快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

第32回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作 木村紅美『あなたに安全な人』ー不安の正体はなんだろう?

ちょうど数か月前の書評講座の課題書が、木村紅美『あなたに安全な人』だった。

コロナが全国に広まりつつあった2020年を舞台とし、まだコロナ患者がほとんど発生していない地方の町で、正体のわからない病気に対するぼんやりとした不安、隣の誰かがウイルスを運んでくるかもしれないという疑心暗鬼のなかで、東京での生活を終えて地元に戻ってきた妙と忍というふたりの人物を描いている。

ふたりはなぜ追われるように地元を去ったのか? そしてなぜ戻ってきたのか?

先日、この小説が今年のBunkamuraドゥマゴ文学賞に選ばれた。
この賞は毎年「ひとりの選考委員」によって選ばれることで知られていて、今年の選考委員である日本文学者ロバート キャンベル氏は、「『あなたに安全な人』の著者は、人々の心に巣喰う漠とした不安に向かおうとしている」と評価している。

www.bunkamura.co.jp

私が書評講座で書いた書評は以下のとおりです。


(ここから)-----------------------------------------------------------------------------------

(題)安心と安全の狭間で

 

『あなたに安全な人』というタイトルを見て、「安心できる人」ならわかるが、「安全な人」とはなにか? そもそも、安全と安心のちがいは? と考えた。調べたところ、安全とは客観的な指標であり、安心とは主観的な判断だと知った。(注)

主人公の妙には、かつて地元で国語教師をしていたとき、教え子がいじめを苦にして自殺したという過去がある。家族に問題があった、いじめが原因ではないと自分に言い聞かせたが、結局教師を辞めた。九年間東京で働いたのちに地元へ戻ってきたが、誰とも関わりを持たず、人目を避けるように暮らしている。
そんなある日、風呂の排水溝がつまり、妙は便利屋の男を呼んで掃除してもらう。


便利屋の忍も、妙と似た過去を背負っている。肉体労働の仕事を転々としていた忍は、沖縄で米軍基地建設反対デモの警備にあたっていたとき、デモに参加していた女と揉みあいになり、思わず突き飛ばしてしまった。女は倒れて頭を打ち、そのまま運ばれていった。


ふたりを最初に結びつけた人物が、〈本間さん〉である。といっても、当人はすでにこの世にいない。コロナが蔓延する東京から引っ越してきた〈本間さん〉は、マンションへの入居を許してもらえず、仮住まいのクリーニング店で自殺した。

他人を犠牲にしても、とりあえず安心したい――誰の心の奥にもそんな気持ちが潜んでいる。いじめを見て見ぬふりするのも、沖縄に米軍基地を押しつけるのも、よそものを排斥するのも、自分の安心を得るためだ。
妙と忍はいじめや米軍基地を肯定する意図はなかったが、安心を求める心理に吞みこまれ、その結果安心を失い、脅迫電話や〈人殺し〉という声に悩まされ、安全すら危うくなった。

ふたりが安全を取り戻す契機となったのは、〈本間さん〉が命を絶った部屋に入ることだった。安心の犠牲となった〈本間さん〉に向きあい、ふたりの罪が贖われる。そして互いの姿を見ることのない、安全な共同生活をはじめる。妙は忍を住まわせることで身の安全を確保し、忍は住む場所と食事を手に入れる。

ともに暮らしている相手の顔を見ないなんて安心できない、と思う人もいるかもしれない。しかし、これまで安心を求める心理に翻弄されてきたふたりに必要なのは、客観的な安全である。見ないからこそ、触れあわないからこそ、得られる安全もある。
安心できる人や場所なんて、永遠に見つからないかもしれないのだから。

(注)https://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/anzen/houkoku/04042302/1242079.htm

(ここまで)-----------------------------------------------------------------------------------


妙と忍はどちらも消せない過去を背負っている。いじめを見て見ぬふりする教師、市民を力づくで取り押さえた警備員だった過去を。自分が誰かの命を奪ってしまったのではないかと怯えている。

そんなふたりが、奇妙で――安全な――共同生活をはじめる。過去やウイルスに襲われる心配のない安全な生活。といっても、ふたりの距離が縮まるわけではなく、ましてや友情や恋心が生まれるわけでもない。互いの顔を一切見ることなく、その存在を気配で感じるだけの共同生活。

そのうちに相手が生きているのか死んでいるのかもわからなくなる。そして自分が生きているのか死んでいるのかもわからなくなっていく……

淡々とした文体で静謐なホラーのように描かれるふたりの生活。
実際に感染者が減っているわけではないのに、あたかもコロナが収束して、誰もかもが日常が戻ってきたかのようにふるまっているいま、読んでみるのもいいかもしれない。

ウイルスから逃れることはできても、過去の罪や存在の不安から逃れることはできない。ほんとうに恐ろしいのは、なにもない日常かもしれない。
そんなことを思い知らされる小説である。