り返ると、先にも書いたように、古来からの人類の本に対する情熱に感じ入ってしまう。
 それだけ重要なものであるがゆえに、敵視されたこともあった。この本では、「かつて、焼かれそうになっ」た時代のことも語られる。
 
 2000年前の中国の焚書坑儒からはじまり、キリスト教の歴史において、植民地の歴史において、そしてナチスドイツによって、セルビアの紛争において、イラク戦争において、幾度も焼かれてきた。「そういうとき、わたしは、ある詩を思い出す」と、ドイツの劇作家、詩人のブレヒトの「本を燃やす」という詩が紹介されている。人はどんなときでも本に真実を刻みつける。


 そしていまや「わたし」の環境はスクリーンにもなった。電子書籍だ。しかし、これまで見てきたように、粘土板やパピルスに羊皮紙とさまざまな変貌を経てきた「わたし」にとっては、さしておどろくものではない。
 ただ、あの懐かしい「本のにおい」を、すぐに人々が忘れ去ることもないだろうと考えている。


 と、本の半生が語られるこの本を読むと、人は生きているかぎり、なにかを読んだり書いたりすることから逃れられないのだなあらためて感じた。

 この本には、上で引用したもの以外にも、エミリー・ディキンソンやマーク・トゥエインなどの本にまつわるたくさんの詩や言葉が引用されているのだけれど、一番気に入ったのが、グレイス・ニコルズというイギリスの詩人の詩だった。

わたしの大好きな本は 指で触れられ、めくられ
小さなバターのしみがついて パンのくずがはさまって いるかもしれない
たまに猫のひげも 所々、角が折れて 涙のあとも 茶色のよごれも
(もしかしたら、紅茶のしみ)

 

なぜか親子の話から、ダン・ブラウン『ロスト・シンボル』『天使と悪魔』『ORIGIN』(『オリジン』?)にまで思いを馳せた

 『母がしんどい』『呪詛抜きダイエット』などを描いている、田房永子さんによる清水アキラ親子についての考察がおもしろかった。(リンク先のLove Piece Clubは18禁サイトかと思うので、念のためご注意を)

www.lovepiececlub.com

「小学生みたい、それか昭和の犬」って、まさにそのとおりだ。
それにしても、『マルコヴィッチの穴』のあのポスターが、マルコヴィッチではなくぜんぶ清水アキラになったなら、、、嫌すぎる。田房さんは

親子の絆 とかを大切に思う価値観の人にとっては、嫌なコラムだと思う。(ていうかそういう人にとっては私の書くもの全部嫌だと思うけど…笑)

とツイートしていたが、ほんといわゆる"親子(もしくは家族)の絆の大切さ"みたいな、安直な常套句は滅んでほしいものです。


 ところで、私があの「保釈しません!」という会見で思い出したのは、少しネタバレになるのかもしれないけれど、ダン・ブラウンの『ロスト・シンボル』だった。

 

ロスト・シンボル (上) (角川文庫)

ロスト・シンボル (上) (角川文庫)

 

読まれた方にはおわかりかと思いますが、一芸に秀でた親を持つのも、なかなかつらいものなのかもしれない。(ピーター・ソロモンと清水アキラを一緒にするなと言われそうだが)


 考えたら、ラングドン教授シリーズの第一作『天使と悪魔』も、
セルン(欧州原子核研究機構)や、キリスト教コンクラーベや、現代に蘇った秘密結社イルミナティ……などなど、「なにがなんやら」とすっかり頭が混乱したかと思いきや、
殺人者(ハサシン)に何度襲われても、密室に閉じこめられても、挙句の果ては空を飛ぶヘリコプターから飛び降りても絶対死なないラングドン教授に度肝をぬかれたりと、

尋常でないくらい濃密なストーリーが展開されるなか、最初から最後まで貫かれるテーマは、親子とはどういうものなのか? ということだった。 

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

 

 ヒロインであるヴィットリアと殺されたヴェトラの関係からは、血がつながっていなくても"親子の絆"が成立することもあるのだと示され、後半で明かされるコーラーの親は、いまならば"毒親"と言えるのではないかと考えさせられる。

 そして、カメルレンゴの「奇跡的」な "親子の絆"……(それにしても、映画版のカメルレンゴ役を演じていたのが、ユアン・マクレガーでおどろいた。結論としては、トレイン・スポッティングの方が似合っていると思った)


 それにしても、この『天使と悪魔』はシリーズ第一作だけあって、そのあとの作品で何度も取りあげられるテーマがすべて詰めこまれている。科学と宗教の対立、狂信的な秘密結社、美術品に隠された暗号、、、そして、10月に出た新作『ORIGIN』(最近の傾向だと、『オリジン』という邦題になるのだろうか)も、まさに科学と宗教をめぐる物語だった。 

Origin: A Novel

Origin: A Novel

 

  『ORIGIN』は、ビルバオグッゲンハイム美術館からはじまる。

 この美術館のことはまったく知らなかったのだけど、花や野草で埋めつくされた超大型犬パピーや、鉄でできた巨大グモのママンといった、現代美術の斬新すぎるオブジェが次から次へと出てきて、ものすごーく行きたくなった。日本でいうと、金沢の21世紀美術館みたいな感じだろうか。日本人作家中谷芙二子による『霧の彫刻』も見てみたい。


 ここで、ラングドン教授のかつての教え子であり、すっかり時代の寵児となった天才的頭脳の持ち主カーシュが、生命誕生の秘密を解明しようとしたそのとき、事件が勃発する。
 しかも、今回のヒロイン(いっそ寅さん風に"マドンナ"というほうがふさわしい気もする)はスペイン皇太子の婚約者なので、スペイン王室をも巻きこんだ大捜索劇へと発展する。

 例のごとく、追われる身となったラングドン教授とヒロインが真相を推理するのだが、今回はなんと、カーシュが創った人工知能ウィンストンがラングドン教授の相棒となる。
 ウィンストンを呼び出して助言を求めるラングドン教授が、どうしても「ドラえも~ん」と助けを求めるのび太に思えて仕方がなかった。ちょうどしずかちゃん(ヒロイン)もいるし。


 また、これまでの作品と同様に、名所旧跡の案内もぬかりない。カサ・ミラって、ほんとうに住んでる人がいるのだとはじめて知りました。そして、スペインなので当然(?)サグラダ・ファミリアでクライマックスを迎える。さっきのビルバオとあわせて旅行に行きたい度がMAXになることはまちがいなし。スペイン王室への無礼もこれでチャラになるはず……

 
 というわけで、今作は、AIにしても「生命のひみつ」にしてもそんなに難解ではなく、また、宗教的でもスピリチュアル的でもないため、先の『天使と悪魔』などに比べると、「なにがなんやら」度は低いと思うので、
これまで苦手だった、実は『ダ・ヴィンチ・コード』も挫折したなんていう方も、また手に取ってみてはいいのではないでしょうか。

 といっても、いまはまだ翻訳は出ていませんが、来年の春には出るらしいので、しばしお待ちを。

”歴史の証人”となるためのブックガイド② 『1980年代』『小さいおうち』(中島京子)『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ 著, 斎藤真理子 翻訳)


 さて、前回は欧米の歴史についての本を紹介したけれど、やはり日本とアジアについての歴史も忘れちゃいかんと、日本の近過去を扱った『1980年代』も読んでみました。 

1980年代 (河出ブックス)

1980年代 (河出ブックス)

 

  というか、斎藤美奈子さんが編集しているので、気になって手に取ったのですが。

 さまざまな書き手が、1980年代のあらゆる事象について考察していて、なかでも作家の中島京子さんと、翻訳家・ライターの斎藤真理子さんが、80年代に流行した「日本を脱出して留学する女性」の当事者として、自らの経験を語っているのが興味深かった。

出版社で働いたのちに、アメリカに留学した中島京子さんは、こう書いている。

就職して何年後かに海外に行くというスタイルは、80年代以降、若い女性の人生コースの一選択肢であり続けている。
彼女たちの海外雄飛は、いつまでも男性優位と同調圧力が止まないこの国を生きる女性たちに、その息苦しさから離れてみる時間と空間を提供しつづけているのだろう。

まさにそのとおり、としか言いようのない。

 中島京子さんというと、以前こちらで話題作の『妻が椎茸だったころ』を紹介したけれど、

dokusho-note.hatenablog.com

歴史を描いた作品としては『小さいおうち』がある。

 女中による控えめな語り口で、ある一家において戦時中に秘められた想いがあかされるという、カズオ・イシグロの『日の名残り』を思わせる物語だった。

 山田洋次監督によって映画化されたのでご存じの方も多いでしょうが……それにしても、奥様が松たか子で女中が黒木華、というのはハマリ役だけど、「板倉さん」が”満男くん”(いや、”純”ですかね)こと吉岡秀隆だったのは、少々イメージとちがったが、、、それこそ現代のシーンを演じた妻夫木くんの方がよかったかと。(注:あくまでも個人の感想です)

 まあとにかく、小説の方は、昭和初期の穏やかな暮らしを戦争が徐々に蝕んでいくさまがじっくりと描かれていておすすめです。いままさに読むべき本かもしれません。 

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

 

 そして、斎藤真理子さんのエッセイは、まだ韓国が「軍事独裁のコワイ国」、または「買春観光の国」と思われていた1980年代に韓国語を学ぶということ、について書かれていて、たいへん刺激的だった。

「買春観光の国」って、若い人はご存じないでしょうが(私もそんなに詳しくないが)、1980年代、日本の男たちはアジアに「買春観光」することで有名だった…ってこれぞまさに恥ずべき歴史ですね。

 そういえば、私が韓国にはじめて行ったのは2000年前後だけど、韓流ブームの前だったので、韓国旅行といえば「パチもん(偽ブランド品)買い」か「板門店(またはロッテワールド)観光」が目的だと思われていたのだった。
 それがいまは、韓国といえば、韓流スターに質の高いコスメ、そして街を歩くきれいな女の子たち…となったので、時代のうつりかわりって案外あっという間なんだなと感じる。


 斎藤真理子さんが以前訳された、日本翻訳大賞を受賞したパク・ミンギュの『カステラ』もおもしろかったので、『こびとが打ち上げた小さなボール』もいま読んでいるところだけど、短編集なら読みやすいかなと思いきや、過酷な現実を描いていながら寓話のようでもあり、どの短編もどっしりとした読みごたえがある。 

カステラ

カステラ

 

 

こびとが打ち上げた小さなボール

こびとが打ち上げた小さなボール

 

 思いおこせば『カステラ』も、寓話のような物語を軽妙に語りつつ、ありがちな言葉だけど「現代の閉塞感」――具体的には大学を出ても職がないとか――をしっかりと伝えていた。

 そして、この『こびとが打ち上げた小さなボール』は、急激に経済発展する1970年代のソウルを舞台に、家を奪われる人々の生活を丹念に描いていて、この社会が奪おうとしているのは、家だけではなく人間の尊厳であることがひしひしと伝わってくる。

 ところで、今回ウィキペディアを見て、斎藤真理子さんが斎藤美奈子さんの妹だと知っておどろいた。兄弟姉妹っておもしろいものだなと、ひとりっこの私はあらためて感じた。


 あと、『1980年代』に戻ると、横井周子さんによる「少女マンガ界に咲くドクダミの花」への愛情あふれる文章もよかった。この懐かしい呼び名…そう、少女マンガ史に残る怪作、岡田あーみんの『お父さんは心配性』です。 

お父さんは心配症 (1) (りぼんマスコットコミックス (351))

お父さんは心配症 (1) (りぼんマスコットコミックス (351))

 

  あーみんは自分の作品のテーマは、「ストレートな愛情であり、迷惑スレスレの純粋さ」であると語っているらしい。ほんとそのとおりだ。
 しかしいま考えると、当時の『りぼん』って、『有閑倶楽部』や『ときめきトゥナイト』から、『ちびまる子ちゃん』や『お父さんは心配性』まで載せてたって、どんだけ幅広いねんってつくづく感じる。

 

”歴史の証人”となるためのブックガイド① ジョージ・ソーンダーズ『Lincoln in the Bardo』、『歴史の証人 ホテル・リッツ 生と死、そして裏切り』( ティラー・J・マッツェオ 著, 羽田 詩津子 訳)

 先日のノーベル文学賞に続き、ブッカー賞も発表になりましたね。日本でもすでに何冊か訳されている、ジョージ・ソーンダーズの『Lincoln in the Bardo』が受賞したとのこと。 

Lincoln in the Bardo: A Novel

Lincoln in the Bardo: A Novel

 

 

短くて恐ろしいフィルの時代

短くて恐ろしいフィルの時代

 

  人気作『短くて恐ろしいフィルの時代』を訳された、岸本佐知子さんのツイートによると

最愛の息子を幼くして失ったリンカーンが夜ごと墓地に舞い戻って息子の亡骸を抱きしめて泣いた、という史実に基づいて幻視された、墓地での一夜を描く物語です。

なにしろ舞台が墓場なので、数十人にのぼる登場人物はほぼすべて死者。メインキャラその1は新婚初夜直前に死んだので全裸で勃起しっぱなしの姿、その2は全身に目や鼻が無数についていて、その3は永遠に驚愕の表情が張り付いて取れない。

この一夜の出来事がリンカーン南北戦争、そして奴隷解放にも大きくかかわっていく、という感動的な流れになっていく。これが初長編ですが、ブッカー賞受賞もうなずける堂々たる風格の作品です。いやほんとにおめでとうございます。

とのことで、正直、どんな話なのやらいまいち想像がつかないけれど、めちゃくちゃおもしろそうではある。

 実はいま、歴史に関する本をいくつか読んでいて、リンカーンに関するノンフィクション『リンカーン』も目を通していたのだけど、 

リンカーン(上) - 大統領選 (中公文庫)

リンカーン(上) - 大統領選 (中公文庫)

 

 そこでも「ぼうやが逝ってしまった 1862年冬」という章で、このリンカーンの生涯の大事件が語られている。

 なんでも、リンカーンの奥さんメアリーは、高い教育を受けた才気煥発な女性であり、大統領になるような男と結婚したいという野心と自己主張が強かったため、すっかり嫌われ者になり(なんだか最近も聞いたことがあるような話だが)、現代に至るまで悪妻と言われ続けているけれど、
この本によると、息子ウィリーの死に打ちのめされたメアリーは、「罪悪感と深い悲哀感に苛まれ」「自身の傲慢な自尊心を罰するために、ウィリーの命を奪っていったのではないか」と思うようになり、降霊術などにはまっていく。

 そして、リンカーンが暗殺され、さらに息子テッドを亡くしたあとは、いっそう精神が不安定になり、精神病院に収容されたりと孤独な晩年をおくったらしい。

 ちなみに、この英文記事によると、ソーンダーズはチベット仏教の信者らしく、仏教徒として、死、そして再生(生まれかわり)のはざまを描いているとのこと。

www.nytimes.com

私も一応仏教徒だけど、理解できるのだろうか、、、以下が本人のコメントです。

“For me, the book was about that terrible conundrum: We seem to be born to love, but everything we love comes to an end,” (conundrum は謎とか問答という意味ですね)

リンカーン・イン・バルド』は上岡伸雄さんの訳で来年に刊行予定で、その前作『十二月の十日』は岸本さんの訳で出るそうです。楽しみだ。

 あと、『歴史の証人 ホテル・リッツ 生と死、そして裏切り』も読みました。 

歴史の証人 ホテル・リッツ (生と死、そして裏切り)

歴史の証人 ホテル・リッツ (生と死、そして裏切り)

 

  これはパリの高級ホテルであるホテル・リッツに焦点をあて、19世紀末から20世紀半ばまで、ホテル・リッツに出入りする人々の群像劇として歴史の変遷を見事に描いたノンフィクション。

 ドレフュス事件でゆれる世紀末のパリで、文名を高める野心に燃えるマルセル・プルースト。そして、もっとも多くのページが割かれているのは、やはりナチス占領から連合軍による解放までであり、ホテル・リッツで秘密裡に行われていたレジスタンス活動、「パリは燃えているか」に逆らい、パリを燃やさないようにしたコルティッツ司令官、解放の瞬間を一番に見届けようとホテル・リッツに乗りこみ、乱痴気騒ぎをくりひろげるヘミングウェイロバート・キャパ

 ドイツ人将校の愛人となったことから、ナチスに協力した罪を問われ、「この年で愛人を持つチャンスを与えられたら、相手のパスポートなんて見るものですか」とやり返したココ・シャネル。「王冠をかけた恋」として有名な、エドワード6世とウォリス・シンプソン夫婦もホテルの常連として重要な登場人物なのだけど、「愛する女性のために王位を捨てた」みたいな素敵イメージがあったが、ナチスに協力的であったり、エドワード6世もプレイボーイだったらしいけど、ウォリスも結婚してからも不倫しまくりだったりと、なんだかゲス夫婦のように感じてしまった。


 最後、パリはナチスから解放され、戦争が終結し平和が訪れるが、キャパは地雷で命を失い、アルコールに溺れたヘミングウェイは自らの頭に銃を向け、ホテル・リッツにも悲劇がおきる……

 訳者あとがきにある、まさに「時代とホテルが渾然一体となって造りだした濃密なドラマ」を目撃しているように感じられる一冊だった。

『MONKEY vol.13 食の一ダース 考える糧』発売記念 柴田元幸トーク&朗読会@枚方蔦屋書店

 10月15日、『MONKEY vol13 食の一ダース 考える糧』発売記念として、枚方の蔦屋書店で行われた、柴田元幸さんのトーク&朗読会に参加しました。 

MONKEY vol.13 食の一ダース 考える糧

MONKEY vol.13 食の一ダース 考える糧

 

 いや、実は枚方は私の地元なのだけど(いまは別のところに住んでいますが)、正直ひらぱー以外な~んにもないのによく来てくれるもんだ…と思いつつ、一瞬実家に寄ってから行って参りました。

 まずは、今号のMONKEYの冒頭に掲載されている、リオノーラ・キャリントンの「恋する男」を朗読されました。

ある晩、狭い道を歩いている最中、あたしはメロンを一個盗んだ。

とはじまる掌編で、あとの質疑応答で、「どうして”あたし”、つまり女性の語り手になったのか?」という質問が出ました。
 答えとしては、この短い物語では語り手が女という根拠はないが、この短編集全体で女が主人公の話が多いこと、そして作者が女性であることから女の語り手を採用したとのこと。なるほど。


 そのあとは、今号のMONKEYについてのトークとなり、柴田さん曰く「食」をテーマにしたものの、ふつうにおいしそうな物語は二編しか集まらなかったと。
 たしかに、ブライアン・エヴンソンの短編なんて、

彼女が目ざめると、生肉の雨が野原に降ったあとだった。

なんてはじまる始末。タイトルも「どんな死体でも」と、さすがぶっとんでいる。

 けれど、それぞれの物語についている料理の写真がほんとうに綺麗でおいしそうで、いや、実際においしかったらしい。(柴田さんは食べていないそうだけど)
 料理の写真をつけるのは、編集会議でスタッフから出たアイデアだったらしく、どんなものになるのやらと思っていたら、期待をはるかに上回るものになったとおっしゃってました。ほんと立ち読みしてでも見てほしい。作られているのは、竹花いち子さんです。

 そして、今度こそはおいしそうな話をと、チャールズ・シミックのエッセイ「食べものと幸福について」("On Food and Happiness")を朗読。前の晩の8時から11時までに訳したという、訳したてほやほや。
 チャールズ・シミックは、昔『世界は終わらない』を読んだことがあり、おもしろかった記憶がある、、、が、例のごとく内容ははっきり覚えていない。 

世界は終わらない

世界は終わらない

 

  おいしい食べものとはとんと縁がないアメリカ人とちがって(アメリカ文学専門の自分が言うのだからまちがいない、と柴田さん)、チャールズ・シミックは、セルビア系移民だけあって、食べものへのこだわりが半端じゃないと。

 そのとおり、おいしそうな食べものが次から次へと出てくるエッセイで、聞いていてすっかりおなかが空いてしまった。
 セルビアのいんげん豆の煮もの、アドリア海で食べるイカにオリーヴ、ムラサキ貝のリゾット……なかでも、肉のつまったブレクってなんだろう?? と思って、あとで検索したところ、薄い生地と具を重ねて焼いたトルコ発祥のパイらしい。めっちゃおいしそう~~けど、セルビア料理っていったいどこで食べられるのやら。。


 で、次号のMONKEYは「絵が大事」とのことで、挿画特集らしい。そういえば、今号のBOOKMARKも「顔が好き!」と装丁特集だったし、"インスタ映え"が求められるこのご時世だけあって?、視覚効果はやはり重要ですね。

 そのBOOKMARKでは、柴田さんが訳したポール・オースターの『内面からの報告書』『冬の日誌』が紹介されていました。 

内面からの報告書

内面からの報告書

 

  

冬の日誌

冬の日誌

 

 「かつての自分の地層に分け入るように丹念に描かれたメモワール」とのことで、 小説ではないのかな? かつての『孤独の発明』みたいな感じだろうか。
『孤独の発明』は、ニューヨーク三部作とのちがいにとまどいながらも、身を削るように親との関係が書かれてあるのに、ひりひりと感動した記憶があるので、読み直さないと。。。 

孤独の発明 (新潮文庫)

孤独の発明 (新潮文庫)

 

 最後は、さっきも取りあげたブライアン・エヴンソンとジェシー・ボールが共作した、『ヘンリー・キングのさまざまな死』の朗読でした。
 タイトルどおり、ありとあらゆるやり方で、ヘンリー・キングが死に至るさまを描いたもの。よくこれだけばかばかしい死に方を思いつくなって感じの、"Uncivilized Books"と銘打ってあるように、不道徳かつ不条理な物語でした。 

The Deaths of Henry King

The Deaths of Henry King

 

 質疑応答のとき、「レベッカ・ブラウンとのイベントに行けなくてすごく残念だった」と熱く語っている人がいて、そうそう、私も行きたかった!!と激しく同意したので(心のなかで)、サインを頂くときに、その旨を伝え、次はぜひ関西でもやってほしいと言ってみました。

 すると、柴田さんは「あっという間に満席になったので、東京でも行けなかった人がほとんどだったよう」「ここ何年も本を出していないのに、根強いファンがいてうれしいね」と、おっしゃっていました。

 レベッカ・ブラウン、まさに「若かった日々」に読んでいたのです。ジェンダーをテーマにした作品にももちろん魅了されたけど、いまは母親の看病の日々を淡々と綴った『家庭の医学』をまた読み直したい気分……実家に帰ったからそう思うのか。 

若かった日々

若かった日々

 

 

家庭の医学 (朝日文庫)

家庭の医学 (朝日文庫)

 

  それにしても、読み直したい本に新しく読みたい本と、どんどんと増える一方。本を読む時間を捻出する方法を、柴田さんに聞くべきだったような気がする(あきれられるかな)。

ノーベル文学賞記念に? 秋の夜長の世界文学ブックガイド 『8歳から80歳までの世界文学入門』沼野充義編著

 さて、カズオ・イシグロノーベル文学賞受賞、たいへん盛りあがりましたね。
 日本でこんなに人気のある(数少ない)海外の作家が受賞するとは、たしかにめでたい。

 しかし実は、少し前に『忘れられた巨人』を読んだけれど、正直なところ、いまいち話に入りこむことができず、「やっぱり『日の名残り』が一番好きかな……」という感想を抱いてしまった。。 

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

 

 アーサー王伝説や老夫婦というモチーフに隔たりを感じたのだろうか。いや、おじいさんがおばあさんを「お姫様」と呼ぶところで、「なぬ?」と思ってしまったからだろうか。(原文は"princess"なのかな)

 といっても、理解できないとこともあったけれど、おもしろくなかったわけではなく、龍の吐息とか川を渡る場面などすごく印象に残っているので、もうすぐ文庫で出るようだし、また読み直さないと。


 けれど、もしこれからカズオ・イシグロの作品を読みはじめるという方には、ぜひとも『日の名残り』を読んでほしい。最後の場面、とくに劇的な事件がおきるわけではないのに、何度読んでも泣いてしまう。

 取り返しのつかない過去――こう言うと、過去とは取り返しのつかないものに決まっているのだから、なんだか奇妙な感じもするけれど、その寂寥感が胸にせまる小説です。 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

  しかし、この受賞をめぐって、

「まるで日本人が獲ったかのように官邸が便乗してコメントを出しているけれど、カズオ・イシグロは英語ネイティヴの作家なんだから、日本人扱いするのはち・が・う・だ・ろ~」

という意見や、あるいは

「いや、ルーツである日本からの影響は本人も認めているのだから、あえて日本と切り離す必要はないだろう」

などの意見を目にしましたが、文学の世界ではすでに、「日本文学」「外国文学」とくっきり線を引いて考えるより、「世界文学」という考え方が一般的なよう。


 先日読んだ、沼野充義編著の『8歳から80歳までの世界文学入門』は、沼野さんと作家や批評家、翻訳家たちとの対談集の第四弾であり、このシリーズを通して「世界文学の海に漕ぎ出そうとする読者のための道案内となろうと目指して」いるとのこと。 

8歳から80歳までの世界文学入門

8歳から80歳までの世界文学入門

 

  いま角田光代が訳した『源氏物語』が話題になっているけれど、冒頭の池澤夏樹との対談で、ちょうどこの「日本文学全集」(池澤夏樹編集)が取りあげられている。

 ここでの対談によると、この「日本文学全集」は翻案とかアダプテーションではなく、あくまで「翻訳」らしい。ぶっ飛んでいると大絶賛されている、町田康の『宇治拾遺物語』も、やはり翻訳なのだ。
 となると、『源氏物語』もほんとうに大作にちがいない。以前、角田光代が翻訳した(いや、これは翻案に近いのだろうか)『曽根崎心中』を読んだら、話の筋もくっきりわかっておもしろかったので、『源氏物語』も読んでみたい。 

  

曾根崎心中

曾根崎心中

 

  あと、岸本佐知子との対談は、たまたま東京に用事があったため、生で聞くことができた(この本の対談は公開収録なのです)。
 文字になったのをあらためて読んでみると、どの話ももちろん興味深いけれど、そうそう、この日の話で一番おどろいたのは、岸本さんがワープロで翻訳しているということだった…と思い出した。

 あと、この対談のときは、もうすぐ『コドモノセカイ』というアンソロジーが出るという話だったけれど、前にも紹介しましたが、この『コドモノセカイ』、ほんとうにおもしろいのでおすすめです。 

コドモノセカイ

コドモノセカイ

 

 あと、この本に収められた対談では、青山南の絵本翻訳の話もよかった。
 青山さんというと、この対談でも話題になっている『オン・ザ・ロード』の新訳をはじめ、アメリカのサブカルチャーに詳しいイメージが強かったけれど、こんなに絵本翻訳を手掛けてられるとは知らなかった。 

オン・ザ・ロード (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-1)

オン・ザ・ロード (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-1)

 

  ご本人の談によると、文字が少ないのがいいなあと思って、絵本翻訳をはじめたとのことだけど(冗談かもしれんけど)、文字が少ないからこそ難しいと思うし、しかもナンセンス絵本だなんて難儀の極みのような気がする。 

これは本

これは本

 

  とくに沼野さんも紹介していた、『これは本』。本だからメールは送れない……本だから、本だから…(ヒロシです、みたいですが)読んでみたくなりました。

 でも、こうやって上にあげた本を見ると、ほんと世界文学という名にふさわしいブックガイドができあがりました。

 

 

大人になるってむずかしい② 優しくて誠実な小説だと感じた『火花』(又吉直樹著)

そういえば綾部はどうしているんだろう……?? 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

  前回書いた「なりたいボーイ」の映画のときに、ちょうど最近読んだ(いまさらですが)『火花』の映画の予告編を見た。
 菅田将暉と桐谷健太、どちらも大阪出身のせいか関西弁に違和感もなく(関西人にとっては関西弁が下手だと、どんなにいい映画でも興ざめしてしまうので…)、小説のイメージに合っていたので期待できそう。

 前号のTVブロスの「なりたいボーイ」特集で、大根仁監督が原作者の渋谷直角に、「前作の『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』も面白かったけど、この作品は自分のパンツを脱いでいる感がしたのでよかった」
という趣旨の発言をしていたけれど、この『火花』も、芸人である作者が、自分のパンツを脱いで書いた感があるので、文学として高く評価されたのだろう。


 作者はもともと読書家としても有名なので、あえて芸人を主人公にしなくても、サラリーマンとか市井の人を観察して、よくできたコントのような短編を書いたり、あるいはもっと抽象的でシュールな作品を書くこともできたのではないかと思うけれど(念のため、そういう作品が悪いと言っているのではありません)、そうではなく、自分の立場から一番正直に書ける題材を選んだところに、誠実さを感じた。

 そしてその誠実さが、そのまま主人公「僕」と、「僕」が崇拝する「神谷さん」につながっているように思えた。

 『火花』の筋については、ご存じの方が多いでしょうが、念のため説明すると、一応漫才師ではあるけれど、めったにテレビにも出れず営業の仕事をこなしている「僕」が、他事務所の先輩漫才師「神谷さん」と地方の花火大会の営業で出会い、信条や佇まいすべてに惚れこみ、ともに漫才道を歩む――というストーリー。

「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は統べて漫才のためにあんねん。だからお前の行動のすべては既に漫才の一部やねん」 

 正直、小説からは「神谷さん」の芸がそれだけすごいのかはよくわからなかったけれど、とにかく純真で漫才のことしか考えていない「神谷さん」の魅力はよく伝わってきた。
 破天荒なキャラだけど、ひと昔前の芸人像のように自分勝手な乱暴者ではなく、あくまで心優しいところが、いまの時代を映しているように思えた。

でも僕達は世間を完全に無視することは出来ないんです。世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それはほとんど面白くないことと同義なんです。 

  これは主人公「僕」のセリフだけれど、ここから読み取れる優しさと、いまの時代をきちんと読み取る賢さ、そして最初に書いた誠実さがこの小説の要であり、そしてこれらの要素は、小説だけではなく、お笑いやすべての芸に通じることのように感じられた。


 また、「神谷さん」が、漫才は自分たちだけで成立するものではない、コンテストで優勝する芸人だけがお笑いシーンを作っているのではない、落とされる芸人も必要な存在なのだと語るところも、やはりすべての芸能に共通しているのではないだろうか。
 小説でいうと、ドストエフスキー夏目漱石だけあればいい、というわけではないですからね。


 そして、ネタバレになりますが最後は――


 「僕」は一瞬テレビのチャンスをつかんだものの、それも束の間に終わり、結局漫才を辞めて就職する。一方「神谷さん」はそんなチャンスとすら無縁で、行方をくらませたかと思うと、とんでもない姿で戻ってくる。

 夢を叶えるという観点で考えると、どちらも惨めなラストだけれど、最後まで作者の視点に愛があって優しいため、切なさとともにユーモアを感じる。
 前回の「なりたいボーイ」と同様に、憧れていたものになるのはほんと難しい。いや、憧れるということ自体「別物」である証明なので、憧れているものにはなれるわけがないのだろう。


 芸人本というと、ずっと昔に小林信彦の『天才伝説 横山やすし』を読んだけれど、 

天才伝説 横山やすし (文春文庫)

天才伝説 横山やすし (文春文庫)

 

 もうその頃とは時代が変わったなと思う一方(いまならやっさんみたいな芸人、テレビで使えないでしょう)、芸のことしか考えられない人間は最終的に破滅するという結末は、時代が変わっても同じだなとしみじみした。

 ちなみに、この『天才伝説 横山やすし』で一番印象に残っているのは、実際のエピソードだったかどうか忘れたけれど、交差点で横断歩道にはみだして止まっている車のボンネットの上をやっさんが歩く場面だった。いまでも、横断歩道の上で止まっている車に遭遇するたびに、ボンネットの上を歩いてやりたくなる。


 あと、芸人本では、オードリー若林の『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』もすごく共感できたし、オアシズのふたりが書いた(まだ大久保さんがブレイクする前に)『不細工な友情』も読みごたえがあった。
 いまの芸人って、自分や周囲を客観視する能力が欠かせないから、本を書いてもおもしろいのかな。
 いや、春日のように、客観視を超越した芸人もいるか……『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』の春日の項は、ほんと感心したのでおすすめです。 

 

不細工な友情 (幻冬舎文庫)