快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

女性兵士とフェミニズムの困難な関係 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳)

この不穏な状況を予期したように、先月の書評講座(1000字)の課題書は、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳)でした。

前の課題書『同志少女よ、敵を撃て』にも描かれていたように、ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍した。他国のように看護婦などの専門職に限定されることなく、多くの女性が武器を手にして最前線で敵と戦った。

この『戦争は女の顔をしていない』では、そんな女性兵士たちの生の肉声が収められている。彼女たちをそこまで突き動かしたのは、いったいなんだったのか――

 

私の書評は以下のとおりです。


ここから―――――――――――――――――――――――――――――


(題)〈戦争の英雄〉と〈普通の女性の幸せ〉という集団幻想

 

『戦争は女の顔をしていない』において、もっとも印象に残ったのはシベリアから軍曹として出兵した女性ワレンチーナ・パーヴロヴナ・チュダーエワの語りだった。


彼女の父はかつての国内戦の英雄であった。そんな父のもとで育った彼女は、ドイツとの戦いがはじまると、志願して戦線へ出た。父の戦死の知らせを聞き、仇を討ちたいと高射砲の指揮官となった。壮絶な戦闘を経て、背中には砲弾の破片が入り、さらに片足を切断することになった。戦争が終わり、女性兵士たちも家へ戻ったが、彼女たちを待ち受けていたものは何もなかった。


「男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿になった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまったの。〈普通の女性の幸せ〉とかいうものにこっそりすり替えられてしまった」


〈普通の女性の幸せ〉という言葉が胸にひっかかった。
戦争を語る際に、しばしば〈普通の人たち〉〈普通の生活〉という言葉が、戦争の対義語として用いられる。この語りの中でも、男が誇った〈戦争の英雄〉という勲章と、女にあてがわれた〈普通の女性の幸せ〉が対照的に扱われている。


この本でも、戦地においても〈普通の女性の幸せ〉を求める女性たちの姿が強調されている。
前線に向かいつつも「なぜかハイヒールが買いたくなった」「ハイヒールもワンピースも袋にしまい込まなければいけないというのがとても残念でした」という彼女たちの語りによって、〈普通の女性の幸せ〉を破壊する戦争の非道さが浮き彫りになり、「女が戦争を語る」ことの意義が強く伝わってくる。

だが一方で、ハイヒールやワンピースに象徴される〈普通の女性の幸せ〉を求める彼女たちの意思が、どこまで自発的なものだったのかという疑問も浮かぶ。彼女たちの証言からは、戦地であっても、「かわいい女の子」として男に癒しを与える存在であることが求められていたことがわかる。
ワレンチーナの語りは、〈戦争の英雄〉に憧れつつも、〈普通の女性の幸せ〉の圧力に引き裂かれる女性兵士の葛藤をあらわしている。

しかし、〈戦争の英雄〉と〈普通の女性の幸せ〉は対照的な存在なのか? そもそも本当に存在するのか? 
いや、どちらも世間や社会が作りあげた幻想に過ぎない。そして国や独裁者は、〈普通の人たち〉が抱く〈戦争の英雄〉や〈普通の女性の幸せ〉への憧れを利用して、人々を戦地へ送りこむのではないだろうか。


ここまで―――――――――――――――――――――――――――――

 

前段で書いたように、彼女たちをそこまで突き動かした理由を知りたいと思って読んだものの、「わからなかった」というのが正直な感想だ。

書評で取りあげたワレンチーナ以外にも、非常に多くの女性が自ら志願して戦場へ向かっていることに驚いた。もちろん、女性は好戦的な性格ではないとか、女性は敵を殺したりできないとか、そんな考えを抱いているわけではない。

しかし、自分自身にあてはめてみると――もし自分の国が攻めこまれたら――ナチスに攻めこまれたドイツのように、ロシアに攻めこまれたウクライナのように――武器を手にして戦おうと思えるのだろうか? 

いま、とりあえず平和な自分の部屋で想像したかぎりでは、そんな気はしない。
戦うのは絶対に嫌だ。逃げたい。隠れたい。どれほどみっともなくとも生き残りたい。

男女平等を実現するためには、女性も兵士となるべきなのだろうか?

この問題は、フェミニズムのあいだでも賛否が分かれている。
きちんと意見を述べられるほど勉強していないが、私としては、フェミニズムは戦争や軍隊の存在そのものを否定するものであってほしいと思う。
もちろん、いくらこちらが戦争を否定していても、相手から攻めこまれる事態は起こり得るというのはわかっているけれど……

女性兵士の問題については、ポリタスTVの深澤真紀さんと津田大介さんの「月イチトーク」で、深澤さんが解説されていたのがわかりやすかった。メンバー限定動画だけど、念のため貼っておきます。

深澤×津田月イチトーク #6|日本の反戦反核の歴史、ウクライナと世界の女性兵士、ウクライナ侵攻の背景を理解できる映像作品……|ゲスト:深澤真紀(3/15)#ポリタスTV - YouTube

そこで、深澤さんがこちらの『軍事組織とジェンダー』を勧めていた。

版元のサイトには、上野千鶴子さんによる推薦文が掲載されている。

軍隊への男女共同参画は、究極の男女平等のゴールなのか?

イラクアメリカ軍女性兵士に目を奪われているあいだに、日本の自衛隊にも女性自衛官が着々と増えつつある。女も男並みに戦場へ・・・は、もはや悪夢でなく、現実だ。

フェミニズム最大のタブーに挑戦する本格派社会学者の登場。

「女も男並みに戦場へ・・・は、もはや悪夢でなく、現実だ」という痛烈な言葉が記されているが、よく考えたら、戦争のみならず、資本主義や企業社会へ女性が進出していったのも、ある意味軌を一にしているのかもしれない。
男性が作りあげた社会や価値観を否定するのではなく、身を投じることは正しいのだろうか?

と悩んでしまうが、しかしながら、ほとんどの人間は資本主義や企業社会に参加せずに生きていくことはできないのだから、職場においては男女平等が推奨されるべきだし、女性の役員や管理職の比率も増えた方がいいのは言うまでもない。

では、やはり軍隊も男女平等であるべきなのでは?と考えると、それはどうだろう……とまたも悩んでしまう。

現実社会を生きのびるためのフェミニズムとはなんと難しいのか。
結局なんの答えも出ていないけれど、わからないことに出くわすたびに、ひとつひとつ考えていくしかないのだろう。