快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

2020-01-01から1年間の記事一覧

2020年心に残った本(『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』『ワイルドサイドをほっつき歩け』『ディスタンクシオン』)

先日、翻訳ミステリー読書会のスピンオフとして雑談会を開き、「今年心に残った本」について語り合いました。いつものように思いつきでテーマを発表してから、なんやろ~と考えてみたのですが、案外迷うことなくすんなりと下の3冊に決まりました。 1:バリ…

移民の娘、そしてエリート女子として、「わたし」のこじれたアイデンティティ――ウェイク・ワン『ケミストリー』(小竹由美子訳)

ウェイク・ワン『ケミストリー』(小竹由美子訳)を読みました。 ケミストリー (新潮クレスト・ブックス) 作者:ワン,ウェイク 発売日: 2019/09/26 メディア: 単行本(ソフトカバー) 中国系アメリカ人として生まれた「わたし」は、両親の期待を背負って博士…

差別する側の「誤った決断や行動、事後の後悔」を描いた 『兄の名は、ジェシカ』(ジョン・ボイン著 原田勝訳)

ジョン・ボイン『兄の名は、ジェシカ』を読みました。 以前に紹介した二作『縞模様のパジャマの少年』『ヒトラーと暮らした少年』は、どちらもナチスドイツの支配下にあったヨーロッパを描いていたが、今作は現代のイギリスが舞台となっている。 兄の名は、…

孤独な独学から生み出された怪物の正体は? 『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー著 田内志文訳)※訳書多数あり

“フランケンシュタイン”をご存じでしょうか? と聞くと、知らないと答える人はほとんどいないだろう。しかし、『フランケンシュタイン』を実際に読んだことがある人は? と聞くと、その数は格段に減るのではないだろうか。そもそも、“フランケンシュタイン”…

完璧な書き出しではじまる完璧な心理サスペンス『ロウフィールド家の惨劇』(ルース・レンデル著 小尾 芙佐訳)

ユーニス・バーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである。 英国女性ミステリーの女王と呼ばれたルース・レンデルが1977年に発表した、『ロウフィールド家の惨劇』の冒頭である。 www.amazon.co.jp この小説の謎は、〈だれが…

ミネット・ウォルターズ『カメレオンの影』(成川裕子訳)オンライン読書会報告&心理サスペンスのブックガイド

さて、9月26日(土)に第1回オンライン読書会を開催しました。課題書は、今年の4月に出版された、ミネット・ウォルターズの新作『カメレオンの影』です。 カメレオンの影 (創元推理文庫) 作者:ミネット・ウォルターズ 発売日: 2020/04/10 メディア: Kindle版…

誰もが心に秘めている闇とは? ミネット・ウォルターズ『氷の家』(成川裕子訳)から『A Dreadful Murder』まで一

9月26日(土)の読書会(課題書『カメレオンの影』成川裕子訳)の予習のため、ミネット・ウォルターズのデビュー作『氷の家』と、2013年に発表された『A Dreadful Murder』(未訳)を再読しました。 氷の家 (創元推理文庫) 作者:ミネット ウォルターズ 発売…

パンデミックの真相を探るリアルなディストピア小説 The Waiting Rooms (Eve Smith)

Amazonで評価が高かったので気になった、小説“The Waiting Rooms”を読みました。作者Eve Smithのデビュー作であり、まだ翻訳は出ていません。まずは、どういう物語か説明すると―― The Waiting Rooms 作者:Smith, Eve 発売日: 2020/10/01 メディア: ペーパー…

ギムレットには早すぎる? 虚構の仕掛けが施された短編集『一人称単数』(村上春樹)

村上春樹の最新短編集『一人称単数』の読書会に参加しました。光文社古典新訳文庫の元編集長である駒井稔さんを迎えて開催され、参加者も春樹マニアと言えるくらいに読みこまれている方が多く、たいへん刺激的な会でした。 一人称単数 (文春e-book) 作者:村…

壊れた世界を救うのはだれか? 『壊れた世界の者たちよ』(ドン・ウィンズロウ著 田口俊樹訳)

『壊れた世界の者たちよ』の読書会に参加しました。はじめてのオンライン読書会のうえに、訳者の田口俊樹さんや担当編集の方もご参加されたので、なんだか緊張しました。 壊れた世界の者たちよ (ハーパーBOOKS) 作者:ドン ウィンズロウ 発売日: 2020/07…

憎しみにうち勝つために 『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』(アンジー・トーマス著 服部理佳訳)

カリルの体は、見世物みたいに通りにさらされていた。パトカーと救急車が、続々とカーネーション通りに到着する。路肩には人だかりができていた。みんな、のびあがるようにして、こっちをうかがっている。 『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』…

女に世界を変えることはできるのか? 『あの本は読まれているか』(ラーラ・プレスコット著 吉澤康子訳)

『ドクトル・ジバコ』をご存じでしょうか? アメリカを筆頭とする資本主義国陣営と、ソ連が率いる共産主義国陣営とのあいだに冷戦がくり広げられていた1950年代、ソ連の作家ボリス・パステルナークによって書かれた恋愛小説であり、ソ連では発禁扱いとされた…

連続殺人事件を通じてソヴィエト連邦の「不都合な真実」を描く 『チャイルド44』(トム・ロブ・スミス著 田口俊樹訳)

この社会に犯罪は存在しないという基盤を。 国家保安省捜査官の義務として――義務と言えば、人民すべての義務だが――レオはレーニンの著作を学習し、社会の不行跡である犯罪は貧困と欠乏がなくなれば消滅することを知っていた。 遅ればせながら、『チャイルド4…

娘のような母と母のような娘の切れない絆 『タトゥーママ』(ジャクリーン・ウィルソン著 小竹由美子訳)

「いいの。だって、マリゴールドがわたしのお母さんなんだもん。」喜ばせようと思ってこういったのに、マリゴールドはまた泣きだした。「あたしったら、なんてバカな母親なのかしら。どうしようもないね。」「この世でいちばんのお母さんだよ。おねがいだか…

べつの言葉によって自らを変容させていく試み 『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎 訳)

人は誰かに恋をすると、永遠に生きたいと思う。自分の味わう感動や歓喜が長続きすることを切望する。イタリア語で読んでいるとき、わたしには同じような思いがわき起こる。わたしは死にたくない。死ぬことは言葉の発見の終わりを意味するわけだから。 『停電…

人間を「物」として扱う社会とは――『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド著 谷崎由衣訳)、『フライデー・ブラック』(ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー著, 押野素子訳)

砦までの道のりでコーラの祖母は何度か売られ、宝貝やガラスのビーズと引き替えに奴隷商の手から手へと渡った。ウィダで彼女の値段が幾らだったか知ることは難しい。というのもまとめ買いだったから。八十八の人間が、ラム酒と火薬を入れた木箱六十個と交換…

やっぱり優しくなければ生きている資格がない――レイモンド・チャンドラー『高い窓』(村上春樹訳)

彼女は二本の腕をデスクの上で折りたたみ、顔をその中に埋めてしくしくと泣いていた。それから首をひねって、涙で濡れた目でこちらを見た。私はドアを閉めて彼女のそばに行き、その細い肩に腕をまわした。…… 娘は飛び上がるように身を起こし、私の腕から逃れ…

自分の肉親について文章を書くということ レイモンド・カーヴァー「父の肖像」(『ファイアズ(炎)』)、村上春樹『猫を棄てる』

自分の肉親について説得力のある文章を書くというのは決して簡単なことではない。結局のところ、文章の力によってどこまでその人物を相対化できるか、そしてその相対化された像のなかにどれだけどこまで自分の感情を編み込めるか、という微妙な勝負になる 村…

勝手に考えた「コロナブルーを乗り越える本」『東京日記』(内田百閒)『だいたい四国八十八ヶ所』(宮田珠己)『雨天炎天』(村上春樹)

「コロナブルーを乗り越える本」という集英社インターナショナルのサイトで、さまざまな作家や翻訳家の方たちが、「こんな時代だからこそ読みたい」本を紹介していて、これがかなり読みごたえがある。 www.shueisha-int.co.jp 紹介されている本がどれもおも…

だいじょうぶ?と聞かれたら、どう答える? 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(大前粟生 著)

麦戸ちゃんはさいきん学校にこない。麦戸ちゃんの家は大学のすぐ近くにあるから、七森は二限終わりに寄ってみようかなと思ったけど、きのう彼女ができたばかりだったし、共通の友だちでも女の子と家で会うのを白城は嫌がるかもしれないと(まだそういうこと…

Let's line up all the white pandas とは? log in now: love ロバート キャンベル『井上陽水英訳詞集』

What is it you’re looking for?Something hard to find?In your bag, through your deskYou looked but can’t find it. さて、この歌はなんでしょう? そう、おなじみ「夢の中へ」です。ロバート キャンベル『井上陽水英訳詞集』より。 井上陽水英訳詞集 作…

絵の中で語られるのを待っている物語 『短編画廊』(ローレンス・ブロックほか 著 田口俊樹ほか 訳)

ここに収められた物語はさまざまなジャンルの物語だ。あるいは、いかなるジャンルにも収まらない物語だ。 エドワード・ホッパーの絵をモチーフにした短編集『短編画廊』を読みました。 短編画廊 絵から生まれた17の物語 (ハーパーコリンズ・フィクション) 作…

それがフィリップ・マーロウという人間だ 『さよなら、愛しい人』(レイモンド・チャンドラー 著 村上春樹 訳)

It wasn’t any of my business. So I pushed them open and looked in. 私には何の関わり合いもないことだ。なのに私はその扉を押し開け、中をのぞき込んだ。そういう性分なのだ。 レイモンド・チャンドラーによるフィリップ・マーロウシリーズの二作目、『…

50歳なんて何でもない……のか? 『レス』(アンドリュー・ショーン・グリア 著 上岡伸雄 訳)

アーサー・レスは歳を取った最初の同性愛者である。少なくとも、自分ではときどきそのように感じる。この浴槽で、裸でお湯に浸かっているのは、二十五歳か三十歳の美しい若者であるべきだ。人生の喜びを享受している男。いまの裸体を見られるのは何とも恐ろ…

2020年1月26日「はじめての海外文学 in 大阪」(梅田蔦屋書店)レポート

さて、1月26日に梅田蔦屋書店で行われた「はじめての海外文学」に参加しました。 翻訳者の方たちが全力でオススメの海外文学を紹介する、この「はじめての海外文学」。東京では去年の10月に開催される予定でしたが、大型台風の襲来によって中止となり、今回…

『青鞜』の女たちを描いた青春群像劇 二兎社『私たちは何も知らない』(作:永井愛)

二兎社の舞台『私たちは何も知らない』(作:永井愛)を見てきました。 nitosha.net この劇は『青鞜』に関わった女たちを描いていて、平塚明(らいてう)が姉の友達であった保持研らと『青鞜』を立ちあげ、その編集部に絵を勉強している尾竹紅吉がやって来る…

「善」と「悪」が入り混じったすえに生まれる「倫理」『ひとり旅立つ少年よ』(ボストン・テラン著 田口俊樹訳)

「私たちが生きるこの時代において、画家の大いなるキャンヴァスとはなんでしょう? そう、それはアメリカそのものです。私たちがともに描き出そうとしているこの国の絵。それこそ大いなるこの国家の将来を決定するものです」 この『ひとり旅立つ少年よ』は…