快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

第32回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作 木村紅美『あなたに安全な人』ー不安の正体はなんだろう?

ちょうど数か月前の書評講座の課題書が、木村紅美『あなたに安全な人』だった。

コロナが全国に広まりつつあった2020年を舞台とし、まだコロナ患者がほとんど発生していない地方の町で、正体のわからない病気に対するぼんやりとした不安、隣の誰かがウイルスを運んでくるかもしれないという疑心暗鬼のなかで、東京での生活を終えて地元に戻ってきた妙と忍というふたりの人物を描いている。

ふたりはなぜ追われるように地元を去ったのか? そしてなぜ戻ってきたのか?

先日、この小説が今年のBunkamuraドゥマゴ文学賞に選ばれた。
この賞は毎年「ひとりの選考委員」によって選ばれることで知られていて、今年の選考委員である日本文学者ロバート キャンベル氏は、「『あなたに安全な人』の著者は、人々の心に巣喰う漠とした不安に向かおうとしている」と評価している。

www.bunkamura.co.jp

私が書評講座で書いた書評は以下のとおりです。


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(題)安心と安全の狭間で

 

『あなたに安全な人』というタイトルを見て、「安心できる人」ならわかるが、「安全な人」とはなにか? そもそも、安全と安心のちがいは? と考えた。調べたところ、安全とは客観的な指標であり、安心とは主観的な判断だと知った。(注)

主人公の妙には、かつて地元で国語教師をしていたとき、教え子がいじめを苦にして自殺したという過去がある。家族に問題があった、いじめが原因ではないと自分に言い聞かせたが、結局教師を辞めた。九年間東京で働いたのちに地元へ戻ってきたが、誰とも関わりを持たず、人目を避けるように暮らしている。
そんなある日、風呂の排水溝がつまり、妙は便利屋の男を呼んで掃除してもらう。


便利屋の忍も、妙と似た過去を背負っている。肉体労働の仕事を転々としていた忍は、沖縄で米軍基地建設反対デモの警備にあたっていたとき、デモに参加していた女と揉みあいになり、思わず突き飛ばしてしまった。女は倒れて頭を打ち、そのまま運ばれていった。


ふたりを最初に結びつけた人物が、〈本間さん〉である。といっても、当人はすでにこの世にいない。コロナが蔓延する東京から引っ越してきた〈本間さん〉は、マンションへの入居を許してもらえず、仮住まいのクリーニング店で自殺した。

他人を犠牲にしても、とりあえず安心したい――誰の心の奥にもそんな気持ちが潜んでいる。いじめを見て見ぬふりするのも、沖縄に米軍基地を押しつけるのも、よそものを排斥するのも、自分の安心を得るためだ。
妙と忍はいじめや米軍基地を肯定する意図はなかったが、安心を求める心理に吞みこまれ、その結果安心を失い、脅迫電話や〈人殺し〉という声に悩まされ、安全すら危うくなった。

ふたりが安全を取り戻す契機となったのは、〈本間さん〉が命を絶った部屋に入ることだった。安心の犠牲となった〈本間さん〉に向きあい、ふたりの罪が贖われる。そして互いの姿を見ることのない、安全な共同生活をはじめる。妙は忍を住まわせることで身の安全を確保し、忍は住む場所と食事を手に入れる。

ともに暮らしている相手の顔を見ないなんて安心できない、と思う人もいるかもしれない。しかし、これまで安心を求める心理に翻弄されてきたふたりに必要なのは、客観的な安全である。見ないからこそ、触れあわないからこそ、得られる安全もある。
安心できる人や場所なんて、永遠に見つからないかもしれないのだから。

(注)https://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/anzen/houkoku/04042302/1242079.htm

(ここまで)-----------------------------------------------------------------------------------


妙と忍はどちらも消せない過去を背負っている。いじめを見て見ぬふりする教師、市民を力づくで取り押さえた警備員だった過去を。自分が誰かの命を奪ってしまったのではないかと怯えている。

そんなふたりが、奇妙で――安全な――共同生活をはじめる。過去やウイルスに襲われる心配のない安全な生活。といっても、ふたりの距離が縮まるわけではなく、ましてや友情や恋心が生まれるわけでもない。互いの顔を一切見ることなく、その存在を気配で感じるだけの共同生活。

そのうちに相手が生きているのか死んでいるのかもわからなくなる。そして自分が生きているのか死んでいるのかもわからなくなっていく……

淡々とした文体で静謐なホラーのように描かれるふたりの生活。
実際に感染者が減っているわけではないのに、あたかもコロナが収束して、誰もかもが日常が戻ってきたかのようにふるまっているいま、読んでみるのもいいかもしれない。

ウイルスから逃れることはできても、過去の罪や存在の不安から逃れることはできない。ほんとうに恐ろしいのは、なにもない日常かもしれない。
そんなことを思い知らされる小説である。

「かけがえのない」ものはどこにあるのだろうか? 芥川賞候補の話題作――年森瑛『N/A』

先月の書評講座の課題は、芥川賞候補にもなった話題作、年森瑛『N/A』でした。

まずシンプルな感想として……おもしろかった! 


帯や評判から想像する、こういう話なのかな? というラベリングをことごとく否定するところ――まさにN/A、「“Not Applicable”=該当なし」――が心に迫り、女子高生たちのいきいきとした会話も含めて、愛おしい気持ちになる小説でした。

私の書評は以下のとおりです。


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(題)「かけがえのない」ものが生まれる瞬間


〈拒食症でLGBTの主人公のまどかは、女子高での王子様扱いに物足りなさを感じ、「かけがえのない他人」を求めて、同性のうみちゃんと付き合いはじめる。しかし、SNSをきっかけに学校の友人に関係がばれてしまい、別れの選択を余儀なくされる〉

『N/A』をこうまとめることもできる。しかし実際に読むと、まったく異なる印象を受ける。こういった使い古された言葉でラベリングされることを徹底的に拒否している。この物語が求める「かけがえのない」ものは、使い古された言葉の対極に位置している。

うみちゃんのTwitterを発見した友人の翼沙は、自分の言葉でまどかと話すことができず、『LGBT 接し方』『友達 レズビアン』など散々検索する。「正しい接し方のマニュアルをインストール」するために。自分の正しさを担保したいとき、人は使い古された言葉を探す。

うみちゃんはまどかと接するとき、あるいはTwitterに投稿するとき、正しい言葉を探して検索しただろうか? 
おそらくしていない。なぜなら、同性パートナーとの交際を承認してほしいといううみちゃんの望みは、疑いようもなく正しいものだからだ。「多様性を認めてみんなで助け合いましょう」というコピーのように正しい。

では、うみちゃんは自分の言葉でまどかと向きあっていたのだろうか? 
「いつか虹がみえると信じてる」などの一連の投稿は、どこかで聞いたような陳腐な文言だ。うみちゃんにとって、まどかとの関係は「かけがえのない」ものであったというより、「同性パートナー」という言葉が含む価値観、使い古された言葉の文脈にそったものであったと思われる。

では、「かけがえのない」ものはどこにあるのだろうか? 
まどかと対峙した翼沙は、あれほど準備していたのに熱暴走を起こし、結局「用意していた言葉を全て使い切って」、トイレに入って食べたものを吐く。
祖父がコロナに罹ったオジロに対し、まどかも翼沙も悩んだすえにかける言葉が見つからず、オジロの言葉にただ既読をつける。
再会したうみちゃんは、生理になって困っているまどかに、聞いたことのない早口で話しかける。

用意しておいた言葉が消える瞬間、相手に向かって心の底から言葉を発する瞬間、使い古された言葉によるラベリングが消えて、「かけがえのない」ものが生まれるのではないだろうか。

そしていつか、互いに手を振り、「ぐりとぐらみたいに」踊る母と叔母のように、言葉がいらない関係になるのかもしれない。

(ここまで)----------------------------------------------------------------


書評にも記したように、主人公のまどかは自分をラベリングされることを拒否し、「かけがえのない」他人を求めている。

そのくせ、恋人のうみちゃんといった他者と向き合うことをしない。落ちこんでいる友人のオジロにかける言葉を見つけられず、ネットで使い古された言葉を検索して済まそうとする。

つまりは、自分が誰かにとって「かけがえのない」存在でありたいだけなのでは? そもそも、「かけがえのない」という言葉だって、散々使い古された言葉なのではないか――

受講生のなかには、そんなふうに主人公まどかの幼稚さ、身勝手さを指摘した人も多かった。しかし、私は単純にまどかに感情移入しながら読んだので、自分の幼稚さを指摘されたような気にもなってしまった。

この小説の最後の場面、うみちゃんと再会したまどかが、散々使い古された言葉に新しい意味を見出す瞬間をどう解釈するのか――まどかの成長なのか、現実との苦い邂逅なのか――というのも非常に興味深い論点である。

現実世界や、それに付随するラベリングをことごとく拒否し続けると、最後にはサリンジャーホールデン少年のようにクラッシュしてしまう。だから、この小説の最後の場面もまどかの成長ととるのが正しいのだろう。けれども、幼稚で頑ななままでいてほしい気もした。

あと、書評では取りあげなかったけれど、この小説に出てくる教師の安住が――女子高で人気のある若い男の教師だが、ふとしたきっかけで隣国を侮蔑する発言をし、最終的には歳の離れた元教え子と結婚する――なんかキモくて嫌やなと思ってしまったのだが、書評家の豊崎由美さんのメッタ斬りチャンネルをみたところ、この小説を非常に高く評価しながらも、「大人世代の描き方が型にはまっているのが欠点」と言われていて、そうか、キモい男の典型として描いていたのか!と納得した。

www.youtube.com

 

 

 

女たちは、「しあわせ」になれたのだろうか? 永井みみ『ミシンと金魚』

さて、先月の書評講座の課題は、永井みみ『ミシンと金魚』でした。

去年すばる文学賞を受賞したこの小説は、認知症の老人によるひとり語りという形式が大きな話題となった。
作者が実際に介護ヘルパーとして働いていた経歴もあり、恐ろしいスピードで高齢化が進む日本社会をリアルに描いた作品として評価された。

……と思って読みはじめたら、そんなありがちな枠をぶち壊すような小説だった。いったいどういう物語なのかというと、以下が私の書評です。

 

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(題)すべての女たちの「ミシンと金魚」

 

『ミシンと金魚』を読んで、内職という言葉をひさびさに思い出した。私の母は革靴を縫う内職をしていた。幼い私は革のにおいが嫌でたまらなかった。


『ミシンと金魚』の主人公カケイさんは、介護施設の職員「みっちゃん」に「今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?」と問いかけられて、これまでの人生を回想する。
箱職人だった父親、父親に殴られ続けた母親、もともと八兵衛、いわゆる女郎だったまま母、やくざ者の兄とその恋人、兄が強引にあてがった夫……「凄絶な女の一生」という帯文句にふさわしい一代記である。

では、なぜそんな物語のタイトルが「ミシンと金魚」といった可愛らしいものになっているのか? 
ミシンはカケイさんの仕事道具だった。働き者だった祖母からの「女はねえ、絶対手に職つけなきゃ、損するぞ」という教えを守って、カケイさんは、朝から晩までミシンを踏み続けた。

息子たちを残して夫が蒸発したときも、「すぐあきらめて、仕方ないから、ミシンを踏んだ」。「ミシン踏んでるときだけ、よけいなことをかんがえずに」済み、「嫌だったことも、ぜーんぶわすれて、からっぽんなってラク」になった。
カケイさんがミシンを踏んでいるあいだ、金魚が子守をしてくれた。金魚は儚い愛の象徴だった。

『ミシンと金魚』には、カケイさん以外にも働く女が描かれている。「みっちゃん」、そして女医。冒頭の場面で、カケイさんを強い薬でおとなしくさせようとする女医に、介護施設の職員である「みっちゃん」が抗うくだりは印象的だ。

「大変でしょう」と言う女医に、「仕事ですから。大変ではありません」と返す「みっちゃん」からは、仕事に対する矜持が伝わってくる。そのあと「みっちゃん」はカケイさんの前で涙を流す。そしてカケイさんは、偉そうな女医もどこかで泣いていることを見抜いている。女たちはときに涙を流しつつも、自分の金魚を守るために働いている。


カケイさんは、女たちは、働くことで「しあわせ」になれたのだろうか? 
カケイさんは、ミシンを散々踏んだ挙句に足が曲がり、「損した」と祖母を恨めしく思う。けれども、カケイさんは内職で貯めた10万922円には、どんなものにも代え難い価値がある。

いま、私の母も介護施設で暮らしている。母も金魚を守るために働いていたのだろうか。「みっちゃん」に「しあわせでしたか?」と問われたらどう答えるのだろうかと、つい考えてしまった。

(ここまで)------------------------------------------------------------


書評でも記したように、とにかくカケイさんの人生がやたら凄絶で、そしてその凄絶な人生を飄々と語る不思議なグルーヴに圧倒された。

カケイさんは自分の育ちをこう語る。

だからあたしは、だいちゃんのお乳を吸ってそだったの。ものごころついてもしばらく、だいちゃんのお乳を吸ってたの。なんとなくおぼえてんの。あのね、誰にも言わないでよ。ここだけの話し、あたし、だいちゃんのこと、かあちゃん、て、呼んでたのよね。

この「だいちゃん」が何者かというと、犬なのである。まま母にも兄貴にも育児放棄された幼いカケイさんは、犬の乳を飲んで育ったと言うのだ。

認知症を患っているカケイさんは、もちろん「信用ならない語り手」である。カケイさんのなかでは、介護ヘルパーはすべて「みっちゃん」である。息子が生きているのか死んでいるのかもわからない。

けれども、カケイさんの発する言葉には真理がある。

でも、まあ、としよりになったら、ほかのじいさんたちみたくえばってるのは負けで、おもしろいことを言ったりやったりしたもん勝ちだ。

このカケイさんに言わせると、役職についていたようなじいさんは、隠居したあとも「ずっとずっとえばってて」「だいたいがタチがわるい」そうだ。

その一方でカケイさんは、ヘルパーの「みっちゃん」たちや自分を支えてくれた広瀬のばーさんの思いやりに気づき、さらには遺産のために通ってくる嫁や偉そうな女医の心中までも慮る。

シスターフッドというのは最近の小説のキーワードでもあり、もう聞き飽きたという人もいるかもしれないが、この『ミシンと金魚』も一種のシスターフッド小説なのかもしれないと思った。

正直に言うと、「凄絶な女の一生」といった言葉で評される小説はあまり得意ではなく、同じ回のすばる文学賞で佳作となった『我が友、スミス』の方が自分の好みである。
しかし、簡単に咀嚼できない違和感を抱きつつも、カケイさんの語りの力で思わず一気読みしてしまった。そんな不思議な魅力のある作品だった。

 

入管をめぐる問題をやさしい語り口で描くことに成功した小説――中島京子『やさしい猫』

先月の書評講座の課題は、中島京子『やさしい猫』でした。

ここ数年、社会問題となっている入管制度を取りあげた小説です。スリランカ国籍のウィシュマさんが名古屋の入管で亡くなった事件も、記憶に新しいのではないでしょうか。私の書評は以下のとおりです。


(ここから)---------------------------------------------------------------------------------

(題)いつか「きみ」が手を伸ばすその日へ向けて

 

 「きみに、話してあげたいことがある」


とはじまる『やさしい猫』は、一貫して「きみ」への語りかけという形式で物語が綴られている。

語り手の「わたし」は幼いころに父親を病気で亡くし、母親である保育士のミユキさんと暮らしている。ミユキさんは東日本大震災のボランティアをきっかけとして、スリランカ人のクマさんと出会う。
ミユキさんはクマさんと付き合うようになり、「わたし」たち三人の共同生活がはじまる。

ところが、婚姻届を提出してようやく正式に家族になれたと思った矢先に、クマさんが警察に捕まってしまう。在留カードの期限が切れていたのだ。
クマさんは自らオーバーステイを報告しようと入国管理局に向かっていたにもかかわらず、問答無用で収容される。

諸外国と異なる無期限の収容制度、収容所の粗末な食事、病気を訴えても詐病と疑われるなどといった過酷な仕打ちや、日本において難民申請が認められる割合はわずか0.3%という入管の実態が克明に記されている。


しかし、こういった問題点を提示しながらも、不正を糾弾し告発する論調ではなく、「わたし」が「きみ」へやさしく語りかける口調を採用したところが、この小説の大きな特徴である。
この語り口によって、日本で生活している人から家族や生活基盤を奪う入管制度の理不尽さや非人道性が浮き彫りになり、心にすっと入ってくる。

一方、入管側も語りかけの口調を採用しているが、その目的は糾弾と告発である。
「早めに手を打とう、結婚しておこうと、あなた、思ったんじゃない?」
「あなた、オーバーステイも、そんなに悪いことだと思っていなかったんじゃないですか?」
と、入管審理官や検事はひたすら追及する。

語り口というのは、相手をどう捉えているかを映す鏡である。入管の語り口は、外国人をすべて犯罪者予備軍と見做す「入管マインド」を如実に映し出している。


「わたし」と入管の語り口のちがいは、それぞれの視点の反映でもある。未来に目を向けているのか、過去に固着しているのか。
入管が問い質すのはオーバーステイや未報告といった過去のあやまちだ。
「わたし」が語りかける「きみ」の正体は、これから生まれてくる弟、つまり未来を担う存在である。

「わたし」は未来へ向けてその小さな手を伸ばす「きみ」に語りかけ、家族の話を書き留めている。私たちが未来へ進んでいくためには、どちらの視点と語り口を採用すべきなのか、答えは自明である。

(ここまで)---------------------------------------------------------------------------------


文字数の関係で書評には入れられなかったが、入管審理官がクマさんを追及する場面を読んだとき、ブレイディみかこの“ぼくイエ”に書かれていたエピソード――日本人と英国人を親に持つ息子が日本に滞在していたとき、中年男に「Youは何しに日本へ?」と執拗に聞かれる――を思い出した。

問いかけの暴力性。問いかけという形であらわれる、自分とは異なる他者を排斥する心理。そういったものについて考えさせられた。

この本を読む少し前に読んだ、日本で活動する韓国人ラッパーMoment Joonの『日本移民日記』にも、日本で〝外国人〟として生きていく困難さが書かれていて、この『やさしい猫』に通底するものがあった。

書評の締めの箇所やタイトルに「手」と入れたのは、Moment Joonの「TENO HIRA」という楽曲が心に残ったからだ。

 

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この島のどこかで
君が手を上げるまで
寂しくて怖いけど ずっと歌うよ
見せて 手のひら(ひら、ひら)

ちなみに、この「TENO HIRA」には、在日コリアンの詩人である金時鐘が書いた「夢みたいなこと」が引用されている。

それでも ぼくは
あきらめられないので
その 夢みたいなものを
ほんきで夢みようとする

金時鐘がこの詩を書いたのは1950年、日本で暮らしはじめて1年目のときだったらしい。
まだ1年しか経っていなかったから、「夢みたいなものを ほんきで夢みよう」としたのだろうか? 


この詩が書かれた1950年から70年以上の年月が過ぎたけれども、日本は外国人という他者を受けいれる国になったのだろうか? 私たちは寛容さを手に入れたのだろうか? と考えると複雑な気分になってしまう。

5/29 大阪翻訳ミステリー読書会(オンライン開催・課題書『死の接吻』)& 6/12 『長い別れ』トークイベント(YouTube配信)のお知らせ

 さて、翻訳ミステリーシンジケートのサイト、および翻訳ミステリー読者賞のサイトでも告知していますが、5月29日にアイラ・レヴィン『死の接吻』(中田耕治訳)を課題書として、大阪翻訳ミステリー読書会をオンラインで開催いたします。

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 去年お亡くなりになった訳者の中田耕治さんがあとがきで、

一冊の本にはそれなりにその時期のぼく自身の何かがこめられているのだが、『死の接吻』はとくに愛着が深い

と書くこの一冊、各所のオールタイムベストテンでも頻繁に選出されている名作サスペンスです。
「彼」の独白から第一部がはじまり、第二部、第三部へと続く、三部構成になっています。

貧しい育ちの「彼」は戦争から戻ったあと、成功への野心を抱いて大学へ進学する。
大金持ちの娘と懇意になり、このままうまくいけば願いがかなうと思ったそのとき、娘の妊娠が発覚する。

1950年代において、上流階級の娘が結婚前に妊娠するなんて許されない。このままでは、家から追い出されて一文無しになった娘と結婚する羽目になる。
そんなことになれば、一生貧しさから抜け出せない。追いつめられた「彼」は、娘の殺害を決心する……

じゃあ、最初から犯人も動機もわかっているのでは? それなのにミステリーと言えるのか? 息もつかせぬサスペンスというのは嘘・おおげさ・まぎらわしいのでは?

あらすじを聞いただけではそう思うかもしれませんが、作者のたくみな仕掛けによって、ミステリーとして成立しているところが名作たる所以なのです。
二部、三部と語り手が変わることによって、物語は異なる様相を示し、いったいこの先がどうなるのかわからず一気読みすることまちがいなし。

ぜひ読書会で、「彼」の人物造形、その人となりを形成した時代背景、作者がほどこした仕掛け、この小説が名ミステリーである理由……などなどについて語り合いましょう。

ZOOMを使ったオンライン開催ですので、全国各地から参加可能です。
なお、その次は2年ぶりに対面読書会を開催しようと考えておりますので、関西圏以外の方、

ぜひこの機会にうちらの読書会に参加してや~今回逃したら最後やで~

大阪弁で言ってみましたが、メディアで報じられがちな大阪のコテコテなノリではなく(たぶん)、ボケやツッコミも不要なので安心してご参加ください。
お申込みは上記のサイトをご確認いただき、大阪翻訳ミステリー読書会のメールアドレス宛にご連絡ください。

そしてもうひとつお知らせが。

レイモンド・チャンドラーの不朽の名作といえば、そう、“The Long Goodbye”です。

長年にわたり、清水俊二訳の『長いお別れ』が親しまれてきましたが、数年前に村上春樹による新訳『ロング・グッドバイ』が出て、こちらも話題を呼びました。

そして今年、新たな新訳(って完全に頭痛が痛いパターンですが)として『長い別れ』が出版されました。
エンタメ翻訳のトップランナー田口俊樹先生が、まさに“まんをじして”訳した「名手渾身の翻訳」(帯文より)です。

私もいま精読しているところですが、とにかくマーロウの心の機微がストレートに伝わってくる訳だと思います。

「名作だと聞いたから読んでみたけど、いまいちピンとこなかった。

というか、なんでマーロウはあんなにテリーに入れこんでんの??」

という感想を抱いた方、ぜひこちらの訳で再読してみてください。

そこで、この新訳を記念して、来たる6月12日に田口俊樹先生と、担当編集者である東京創元社の井垣真理さんをお迎えして、オンライン読書会を開催することにいたしました。
みんなご存じのYouTube配信ですので、視聴するのになんの手続きもいりません。もちろん無料です。

honyakumystery.jp


私も末席の末席で参加して、「ハードボイルドとはなんぞや」から、「ハードボイルドは男のすなるものなのか」問題や、「マーロウになりたいボーイ/ガールが考察するマーロウの魅力」などについてご意見を伺いたいと思います。

ご興味のある方、ぜひご視聴ください。もちろんアーカイブで視聴いただいても結構ですが、音楽のライブと一緒で、生配信は生で参加するのがいちばん楽しいはず。
チャットにも質問やツッコミを書きこんでいただければ、頑張ってせっせと拾いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2021年翻訳ミステリー読者賞、および『ヒロシマ・ボーイ』(平原直美 芹澤恵訳)の紹介のつづき

さて前回、翻訳ミステリー読者賞の発表会を告知しましたが、無事終了いたしました。

ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(服部京子訳 創元推理文庫)が2021年の翻訳ミステリー読者賞に輝きました!!!

こちらのサイトに、2021年度のランキングを載せたPDFをアップロードしています。投票いただいた方からのコメントもすべて掲載しています。

hm-dokushokai.amebaownd.com

イベントの模様は、こちらのYouTubeでアーカイヴ視聴できます。各地の読書会世話人が、上位ランキング入りした作品と、少数票作品から選んだイチオシについて熱く語っていますので、お暇なときにでもご覧ください。(恥ずかしいけど)

youtu.be

私が紹介したのは、見事第4位に輝いた『ヒロシマ・ボーイ』です。

この小説の魅力を余すところなく伝えようと、全身全霊で臨んだ……つもりなのですが、1冊あたりの持ち時間「3分」で物語の読みどころについて語り、さらになるだけ多くの投票者のコメントを読みあげるのがどれほど困難であるか、つくづく実感しました。
原稿を何度書き直したことか……というわけで、イベントで語り尽くせなかったことについて、補足したいと思います。

ヒロシマ・ボーイ』は、アメリカ生まれの広島育ち、日系アメリカ人二世である主人公のマス・アライが、親友ハルオの遺灰を抱えて50年ぶりに広島に帰ってきたところからはじまる。

だが「遺灰を抱えて」といっても、骨壺や桐の箱におさめているわけではなく、遺灰をビニール袋に入れて、履きふるした靴下に詰めこんでいる。50年ぶりに日本に帰ってきたといっても、感慨にふけっているわけでもなく、ただ“メンドクサイ”用件を引きうけちまったなとぼやいている始末。

そんなマス・アライがハルオの姉に遺灰を渡すために、宇品からイノ島行きのフェリーに乗りこむ。
その船上で、ひとりの少年に目を留める。同年代の少年たちのグループから離れて、ひとりぽつんと佇むその姿がなぜか気になった。
そうしてイノ島に着き、一晩明けた朝、マスは海でその少年の死体を発見する。

警察は自殺だとあっさり片づけようとするが、マスはどうしても納得できない。
しかもどういうわけだか、ハルオの遺灰も消えてしまった。遺灰をなくしたなんて誰にも言えない。そもそも、履きふるした靴下に詰めこんでいたなんて告白するわけにはいかない。
マスは少年を殺した犯人と親友ハルオの遺灰を見つけることができるのか?

 

なぜ“メンドクサイ”が口癖のマスが、縁もゆかりもない少年の死の真相を突きとめようとするのか? 

理由のひとつは、少年の死体を見て1945年8月の〈あの日〉を思い出したからである。
幼い頃に家族とともにアメリカから帰ってきたマスは、広島の呉で少年時代を過ごした。そして〈あの日〉――マスが生涯忘れられない日――は、広島市内へ行っていた。

50年ぶりに帰ってきたマスは、少年の身辺を調べるために、生まれ変わった新しい広島市内を歩きまわる。原爆の傷跡が消え去ったかのように見える八丁堀を眺めながら、被爆した者たちがつぎつぎに運ばれていった〈あの日〉を思い出す。

原爆が落とされたあと、〈福屋〉のコンクリートの建物は、奇跡的に倒壊せずに残ったが、あれほど美しかった店内は豪華な内装や陳列されていた商品もろとも火炎に炙られ、真っ暗なあなぐらと化した。……〈福屋〉の建物に収容された病人は、洗面所に行くたびに血まみれになったらしい。……専門家たちも当時は知らなかったのだ、原爆の放射能がどんな影響をもたらすか。

自分の胸の奥深くに棲む少年時代の自分を呼びおこしながら、マスは八丁堀から流川通りへ向かう。被爆した人たちの思い出を抱えて……が、もうひとつの目的もあった。腹が減っていたのである。

気がつくと、〈オコノミヤキムラ〉という店のまえにいた。マスの大好物にして、広島のソウルフード、ソース味のパンケーキの村がある、というのである。

ここからのお好み焼きの描写を読めば、きっとあなたもお好み焼きを食べたくなるにちがいない。マスは「そこそこうまい」と大満足する。

さて、生地と具を〈混ぜない〉広島風お好み焼きこそが、マス・アライを象徴するものだという説があるように(私が読者賞イベントで勝手に唱えた説ですが)、マスがこの事件に深入りするもうひとつの理由は、殺された少年の孤独な佇まいに、アメリカでも日本でも〈ヨソモノ〉として生きてきた自分自身を重ねあわせたからである。

自分が生まれた国と育った国が戦争するという、複雑な境遇のもとで少年時代を過ごしたマスは、“メンドクサイ”“シカタガナイ”を口癖として、何に対しても一定の距離を置くのが習い性になっている。
そんなマスが、殺された少年とその母親や、ほかの猫からいじめられている猫といった、自分と同じ〈はみ出し者〉に親身に寄り添う姿には心をうたれる。

〈ヨソモノ〉として生きてきたマスがかいま見せる〈はみ出し者〉への共感、アメリカで得た家族への愛情、自分と同じ日系アメリカ人二世であり被爆者でもある親友ハルオへの友情が、さりげない描写からじわじわと伝わり、読者の胸に深く刻まれる。
物語の終盤、原爆を耐え抜いた仏像にマスが贈る賛辞は、親友ハルオと、マスやハルオと同じ被爆者たちへ捧げたものである。

作者である平原直美は自身も日系アメリカ人三世であり、綿密な取材に基づいてこの物語を書いたとのこと。舞台となるイノ島は現実に存在する似島をモデルにしているようで、こちらのサイトを見ると、たしかに物語の内容と符合している。

似島と戦争・原爆 | 国際平和拠点ひろしま〜核兵器のない世界平和に向けて〜


最後に、この小説を形成する大きな魅力として、まさに “last not but least” として忘れてはならないのは、登場人物たちが交わすいきいきとした広島弁である。実際にこの本を読めば、その味わい深さに魅了されることはまちがいない。
ほんとうに翻訳?と思わず疑ってしまうほどの完成度の高さに惚れ惚れする。


ちなみに、この『ヒロシマ・ボーイ』はマス・アライシリーズの7作目であり、最終巻でもあるとのこと。これまで第2作『ガサガサ・ガール』と、第3作『スネークスキン三味線』が翻訳されている。

しかしスネークスキン三味線って、なかなかインパクトのある題名だ。まあキャッツスキンよりましかもしれないが。

そして最新ニュースとして、近作の ”Clark and Division”がレフティ賞にノミネートされている。
Amazonの紹介によると、1944年のシカゴを舞台として、強制収容所から解放された日系アメリカ人一家を描いたミステリーのよう。こちらも翻訳してほしいものです。

honyakumystery.jp

 

 

2021年度翻訳ミステリー読者賞 結果発表イベント YouTube生配信のお知らせ(4/16(土)21時~)

さて、私は翻訳ミステリー大阪読書会の世話人をしているのですが、2021年度翻訳ミステリー読者賞の発表イベントが開催されます。


◎2022年4月16日(土)21時~ YouTubeから生配信(1時間半程度)
こちらのリンクです:https://youtu.be/4jPrbG6909A


全国各地の世話人が多数登場し、第一部ではランキング上位作を紹介します。第二部では、少数票の作品の中から、それぞれの世話人イチオシの本を熱く語る!という構成になっています。

YouTubeでので、視聴するのに登録などは一切不要です(もちろんタダ)。ご都合がよければ、ぜひともご覧ください。

hm-dokushokai.amebaownd.com

 

しかし、そもそも翻訳ミステリー読者賞ってなんやねん???
という方も少なくないかもしれません。翻訳ミステリー読者賞とは―― 

翻訳ミステリー読者賞は、翻訳ミステリーを愛する人であれば、職業性別年齢を問わず参加できる賞です。翻訳ミステリー大賞シンジケートがおこなっている、翻訳ミステリー大賞の読者企画として立ち上がりました。…………

 今、これを見ているすべてのみなさんに投票の権利があります。ぜひ、あなたも読者賞に票を投じてください。あなたのオススメする作品を教えてください。翻訳ミステリー読者賞は、みなさんひとりひとりの協力で作られていくのです。

 と公式サイトにあるように、翻訳ミステリーの読者なら誰でも参加できる賞です。たとえ1冊しか読んでいなくとも、その1冊に投票することができます。

2021年度の投票はすでに終了したのですが、上記のとおり、ランキング発表をYouTubeで行いますので、ぜひご視聴を……

と、表では言いつつ、本音としては自分も登壇するので、見てる人多かったら緊張するな~~~8人くらいでじゅうぶんやけど。。。10人が限度やなとつい思ってしまいます。

いやいや、西日本代表として、♪風は西から~と旋風を巻き起こすべく頑張らねば!!! でも絶対まちがいなく緊張するに決まってるやんけ!! 
と、煩悶しているうちに前日になってしまいましたが、どうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに、去年(2020年度)の翻訳ミステリー読者賞の結果は、以下のとおりです。

hm-dokushokai.amebaownd.com

 

全世界1000万部突破!と話題になった『ザリガニの鳴くところ』が、本屋大賞翻訳部門に続き、翻訳ミステリー読者賞も制しました。


アメリカ南部を舞台として、家族から見捨てられ、ひとり湿地帯に取り残された少女のサバイバルを描いたこの作品。
ある日、少女に言い寄っていた青年が死体となって発見される。
はたして、青年を殺したのは彼女なのか――

謎解きのおもしろさのみならず、湿地帯の情景と少女の綴る詩が忘れがたい印象を残すミステリーです。

また、去年の結果発表イベントの模様は、こちらのアーカイヴから視聴できます。

www.youtube.com

こちらには、私は登壇していません。まあ正直、去年のこの時期はそれどころではなかったというのが最大の理由ですが、配信を見たとき、出演者のみなさんのあまりに上手なプレゼンに度肝を抜かれ、手を挙げなくてよかった……と胸をなでおろしました。


なのに、それなのに、今年はつい魔がさして………いや、紹介したい本があるから立候補したのですが、妙なプレゼンをしてかえって本の価値を下げんやろうなという心配も募ってきました。
とにもかくにも、明日ご都合がよければ、ご覧になってください……いや、やっぱ8人程度でいいけど。