「私自身」であるために戦った女たち 『女たちのテロル』(ブレイディみかこ 著)
「僕はつまらんものです。僕はただ、死にきれずに生きているようなものです」
朴は岩のようにひんやりした、しかし厚みのある声で言った。
私たちは同類だと文子は思った。
死にきれなかった犬が二匹。我ら、犬ころズ。相手に不足はない。
こうして二人のアナキストの、短い、命をかけた闘争の道行きがはじまったのである。
いまからおよそ百年前の二十世紀初頭に、日本、イギリス、アイルランドで命をかけて闘った三人の女たちがいた。
ブレイディみかこ『女たちのテロル』は、日本のアナキスト金子文子、イギリスのサフラジェット(女性参政権運動家)エミリー・デイヴィソン、イギリスの圧政下にあったアイルランドの独立を求めて闘った凄腕スナイパー、マーガレット・スキニダーの生涯を辿った本である。
金子文子は著書『何が私をかうさせたか』や、話題になった映画『金子文子と朴烈』で、ご存じの方も多いのではないだろうか。
しかし、あらためて生い立ちを読むと、想像していた以上に苦難の連続である。無戸籍児であり、しかも両親にもすぐに見捨てられ、預けられた朝鮮の祖母の家ではさんざんに虐待され……まさにリアル “おしん”と言うべきか。当時としてはさほど珍しい境遇ではなかったのかもしれないが、13歳の時点で真剣に自殺を考えたほどつらかったようだ。
しかし、金子文子は苛酷な運命にただ翻弄されるだけの女ではなかった。
何度も身売りされそうになったり、性暴力とも言える目に遭いつつも、居場所や仕事、さらに男たちのもとを転々としてたくましく生きのび、新聞売りをしながら学校に通い、社会主義者たちと親交を深めるようになる。
そうして朴烈と出会うのだが、文子は男から求愛されるのをぼんやり待っている女ではない。
「私は犬ころである」という朴烈の詩に衝撃を受けた文子は、すぐに知り合いのつてを頼って朴烈を紹介してもらう。仕事も家も無い朴烈は貧乏くさい身なりをしていたが、「ふてぶてしい風格」があった。この男だという確信を得た文子は、朴烈に同志としてでも交際したい、一緒に仕事をしたいと単刀直入に申し出る。
一方、朴烈も素性のよくわからない女の申し出をあっさりと受けいれる。文子のように、これが運命の相手だという直感を得たのだろうか? よくわからない。
そう、金子文子のパートで一番印象に残ったのは、朴烈の不気味なまでのわからなさというか、茫洋としたつかみどころのなさである。
日本の占領下にあった朝鮮で生まれ育ち、3・1運動に刺激され、朝鮮の独立を目指す民族運動に加担するが、内部の揉め事や軋轢によって運動自体に幻滅して日本に渡り、虚無主義に共鳴してアナキストとなり、日本の権力階級を敵とみなすようになる……もちろんこの経歴に嘘偽りはないのだろうが、何と言うか、漠然としながらもすごくわかりやすいところが気になった。
文子とともに暮らしはじめた朴烈は、日本の権力階級をぶっ飛ばすため爆弾を入手しようとするのだが、失敗の連続となる。本気でぶっ飛ばすつもりあったんかな?とも思ってしまう。
そもそもぶっ飛ばす理屈も、虚無主義者である自分たちは「宇宙の存在を否定するので、その存在を滅亡させることが慈悲」ということらしいが、それもなんだか空論というか、やはりイメージ先行のような印象を受ける。
で、結局捕まるのだが、そんな調子なので具体的な証拠も計画もまったく無く、捕まえた方も困惑したようだが、本人たちが爆破計画を語るのでそのまま獄中送りとなる。
捕まってからのふたりの進路も対照的だ。
ふたりとも死刑判決を受けたのちに恩赦を与えられて、無期懲役に減刑されるが、文子は恩赦をよしとせず自殺する。朴烈も恩赦に抗議したが、終戦まで生き延びる。
ウィキペディアでは、捕まってからの朴烈について「相次ぐ転向」と書かれている。獄中で「日本のために生きる」と転向し、戦争のプロパガンダに利用されたようだ。終戦後に出獄してからは反共主義になり、宗主国であった日本と戦ったという功績もあって在日朝鮮人の長として担がれたようだ。
それから韓国に渡り、朝鮮戦争で北に拉致されて、今度は共産主義に転向した。そこでも抗日のヒーローとして北朝鮮政府である程度重用されたが、最後は粛清されたらしい。
――「思想に殉じた」女と、とことんまで生き延びた男。
能動的な死は、必ずしも自殺――自分を殺すこと――ではない。
ダービーで競走馬の前に歩み出たエミリー・デイヴィソンの死ほど、「いったいどんな死だったのか」ということが議論され続けてきた死も珍しい。
1913年6月4日、エミリー・デイヴィソンはダービーのレースに飛びこみ、国王ジョージ五世の愛馬アンマーに蹴り倒され、その4日後に死亡した。(『世界史大図鑑』にも詳しく書かれています)
女性参政権運動への注目を集めるための行動であったことはまちがいないが、殉死しようとしていたのか、あるいはダービーを妨害するだけのつもりだったのかは、はっきりとはわからない。
私が以前に読んだ本では、エミリーが電車の往復チケットを買っていたことが、死ぬつもりはなかった証として挙げられていたが、この『女たちのテロル』によると、その日は往復チケットしか売っていなかった(買えなかった)と書かれている。
考えたら、自殺しようと心に決めていたら、「えっ!? 往復チケットしか売ってへんの? どうせ死ぬから片道でいいのに、往復買ったらめっちゃ損やん」とは、いちいち思わない気がする。
殉死が最終的な目的だったのかどうかはわからないが、この本でも書かれているように、馬が走り回っている中に身を投じるのだから、どう考えても無事でいられるとは思っていなかったはずだ。
エミリーが死ぬと、女性参政権運動の主導者であるパンクハースト親子が、あまりに過激なエミリーを見放しつつあったことをすっかり忘れたかのように、エミリーを殉教者として祭りあげる。
そう、死んだら好きなように意味付けされてしまうのだ。
金子文子も、朴烈との愛に殉じた女と書かれるときもあれば、朝鮮の独立のために命を擲ったと祭りあげられるときもある。
しかし、金子文子自身が、「私自身の仕事をする」と再三書いているように、金子文子もエミリー・デイヴィソンも、思想や運動のために命を擲ったというより、まして男との愛や政治目的のために殉じたわけではないのは言うまでもなく、ただ「私自身の仕事をする」ため、あるいは「私自身」であろうとしたら、死を選ばざるを得ない状況に陥ったのではないかと考える。
それでもやはり、死んでしまったのは惜しい。
先に、朴烈は戦中も戦後も生き延びたと書いたが、そこに批判的な意味合いは込めていない。というのは、転向してでも何をしてでも、やはり生き抜いた者の勝ちではないかと思うからだ。金子文子やエミリー・デイヴィソンが「私自身」であるためには、死を選ぶしかない世の中だったのが悲しい。
エミリー・デイヴィソンの項では、強制摂食の恐ろしさもあらためて感じた。
強制摂食というのは、刑務所内でハンガーストライキを行うサフラジェットたちに無理やりに食事を詰めこむ(のどや鼻に管を通すなどして)ものだが、サフラジェットにまつわるあらゆる資料や本において、強制摂食が耐えがたいほどの苦しみであったことが書かれている。この『女たちのテロル』ではレイプに等しいものとされていて、彼女たちの味わった苦痛や屈辱がよく理解できた。
しかし、それでも当時のイギリス政府は、ハンストをする受刑者に対しては強制摂食を行ったり、あるいは一時的に釈放するなどして、とにかく死なせてはいけないとは思っていたのだ。人道的というより、殉教者にしてはいけないという理由ではあったが、命を奪うことの重大さはわかっていたのだろう。
そう考えると、ハンストをする受刑者をそのまま殺してしまういまの日本っていったい……と考えると、なんだか寒気を感じたりもしますが。
アイルランド独立のために戦ったマーガレット・スキニダーまで行きつかなかったが、マーガレットの指南役としてイースター蜂起で活躍した ”マダム”こと、イギリス初の女性議員となったコンスタンツ・マルキエビッチ伯爵夫人の生涯に興味をひかれた。
自らリボルバーを持ち、戦争の前線で戦う伯爵夫人とはそうそういない。日本で言うと……巴御前とか?(古すぎ) ちなみに、伯爵夫人の妹は、女性参政権運動家として活躍したエヴァ・ゴア=ブースである。
しょうがない、いつだって末端は哀れな被害者なんだから、ではいつまでたっても隷属は終わらない。忖度は犯罪ではないが隷属制度の強化に与している。
求められてもするな。期待をかけられたらあっさり裏切れ。隷属の鎖を真に断ち切ることができるのは主人ではない。当の奴隷だけだ。
百年前の女たちが、「私自身」であるためには、ときには死をも恐れず戦わなければならなかったのが、よく伝わってきた。いや、ほんとうは「百年前の女たち」にかぎらず、現代の私たちにもあてはまるのかもしれないけれど……