快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

2021年翻訳ミステリー読者賞、および『ヒロシマ・ボーイ』(平原直美 芹澤恵訳)の紹介のつづき

さて前回、翻訳ミステリー読者賞の発表会を告知しましたが、無事終了いたしました。

ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(服部京子訳 創元推理文庫)が2021年の翻訳ミステリー読者賞に輝きました!!!

こちらのサイトに、2021年度のランキングを載せたPDFをアップロードしています。投票いただいた方からのコメントもすべて掲載しています。

hm-dokushokai.amebaownd.com

イベントの模様は、こちらのYouTubeでアーカイヴ視聴できます。各地の読書会世話人が、上位ランキング入りした作品と、少数票作品から選んだイチオシについて熱く語っていますので、お暇なときにでもご覧ください。(恥ずかしいけど)

youtu.be

私が紹介したのは、見事第4位に輝いた『ヒロシマ・ボーイ』です。

この小説の魅力を余すところなく伝えようと、全身全霊で臨んだ……つもりなのですが、1冊あたりの持ち時間「3分」で物語の読みどころについて語り、さらになるだけ多くの投票者のコメントを読みあげるのがどれほど困難であるか、つくづく実感しました。
原稿を何度書き直したことか……というわけで、イベントで語り尽くせなかったことについて、補足したいと思います。

ヒロシマ・ボーイ』は、アメリカ生まれの広島育ち、日系アメリカ人二世である主人公のマス・アライが、親友ハルオの遺灰を抱えて50年ぶりに広島に帰ってきたところからはじまる。

だが「遺灰を抱えて」といっても、骨壺や桐の箱におさめているわけではなく、遺灰をビニール袋に入れて、履きふるした靴下に詰めこんでいる。50年ぶりに日本に帰ってきたといっても、感慨にふけっているわけでもなく、ただ“メンドクサイ”用件を引きうけちまったなとぼやいている始末。

そんなマス・アライがハルオの姉に遺灰を渡すために、宇品からイノ島行きのフェリーに乗りこむ。
その船上で、ひとりの少年に目を留める。同年代の少年たちのグループから離れて、ひとりぽつんと佇むその姿がなぜか気になった。
そうしてイノ島に着き、一晩明けた朝、マスは海でその少年の死体を発見する。

警察は自殺だとあっさり片づけようとするが、マスはどうしても納得できない。
しかもどういうわけだか、ハルオの遺灰も消えてしまった。遺灰をなくしたなんて誰にも言えない。そもそも、履きふるした靴下に詰めこんでいたなんて告白するわけにはいかない。
マスは少年を殺した犯人と親友ハルオの遺灰を見つけることができるのか?

 

なぜ“メンドクサイ”が口癖のマスが、縁もゆかりもない少年の死の真相を突きとめようとするのか? 

理由のひとつは、少年の死体を見て1945年8月の〈あの日〉を思い出したからである。
幼い頃に家族とともにアメリカから帰ってきたマスは、広島の呉で少年時代を過ごした。そして〈あの日〉――マスが生涯忘れられない日――は、広島市内へ行っていた。

50年ぶりに帰ってきたマスは、少年の身辺を調べるために、生まれ変わった新しい広島市内を歩きまわる。原爆の傷跡が消え去ったかのように見える八丁堀を眺めながら、被爆した者たちがつぎつぎに運ばれていった〈あの日〉を思い出す。

原爆が落とされたあと、〈福屋〉のコンクリートの建物は、奇跡的に倒壊せずに残ったが、あれほど美しかった店内は豪華な内装や陳列されていた商品もろとも火炎に炙られ、真っ暗なあなぐらと化した。……〈福屋〉の建物に収容された病人は、洗面所に行くたびに血まみれになったらしい。……専門家たちも当時は知らなかったのだ、原爆の放射能がどんな影響をもたらすか。

自分の胸の奥深くに棲む少年時代の自分を呼びおこしながら、マスは八丁堀から流川通りへ向かう。被爆した人たちの思い出を抱えて……が、もうひとつの目的もあった。腹が減っていたのである。

気がつくと、〈オコノミヤキムラ〉という店のまえにいた。マスの大好物にして、広島のソウルフード、ソース味のパンケーキの村がある、というのである。

ここからのお好み焼きの描写を読めば、きっとあなたもお好み焼きを食べたくなるにちがいない。マスは「そこそこうまい」と大満足する。

さて、生地と具を〈混ぜない〉広島風お好み焼きこそが、マス・アライを象徴するものだという説があるように(私が読者賞イベントで勝手に唱えた説ですが)、マスがこの事件に深入りするもうひとつの理由は、殺された少年の孤独な佇まいに、アメリカでも日本でも〈ヨソモノ〉として生きてきた自分自身を重ねあわせたからである。

自分が生まれた国と育った国が戦争するという、複雑な境遇のもとで少年時代を過ごしたマスは、“メンドクサイ”“シカタガナイ”を口癖として、何に対しても一定の距離を置くのが習い性になっている。
そんなマスが、殺された少年とその母親や、ほかの猫からいじめられている猫といった、自分と同じ〈はみ出し者〉に親身に寄り添う姿には心をうたれる。

〈ヨソモノ〉として生きてきたマスがかいま見せる〈はみ出し者〉への共感、アメリカで得た家族への愛情、自分と同じ日系アメリカ人二世であり被爆者でもある親友ハルオへの友情が、さりげない描写からじわじわと伝わり、読者の胸に深く刻まれる。
物語の終盤、原爆を耐え抜いた仏像にマスが贈る賛辞は、親友ハルオと、マスやハルオと同じ被爆者たちへ捧げたものである。

作者である平原直美は自身も日系アメリカ人三世であり、綿密な取材に基づいてこの物語を書いたとのこと。舞台となるイノ島は現実に存在する似島をモデルにしているようで、こちらのサイトを見ると、たしかに物語の内容と符合している。

似島と戦争・原爆 | 国際平和拠点ひろしま〜核兵器のない世界平和に向けて〜


最後に、この小説を形成する大きな魅力として、まさに “last not but least” として忘れてはならないのは、登場人物たちが交わすいきいきとした広島弁である。実際にこの本を読めば、その味わい深さに魅了されることはまちがいない。
ほんとうに翻訳?と思わず疑ってしまうほどの完成度の高さに惚れ惚れする。


ちなみに、この『ヒロシマ・ボーイ』はマス・アライシリーズの7作目であり、最終巻でもあるとのこと。これまで第2作『ガサガサ・ガール』と、第3作『スネークスキン三味線』が翻訳されている。

しかしスネークスキン三味線って、なかなかインパクトのある題名だ。まあキャッツスキンよりましかもしれないが。

そして最新ニュースとして、近作の ”Clark and Division”がレフティ賞にノミネートされている。
Amazonの紹介によると、1944年のシカゴを舞台として、強制収容所から解放された日系アメリカ人一家を描いたミステリーのよう。こちらも翻訳してほしいものです。

honyakumystery.jp